名前はなんとなく知っていました。
私の少年時代は歌謡曲全盛でしたが、作詞のクレジットでよく名前を見たものです。
作詞家・作家の阿久悠さんが、毎週土曜日の朝刊にコラムを書いています。
時に辛辣な意見もありますが、私にとっては共感し考えさせられる言葉が多くあります。
枯れる時には枯れ、朽ちる時には朽ちる。
それが生き物の礼儀である。
人間は有限の生命体でしかも、消滅するのではなく衰弱するように出来ている。
2005年 11月5日 産経新聞朝刊より
心のどこかにあるものを、誤解を恐れず言葉にする姿は勇ましくもあります。それが膨大な数のヒット曲を生み出した作詞家の凄みなのでしょうか。
私が初めて歌謡曲に触れた6~8歳に限っても彼の凄さが分かります。
なんとこれでもほんの一部なのですが。
1976年
「嫁に来ないか」/唄 新沼謙治
「青春時代」/唄 森田公一とトップギャラン
「ペッパー警部」/唄 ピンク・レディー
「S・O・S」唄 ピンク・レディー
「津軽海峡・冬景色」/唄 石川さゆり
1977年
「カルメン’77」/唄 ピンク・レディー
「勝手にしやがれ」/唄 沢田研二
「渚のシンドバッド」/唄 ピンク・レディー
「気絶するほど悩ましい」/唄 Char
「ウォンテッド(指名手配)」/唄 ピンク・レディー
「UFO」/唄 ピンク・レディー
1978年
「サウスポー」/唄 ピンク・レディー
「ダーリング」/唄 沢田研二
「林檎殺人事件」/唄 郷ひろみ、樹木希林
「モンスター」/唄 ピンク・レディー
「透明人間」/唄 ピンク・レディー