一級建築士

 最近話題に上らない日の無い構造計算偽造問題。被害に遭われた方には掛ける言葉も見当たらない程、気の毒に思います。この件に触れない訳にはいかないので販売会社、施工会社のこともありますが、まず設計について思うところを。

 

 

 

 

 その前に鉄筋コンクリート造って何でしょう。

 強い構造体を作るため、圧縮力に優れたコンクリートと、引っ張り力に強く粘りのある鉄筋の特性を合わせて出来た構造なのです。逆に言うと互いの弱点をカバーしているので、いずれかが欠けると不安定なものとなってしまう訳です。

 コストダウンの為に構造計算書を偽造し、鉄筋量の減らされた柱や梁は専門の人間が見れば誰でも分かる程、細く薄かったと言います。その不安定で巨大な建物がもし崩壊すれば凶器と化すのです。専門家としての立場を利用し、不当な利益を得るため不正を働いたのですから、これは一級建築士がどうとかいうレベルの話では全くないと思うのです。

 「生活の為にしかたなく・・・・・・」と。人の生命を危険にさらしまで得てよいものなどあるはずも無く、今の日本で生活するだけなら方法はいくらでもあったでしょう。もし目指すものが高いのなら、先にパンを得ることを考えるのではなく、社会に求められる人間となるよう精進するべきだと思います。

 私にとって建築設計は仕事ですが、ただそれだけではありません。人の命や生活を守り、育むためにある建築を、設計出来るこの仕事を心から愛しています。良い建築を創れば街や社会にも貢献することもできるので、その遣り甲斐はとても大きなものです。本来仕事とは、自分自身を磨く修練の場を与えてくれるかけがえの無いもののはずです。

 しかし建築はその大きさゆえ多くのお金がかかります。貴重な財産でもあり、大きなビジネスとしての一面も持っています。その全ての元となるのが設計なので、関わる者は道徳感、倫理感そして哲学をも求められると考えています。その上で、クライアントの大きな期待を背負い、応え、上回ることは簡単ではありません。

 私も一級建築士ですが、今回の事件でその資格を汚されたとか、信用を失ったとかいう事には全く興味はありません。資格は必要最低限の証明書なのでいろんな人がいます。そもそも、人は資格などといいう小さなものに頼るべきではないと思います。
ただ思うのは、建築を愛さない人に建築設計には関わってもらいたくないという事だけです。今回のことをきっかけに設計者というパートナーを選ぶ時、資格や周りの状況などに囚わされず、人自身を見て判断されるようになる事を望むのです。