ゴッホとペリ

 先週末、大阪の中之島にある国立国際美術館に行ってきました。目的は2つあって、1つは「ゴッホ展」。もうひとつは、シーザー・ペリ設計の国立国際美術館そのものです。

 ペリは日本の竹をイメージして、エントランス部をデザインしたようですが、私には昆虫のように映りました。彼は、世界の最前線にいる建築家で、面白い建築をいくつも手がけています。関西なら、大阪NHKも彼の作品です。その上で言えば、写真で見るような竹の繊細な感じは受けませんでした。

 以前読んだことがあるのですが、日本人は世界で一番「印象派」が好きな民族だそうです。とりわけゴッホ人気は強く、彼の作品がバブル期に凄い値段で、日本人が競り落とした事は、世界的なニュースになりました。しかし、そういう私も日本人だからなのか、ゴッホが大好きです。

 今回、有名なところでは、「夜のカフェテラス」が来ていました。ゴッホの良さを語るのは野暮なことですが、私の経験で言えば、力強い黄色で描く、ひまわりや麦畑は、どんな空間に置かれても、常にひときわ輝き、その空間を支配していました。今回ならカフェテラスを照らす光を黄色(ゴッホは硫黄色と淡いレモン色と言っている)で描かれていていたのですが、夜空の紺色が、その光をいっそう引き立てていました。私はその黄色が見れれば、目的のほとんどは、果した気分になります。

 ゴッホは、その鮮やかで躍動感のある色使いとは裏腹に、生前は本当に評価の低い、孤独な画家でした。理解者も弟のテオくらいで、最後にはピストル自殺で生涯を終えます。

 「残念だが、私の作品が売れないのはどうしよもないことだ。いつの日か、人々がこの作品についている値段以上の価値があることがわかるだろう」という言葉を残しています。

 不遇の天才は、そのもどかしさの中でも創作を続けました。そして現実は、彼の言った通りになりました。彼だけは、自分作品の素晴らしさに確固たる自信もをもち、人がなんと言おうと、そのスタイルを貫き通したのです。自ら命を絶つ程までに・・・・・・

 それが「孤高」「情熱」「炎」の画家と言われるゆえんで、私達はそんな彼の人生も作品の後ろに見ているので、より思い入れが強くなるのかもしれません。