私の魚-釣キチによる年末の回想-

 今年も休日は可能な限り、釣りに行ったのでかなりの回数になりますし、相当な数の魚を釣ったことになると思います。ですが、今年一番記憶に残っている魚は、やはり逃がした魚です。

 それは、今年の最終釣行の1回前、11月の中旬、かなり寒くなってからのことでした。事前情報は、急激な冷え込みで、状況はたいへん厳しい。けれども、もし釣れれば大物。岸際の倒木などの障害物の中のほうに魚が隠れており、一日中、そんな場所を狙って投げ続ければ、可能性があるというものでした。

 夕方まで、投げて投げて投げまくって、数千回、その時は唐突に訪れました。岸から、倒れた木が複雑に交差している木の間にルアーを投げ込んで、少しアクションを与えた瞬間、ブルッ、ブルンブルンという生命感が、明確に大きく、伝わってきました。9時間投げ続けて初めての”アタリ”。

 反射的に竿を大きくあおり、針をしっかり食い込ませ、素早くリールで巻き取ろうとすると、なおグングンと水中に潜ろうと抵抗します。強引に巻き上げて来ると、水面近くで反転した魚影がギラっと光りました。「デカイっ!」その直後、大きな魚体を躍らせて水面を割って大きくジャンプ。その姿は山間の低い夕日を浴び、水しぶきと共に、キラキラと光り躍動していました。が、糸が少し緩んだその瞬間、魚は頭を大きく左右に振り、針は外れ、バシャンと大きな波紋を残し、再び水中へと消えて行きました。

 逃がした魚は大きいと言いますがゆうに50センチは超えていたと思います。

 しばし呆然とした後、誰もいないのを確認したあと、ボートのデッキを踏み鳴らして、悔しさのあまり咆哮していました。帰りの車のなかでも、その光景と後悔の繰り返し。「なんで、一瞬緩んだんやろ、強引に取り込めへんかったんやろ・・・・・」数日間、同じことが繰り返されるのです。

 今でもその引きの感触は手に残っていますが、悔しさは薄れ、あの魚への愛おしさへと変わっています。そして、これからもずっと私の心の中で泳ぎ続けるんだと思います。

 これが今年一番記憶に残る「私の魚」です。

 この感情が異常なものと思わないひとは、間違いなく釣りキチです。それ以外の人は、「こんな人もいるんだ」くらいに思ってそっとしておいて下さい。