姫路と明石

 昨日は、クラアントが姫路の写真館へ見学会に行くというので、ついて行きました。

 姫路と言えば国宝、姫路城です。

 別名、白鷺城。羽を広げた白鷺のように、快晴の空が良く似合います。

 写真館見学は、感じることが沢山あったのですが、写真は辞めておきます。

 しかし「どうすればお客さんと一緒に、楽しく仕事が出来るか」を追求する姿勢は、「本気」がビリビリと伝わってきました。

 その後は御のぼりさんツアーで、明石の商店街「魚の棚(うおんたな)」へ移動。意外に活気があるので驚きました。

 私のクラアントは写真家ですが、撮られるのも大好きなのです。

 明石と言えば明石焼き。有名な話ですが、現地では「たまご焼」です。

 口の中で崩れると、熱いのなんの…… 今でも口の中が火傷気味です。

 もちろん味は抜群でした。

 イイダコは今が旬。

 他にも、アナゴ、目板ガレイ、手長ダコ等など。見てるだけでも楽しいものです。

 見てるだけですが。

 締めくくりは、「龍の湯」という温泉でした。

 これが日帰り温泉と侮る事なかれ。有馬温泉のような赤茶けた湯が、素晴らしかったのです。夕日と明石大橋を眺めながら帰阪。

 仕事が好きで、一所懸命頑張っている人の話は、聞いて楽しいですし、俄然元気になります。

 本日、インフルエンザで休んでいたスタッフが無事復帰。本当に流行っているので、気をつけて下さい。どれだけやる気があっても、元気であってこそですから。

駄菓子屋とゲーセン

 子供を連れてスーパーへで掛けると、あれを買え、これを買えと言い出します。いつも「ダメ」では芸が無いと、お茶を濁しながらウロウロしていると駄菓子屋コーナーが。

 昔と変わらないものが結構ありました。懐かしいココアシガレットは30円くらい。大して味は無かったと思いますが、同じようなチョコレートもよく食べました。

 大阪の下町、放課後はやっぱり駄菓子屋です。

 紋次郎イカ、ドント焼き、うまい棒、10円でボタンを押したら出てくる丸いガム(色によってはお金が貰える)、キャベツ太郎、よっちゃんイカ、みかん水……。そんなものばかりを食べていました。

 その後は、褒められたものではありませんがゲームセンターです。通称ゲーセン。

 表でおばちゃんがタコ焼を焼き、裏の和室に絨毯を敷きテーブルゲームが5台ほど置いてあります。中は何故か真っ暗。そんな店が何件かありましたが、ひとつは、誰が付けたか「タコヒゲ」。

 いたいけな子供の小銭をタコ焼、ゲームで搾取する、極めて怪しい店でした。まあ行く方が悪いのですが。

 置いてあったのは、インベーダー、クレージークライマー、ラリーX、パックマン、ギャラガあたりだったでしょうか。同世代の男性以外、ほとんど分からないと思います。

 「誰々が中学生にカツ上げされた」とか、「誰だれは調子に乗ってたからシメられた」とか、不穏な情報は飛び交いますが、それでも皆集まってくるのです。

 そんな所には行かないに限ります。しかしそんな所で、社会の暗黙のルールを何となく感じ、生きる術を身につけてて行くのだとも思います。
 
 駄菓子屋はスーパーの駄菓子屋へ、ゲーセンはアミューズメントコーナーへ。それが現実ですが、あの怪しい感じは、必要悪だとも思っているのです。

宇宙へ

 一昨日、クリエーション・コア東大阪という場所に行きました。webの言葉を借りれば「ものづくりに関する、総合支援施設」です。

 1階には、見たことのある展示物が。

 ここのところ、紙面などを賑わしている「まいど1号」です。本物は現在種子島にあるのですが、偽ものともいえないかもしれません。

 この計画を簡単に言えば、安く人工衛星を作って飛ばそうと言うもの。詳しくはこちらのサイトに。

 一度延期になり、今日1/22の昼頃発射の予定が、再々延期になったとでていました。

 『2009年1月21日に予定されておりましたH-ⅡAロケット/SOHLA-1(まいど1号)の打上げが天候の悪化が予想されることから、打ち上げは23日(金)12:54に変更になりました。

 クリエイションコアで予定してましたライブ中継も延期になります。』

 不思議なもので、自分の目で見るまでほとんど興味がありませんでした。それが、目の前で見るとまったく別です。

 予定は明日の昼。ちょっと注目して見ています。頑張れ東大阪、です。

タイヤ 交換

 学生時代、競技スキー部にいました。赤と青の旗門を交互に通過して、タイムを競う競技です。

 当時は真剣に打ち込んでいたので、12月初めから3月末までのほとんどを雪国で過ごしました。道具が多い事もあり、ほとんどが車移動。スパクタイヤが規制されスタッドレスに変わった
頃でもありました。

 私のスタッドレスデビューは散々です。先輩のタイヤを付け替えるよう頼まれました。慎重に作業したつもりだったのですが、目的地の信州が近づいて来た最後の山道。どうもタイヤまわりで変な音がするのです。

 もう少し走っていると、明らかにボディーに何かが当る音!急いで降りてみると右後輪を止めるナットが、6本中2本しか無かったのです!!

 近くのカーディーラーで分けてもらい、事なきを得たのですが、もしタイヤが外れていたら……。考えただけでもぞっとします。

 初めて自分の車をフェリーで持っていったのは大学2回生。舞鶴からフェリーで小樽まで当時は30時間程掛かりました。そこから初めの合宿地、大雪山の北部にある北大雪スキー場を目指します。

 こう言っては失礼ですが、もう辺境の地を目指す気分でした。

 250kmの道程のうち、初めの高速道路は良いのです。旭川あたりで地道に降りると、徐々に山深くなります。標高が上がるに従って、道はカチンカチンを通り越してピカンピカン。更に九十九折。聞くと寒い時は-25℃。荷物は満載で、4人がギュウギュウ詰め。ナビも無かったので、たどり着けるのか随分不安に思ったものです。

 一番長い宿所地は、道央の歌志内市にあるかもい岳スキー場。試合が集中する3月には信州への移動しますが、その他はずっと北海道でした。日本最北端の稚内方向にある名寄ピアシリスキー場、幌加内のほろたちスキー場など、クラブ入っていなければ絶対行かないようなスキー場を転々と移動しながら、正月も練習を続けたのです。

 重さが無い雪、冷え切った快晴の朝一番のゲレンデ、寂れた町の居酒屋。すぐにでも行きたくなりました。

 昨年シーズンは長女の出産もあり、初めてスキーに行きませんでした。今シーズンは何とか行きたいと思いますが、タイヤはディーラーで交換して貰います。

北海道内での位置

初めての記憶

普段の朝、長男を保育園に送ります。

 実家も近所で、私も通っていました。制服も当時のまま。私は2年保育でしたが、長男は5年通うことになります。

 1歳から通っているので、もう3年目。先日、職員室から園長先生が出て来ました。私が挨拶をすると、後ろに隠れるのです。

 「延長先生は嫌い」と。

 4:30pmを過ぎると延長保育になり、人数が減ります。慣れているとはいえ延長は駄目のようです。この同音異義語を3歳に理解させるのは無理でした。

 ところで一番初めの記憶って何でしょう。

 保育園の屋上にはプールが有ります。

 置き型なのでエプロンが立ち上がっていました。5歳の時、その縁に腰掛けていたら後ろにひっくり返り、頭から落ちたのです。

 随分切ったそうです。その衝撃が初めの記憶。

 2番目は、給食袋のヒモが絡まって泣きながら先生に直して貰うと言う情け無いもの。

 今まで聞いた中では、3歳くらいが一番多かったでしょうか。

 保育園の先生は、人の子供を預かり、読みか書きや歌を教えてくれたり、もう完全に聖人です。

 ただ下町だけに言葉遣いのうほうは……怒っている場面に遭遇した時、気まずい感じの顔は、見ていないことにしてあげましょう。

 長男の初めての記憶も保育園になるのかもしれません。

何故か送る若者へのメッセージ

 今日は成人の日。正月休みが終わったと思ったら、また3連休。いつの間にやら、日本の労働時間は韓国、アメリカよりも短くなっていました。

 成人とは20歳を超えた人達のこと。社会的責任を負う年齢となります。この意味が、20歳の時には全く分かっていませんでした。

 社会的責任を負うというのはどういう事か。逆の言い方をすれば、責任を負える人であるという事です。しかし、これは消極的な表現です。

 積極的な言葉に置き換えると、社会の役に立つ、社会が必要する人、と言い替えれます。

 『人類は宇宙船地球号の乗組員である』

 建築家、バックミンスター・フラー の言葉です。

 若者よ、乗組員として必要とされない人生はつまらない。精一杯働こうじゃないか。そうすれば、自分の持ち場が必ず見つかるはず。

 成人してから18年。今はそんな風に思って働いています。

 ようこそ「素晴らしきこの社会へ」です。

何時でも何処でも

 年始の挨拶も一段落というところでしょうか。

 年甲斐も無くと言う表現が合っているのか分かりませんが、昨年末に買ったものがあります。

 iPod nano

 時代はiPod touchのようですが、持ち運びが苦にならない、仕事の画像も持って歩ける、という2点で決めました。

 一番の動機は、旅先でのんびりと好きな音楽を聴いてみたかったのです。上に置くだけで良い、小さめのスピーカーも買いました。

 たまたまの頂き物のiPod shuffle でアップルに触れ、支持される一端を感じました。例えばOSで、なぜWindowsを使わないか正直分からなかったのです。

 一言でまとめるのは無理が有りますが、媚びずに、機能美を追求したものが支持される証明でもあります。

 折しも、スティーブ・ジョブスが体調を崩しているとのこと。彼の言葉を思い出します。

 デジタル化、データ化が全て素晴らしいとは思いませんが、自分のCDを、好きな場所で全曲から選べるのは、凄いことに変わりありません。

ゆるゆると正月

 今日はすっきりと晴れました。気持ちの良い仕事始めです。

 元旦は朝から実家に行きました。

 年始の挨拶を済ませ、朝の内に近所の神社に初詣。

 戻ると少し早い昼食は、母が作ったおせち料理です。

 雑煮の餅はあんこ入り。母の出身の香川のもので、大阪の人は驚くのですが、以外に美味しいのです。

 長男と父は将棋の真似事を始めました。

 ほのぼのとしたものです。

 あくる1月2日の朝から、白浜に向かいました。

 海は荒れていましたが、風が強く空気は澄んで、冬の南紀もいいものです。

 白浜アドベンチャーワールへも行きましたが、1歳にならない娘は寒いだけ。

 イルカとクジラは怖かったようです。泣いていても、娘は可愛いだけです。

 長男とは年末に父に買って貰った自転車で、初のツーリングです。

 車通りの少ない、海岸沿いの道を行って帰って2時間。

 知らない間に随分体力がついていまいた。その後は3時間昼寝していましたが。

 正月気分は昨日まで。今日から全力始動です。

決意表明

 新年、明けましておめでとうございます。

 2009年の第1回目は、1月1日木曜日。何か気持ちの良いものです。

 昨年末、12月30日に2回目の同窓会がありました。2人の先生を迎え、46名が参加。会の世話役と事務局をしていたので、盛会で終えることができてホッとしています。

 中学、高校の6年間を過ごした母校は進学校でした。自慢できたことでは無いのですが、そこでの私の成績はいつも下から数えて数番目。

 在学中「守谷、高校は義務教育じゃないんやから、勉強が嫌いやったらいつでも辞めていいんやで」と何回か言った先生がいました。それが、1回目に続いて参加してくれたT先生だったのです。

 「勉強は嫌いじゃないけど、確かに成績は悪い。それならここを辞めて大検でもとるかな」と思っていた時期もありました。結局そこまでの勇気は無かったのですが。

 先生は当時36歳。初めて6年間、同じ生徒を持ち上がっている時で、教師としての真価が問われていたそうです。要するに燃えていたのです。

 先生はスピーチで「最近の生徒は少し大人しくなりました。でも優秀。私が今言っている事は、当時と随分変わりました。扱い易い訳でない生徒もいましたが、君たちに教えて貰ったことも沢山ありました」と。

 その後、招いた側としてお礼に行くと「君のおかげで、僕の教育観は随分変わったよ。今の保護者には-少々問題があっても、ここに入ってくる位のお子さんは、絶対なんとかなります。何とかするものなんです-って言ってるんや」と言って、私の事を話すのだと。

 お酒が入って、相当なリップサービスだとしても、大変に光栄でした。仕事人として認めて貰った事がとても嬉しかったのです。

 在学中に辞めていいと言われた時「そうか人は自由なんだ」と知りました。どんな事も人のせいには出来ないのだと。ようするに行く場所がある事に甘えていたのです。

 私が一番大切だと思っているのはバイタリティー。どんな時にも諦めない、強い気持ちです。毎日振り切って、粘り強く日々頑張る事を決意しました。

 長くなってしましましたが、新年の決意表明にしたいと思います。

 本年もどうぞ宜しくお願い致します。