阪急梅田駅の歴史

また大阪梅田のお話。阪急百貨店が営業しながら改築するという、ややこしいことになっています。

西に阪急百貨店、東に阪急グランドビル(32番街)の間のコンコースも半分は工事中でした。9月13日より、解体工事も始まっています。

知っている人も多いかもしれませんが、この空間は初代阪急梅田駅のホームでした。

初代梅田駅は昭和4(1929)年、世界で初めて百貨店を併設する駅として建設されます。駅の施設はグランドビルの部分にありました。

(写真:旧ホーム跡-下・写真のレトロドームから現在駅のある北側を見る)

昭和4年当時の建物で、現存しているのは阪急百貨店と旧ホーム跡、コンコース南のシャンデリアがあるレトロなドーム部だけです。

この最南端部にあるレトロドームは旧駅の待合室でした。

設計は平安神宮や築地本願寺なども手がけている建築家・伊東忠太によるもので、壁上部にあるモザイク画やシャンデリアも彼のデザインです。

(写真:旧駅の待合室-レトロドーム)

その後、昭和45(1970)年の大阪万博の頃、駅拡張のため梅田駅を現在の場所に移す計画が持ち上がります。

その際には伊東デザインのレトロドーム部のみ阪急百貨店と共に解体を免れました。

そして昭和46(1971)年、駅はJRを越えた北側の現在地に大移動します。駅が遠くなったのでJRガード下には日本で初めてムービングウォークも設置されました。

旧ホーム跡の金属ドームや列柱は、最南端にあるレトロドームと新しい駅の手前にあるムービングウォークを繋ぐ為に考えられた苦肉の策だったのです。

映画「ブラック・レイン」で故・松田優作がこの旧ホーム跡に登場したシーンは記憶に残るところ。

私が通りがかった時には、もうレトロドームと壁画は工事の為塞がれていました。苦心の結晶である金属ドームと列柱のみ、見ることができました。

今回の改築でレトロドームの壁画のみ保存されるようですが、梅田の景色は大きく変わることになります。旧ホーム跡が様変わりすることを惜しむ声も大きいのです。

街や商業施設は変化して行くのが常です。しかし、中学1年生から7年間、毎朝通学でここを通った私もこの景色には愛着があり、変わってしまうのは寂しいものがあります。

34年前の駅移設の際も完成の後、長い間非難の声が大きかったようです。

しかし、苦心の跡は見てとれます。その結果、旧ホーム跡は大阪の風景となりました。

新しく生まれ変わる阪急百貨店と旧ホーム跡も、時間とともに文句の多い関西人に愛されるような空間となる事を願います。街の風景となり得るような。