桂離宮 そして タウト

 

 

 

 

 阪急電車の桂駅から20分ほど歩いた所に桂離宮はあります。宮内庁管轄の施設でも一番人気で3ヶ月前に予約して参観してきました。

 
桂離宮は1662年に完成した皇族の別荘で最高の日本庭園と言われています。ドイツを代表する建築家、ブルーノ・タウト(1880~1938)が絶賛したこともあり、世界的な評価も非常に高く、当日の参観者も1/3は外国の方でした。

 

 

 

 

 タウトはナチス政権を嫌いスイスへ、1933年に日本へと亡命しました。世界大戦へと向かう中で日本文化に巡り会います。桂離宮だけでなく伊勢神宮、飛騨白川郷、岐阜高山の民家など、伝統的な日本の建築美に触れました。

 それぞれの場所で簡素で合理的、かつ繊細な美しさを絶賛しています。タウトは日本の美を世界に伝え、日本人にも再確認させた、偉大な恩人と言えるかもしれません。

 

 

 

 

 「それは実に涙ぐましいまで美しい」タウトが桂離宮を訪れた時に残した言葉です。確かに桂離宮は、他の日本庭園と比べると、非常に秩序高い、厳しいまでの美しさがあるように感じます。

 気になっていた事があったので、案内してくた宮内庁の方に質問してみました。

 

 

 

 

 

 

「桂離宮、修学院離宮、仙洞御所の建設は、何故1600年代の中頃に集中しているのですか?」。「徳川幕府になって、皇族は政治から遠ざけられました。おそらく建築や造園に心血を注いでその威光を示したかったのだと思います」という答えでした。宮廷文化であるのに、涙ぐましいまで美しいのは、そんな背景があったからかもしれません。

 約3年半の日本滞在の後、タウトはトルコに旅立つのですが最後に「われ日本文化愛す」という言葉を残したそうです。日本人なのに気づかない美しさや文化はたくさんあります。日本人だからこそ、気づかない事も。