猪木vsアリ

 今日はとてもマニアックな話し。しかも長いのです。

 最近でこそ観なくなりましたが、小さい頃からプロレスが大好きでした。金曜日の夜、8時からのテレビ中継を心待ちにしていたのです。タイガーマスク、長州力、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント……。アントニオ猪木率いる新日本プロレスです。

 先日、33年振りに再放映された「アントニオ猪木モvsモハメド・アリ」。権利の問題で、今まで流せなかったようです。当時5歳の私は記憶にありませんが、話はよく聞きました。
 出来るだけ簡単にまとめると……

 ボクシング、世界ヘビー級王者のモハメド・アリは強さと華麗さを備えた、出色のチャンピオンでした。加えてビッグマウス(大口たたき)でも有名。「俺に挑戦する東洋人はいないか?」といつもの調子でリップサービスしたのです。

 その発言に対してアントニオ猪木は、挑戦状を送りつけます。世界的には無名なレスラーと対戦するメリットは非常に少なく、アリ側の反応は鈍いものでした。一方、世界のメディアにアピールする手法で、猪木側は煽り立てます。

 無視できなくなった、アリ側と何とか調印にこぎつけます。初めはエキビジョンマッチと考えていたアリは、公開スパーリングで本気の猪木を見て、様々なルール改正を要求。その条件を飲まなければ、帰国すると言い出します。このビックイベントをキャンセル出来ない猪木側はその条件を受け入れるのです。

 立った状態でのキック禁止、投げ技、関節技の禁止、頭部への攻撃禁止等など。しかもアリ側はそれを、マスコミに公表しないことまで要求します。

 がんじがらめのルールですが、1976年6月26日、何とか実現にこぎつけます。やむなく取った戦法が、寝転んだ状態で執拗にキックを放つ、俗に言う「アリキック」だったのです。

 多くの時間を、寝転んだ状態の猪木をアリが挑発する事に終始し、結果はドロー。「世紀の凡戦」と酷評されます。しかし、その後アリはキックによるダメージで入院。加えてルール問題などの事実関係が分かるにつれ、評価は一転するのです。

 後日談も「アリはグローブの中に何か入れていた」「猪木はシューズの中に鉄板を入れようとしていた」等など。想像力を書きたてます。

 再放送の試合はダイジェスト版でしたが、いまや伝説のチャンピオンであるアリの動きが徐々に鈍くなり、表情に余裕の無くなって行く姿は、緊迫感に満ちたものでした。間違いなく歴史に残る名勝負でした。

 現在はニュースキャスター、その礎をプロレス中継のアナウンサー時代に築いた古館伊知郎は、猪木を多くの形容詞で飾りました。「燃える闘魂」「過激なダンディズム」「男のロマン」など。

 プロレスという市民権を得にくいジャンルを「何とかメジャーに」と戦った男のロマンを感じたのです。