カテゴリー別アーカイブ: 05 芸術・エンターテイメント

シャガール

 昨日は、「池を望む家」の写真の撮影に行っていました。

 竣工したのは1年3ヶ月前。隣地の工事の関係でこの時期になっていたのです。撮影の件は現場日記に書くとして、こちらのお家には絵画が飾られています。

 その中にシャガールがあったのですが、「私と村」が加わっていました。牛と人が向かい合う、原色の多い、自由な表現の作品です。聞くと、東京のMOMA(東京国立近代美術館)で買われたのこと。

 マルク・シャガールはロシアの出身で、20世紀を代表するす作家であるのは間違いありません。

 作風は変化して行きますが、キュビズムの影響を受け、浮遊感のある絵が特徴的です。

 小さい頃、母に連れられて色々な展覧会に行ったのですが、大学生になり初めて自分で好きになった画家がシャガールでした。まずは色使いに惹かれました。

 多くはないのですが、青を多く使った作品がとても気になりました。ロシアの風土も影響しているのか、若かった私には、大人の憂いを感じたのです。

 カンディンスキー、ピカソ、ゴッホ、青の美しい絵は沢山ありますが、ややぼんやりとした、シャガールの青が一番好きです。

 どれくらい好きだったか。大学生の頃、絵の隅にあるシャガールのサインを見て「かっこいい」と思いました。マルクシャガールの出だしはma。それを真似て、自分のサインの練習をしたのです。

マイケル・ジャクソン『This is it』 

 昨年の6月。に急死したマイケル・ジャクソン。ロンドンでの公演を1ヵ月後に控えていました。直前リハーサルの映像を集めたドキュメンタリー映画が『This is it』です。

 何とか劇場で観たいと思っていました。アンコール上映も終了間際。滑り込みで間に合いました。

 スリラーのミュージックビデオリリースが1983年。特別なファンという訳ではなかったのですが、中学生だった私も繰り返し見ました。時代は、海外の映像が頻繁に日本で紹介され始めた頃です。

 通学の電車の中。初めて買ったウォークマンで色々な洋楽を聴きました。その中にはマイケルの曲も。洋楽体験の入口に、彼の曲があったのです。

 『This is it』ツアーの監督が、この映画の監督も務めています。

 リハーサル中、序々に熱を帯びてきたマイケルのダンスパフォーマスに、競演者達が盛り上がる場面があります。それに応えるように、マイケルも更に熱の入ったパフォーマンス繰り広げます。舞台の下で、競演者達は更に熱狂します。

 監督は「まるでrock’n rollの教会だ!」と。皆に応えるマイケルは、ほとんど息が乱れていませんでした。観客の前に、世界の一流が集まったスタッフを、完全に魅了していたのです。

 高音、雄たけび、うなるような低音、天使のようなささやき。ありとあらゆるダンスのバリエーション。よろめいたり、バランスを崩す場面など一瞬もありません。細くしなやかな体は、毛先までがコントロールされているかのよう。惰性のないその動きは小気味よく、観ているだけで快感を覚えるのです。

 死因には、麻酔や睡眠導入剤などがあがっています。映像には亡くなる数日前のものもありますが、そんな事は微塵も感じさせません。それどころか、50歳とは思えない軽快でシャープな動きでした。

 晩年は様々なスキャンダルにまみれましたが、今あるのは、彼のステージは永遠に見れないという後悔だけです。同じ時代に生き、チャンスがあったにも係わらず。リハーサルであのステージ。やはり見るなら超一流だと思ったのです。

 映画の終盤、スタッフと団結する場面で、マイケルは皆に語りかけます。

 「観客は日常を忘れる体験を求めている。未知の領域へ連れていこう」 

  King of Pop

 その称号に、亡くなる前とは違う重みを感じるのです。

ひらパー兄さん

 先週の後半は、寒い日が続きました。

 土曜日夜、家に帰ると、食卓の上にひらかたパークの入場券が3枚。子供がずっと行きたいと言っていたので、妻がどこかで入手したようなのです。

 日曜日は快晴でした。

 長男の保育園で「ひらかたパーク」というより、「ひらパー兄さん」がしきりに話題に出るようなのです。 

 何年振りに来たでしょうか。

 もっと小さい遊園地をイメージしていましたが、手頃な大きさでした。少し調べてみると、1910年から日本最古の歴史を持つようです。

 入園料が1300円、子供700円。フリーパスが3000円と1500円。セットで買えば、少し安くなります。

 噂のひらパー兄さん。いたるところにいらっしゃいました。

 ひらかたパークは京阪電鉄が経営しており、USJに次ぐ来場者があるようです。

 多くの遊園地が閉鎖される中、これは立派な結果です。

 しかも、片やウッドペッカー、片や小太りの中年芸人なのです。(失礼!)

 ブラックマヨネーズの小杉竜一、36歳。およそイメージキャラクターには程遠い感じですが、憎めないルックスとその体系からか、子供からは圧倒的な支持を受けています。

 誰が人選し、最終決定したのか、勿論分りませんが、なかなか出来ることではない気がします。

 もし、少しでもUSJとイメージで張り合おうとか、微塵でもある程度のルックスを求めたら、これ程の成果は出なかったと思うのです。(更に失礼!!)

 一昨年、同じくM-1の覇者NON STYLEが、他の遊園地のイメージキャラクターを務めていました。

小津

 この連休に訪れた蓼科。

 八ヶ岳からの緩やかな稜線は、日本離れした景色で、ひととき日常を忘れさせてくれます。

 「信玄の隠し湯」と言われる温泉があったりと、古くからの湯治場として栄えていました。

 大正時代からは、リゾート地としての開発も盛んになります。

 八ヶ岳連峰のひとつ、横岳から西を望むと、蓼科高原を見下ろせます。諏訪盆地のむこうには御岳も。

 この地を愛した文人に、映画監督・小津安二郎がいます。
 
 「東京物語」「秋日和」など、前から気になっていましたが、まだ観れていません。

 それでも、戦前、戦後の日本映画界を支えた、巨匠であることは知っていました。晩年の名作は、全てこの地で構想を練られたものなのです。

 彼の仕事場だった茶室は残っていませんが、別荘として借り受けた「無藝荘」は当時のまま保存されています。冬季なので外からしか見れませんでした。

 茅葺屋根の建物も見てきましたが、最も人を感じ、美しい建物でした。今度は是非内部も見たいと思います。

 彼はこんな言葉を残しています。

「どうでもよいことは流行に従い、重要なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」

 全て自分に従ったのか、道徳に従った部分もあるのか、それ以外の部分もあるのか。映画を観てみたいと思うのです。

24-TWENTY FOUR- シーズン7

 年末頃から、映画を観に行きたいと思っていますが、まだ実現していません。

 代わりと言っては何ですが、『24 シーズン7』を観終えました。

 「24-TWENTY FOUR-」は、24時間リアルタイム進行がメインコンセプト。シリーズも7作目になる、アメリカの大ヒットドラマです。

 内容には触れませんが、このドラマで初めて知ったキーファ・サザーランドはなんと言っても素晴らしい俳優です。

 彼の演じるジャック・バウワーは、アメリカ国民を救うために自らの命を顧みず働きます。コンセプトが秀逸だとは言え、観ている間は、この超人が実在している気にさせるのですから。

 「白い巨塔」以来日本のドラマを観ていないので、あまり言えませんが、比べると、やはりキャラクターが分かり易すぎる気がします。美男美女に、ベビーフェイスにヒールと、あまりデフォルメする必要は無いと思うのです。

 「24」にも美男美女、悪役と出てきますが、普通の人(に見える俳優)も多く出てきます。何より、キーファ・サザーランドも、絶世の美男子とは言えません。

 多くの登場人物の役割は、観た瞬間に分かるものではありません。しかし、後々「あ~やっぱり」となるような、絶妙な構成なのです。

 簡単に区分けするのは乱暴かもしれませんが、そこには観る側への期待と言ったらいいのか、そういうものが薄い気がします。逆から言えば、観る
側の想像力を求められていないので、感情移入し難いと思うのです。

 ここ数年、韓流ドラマもブームですが、こちらはどうなのでしょう。アメリカよりなのか、日本よりなのか、全く別物なのか。興味のあるところです。

 競馬好きで有名だった劇作家・寺山修司は、記者からその勝ち負けを聞かれて

「なぜ平均する必要があるのか。あんたの人生は平均すると笑ってますか、泣いてますか」

 と言いました。彼はこうも言っています。

「物語は半分作って、後の半分は観客が補完して一つの世界を作っていく。余白が無いといけない。それが演劇の可能性だ」

 ここに、エンターテイメント、芸術の本質があると思うのです。

ブロック

 今日は気持ちの良い秋晴れでした。

 一日、竣工したばかりの写真スタジオへ、撮影に行っていました。ここのところ天気が良かったので、正直に言うと、今日にとっておきたい気分でした。

 撮影の日ほど、天気に気をもむことはありません。

 営業しながらの撮影だったのですが、お店の協力を得て、何とか無事終えることが出来ました。

 今はひとまずホッとしています。

 昨日は、東条湖にある、おもちゃ王国に行って来ました。

 折角だったのですが、子供たちは、ほとんどブロックのコーナーにいたのです。

 と言うことで、頑張って作ってみました。

 帰りは妻に運転して貰い、ほとんど寝ていました。

 街路樹のカエデが色づいていました。さて、実りの秋となるかどうか。

大男たちの挽歌

今回は特定の人へ向けた番外編です。

今週日曜日の早朝、用があって実家に寄りました。ポストから新聞を取り出し、食卓の上に置くと、スポーツ新聞の一面に「三沢死す」の文字。

プロレス団体、ノアの社長で、トップレスラーでもある三沢光晴が試合中に亡くなったのです。

小学生の頃からプロレス好きで、金曜8時と土曜7時が待ち遠しかったものです。中学生から25、6歳の頃までは、ずっとプロレス雑誌も買っていました。

プロレスというジャンルは、アラを探せばいくらでも出てきます。ルールもあって無いようなもの。その分、解釈も自由で、楽しもうと思えばいくらでも楽しめるのです。

プロレスファンへ良くある質問に「どうせ八百長なんやろ?」があります。それにはこう応えていました。「プロレスは対戦相手との真剣勝負ではなく、観客との真剣勝負なんだ」と。自分、相手の体を痛めつけ、観客に喜んで貰う究極のサービス業(行?)なのです。

昨今の格闘技ブームもあって、プロレス人気は急落しています。三沢率いるノアもテレビ番組が打ち切られたばかり。いま一時の三沢への評価は別にして、集客力の落ちたプロレスに対するメディアの評価は冷たいものです。

そういう私も、随分前からほぼ見なくなりました。私が好きだった昭和のプロレスは、雑誌から得る限られた情報で、あれこれ想像する楽しみがありました。

猪木、藤波、長州、タイガーマスク、ハンセン、ホーガン、前田、高田、船木、天龍、川田、ベイダー、ゴッチ、テーズ、レイス、フレーアー、へニング、スヌーカー……

それぞれの選手に、それぞれのストーリーがあったのです。仮にそれが虚像であったとしても。

誰も望んでいませんが、三沢は命を掛けていた事を証明してしまいました。思えば、大好きだったレスラーの多くが、若くしてこの世を去りました。

ブルーザー・ブロディー、アンドレ・ザ・ジャイアント、テリー・ゴーディー、C・バンバンビガロ、ホーク・ウォリアー、ジャンボ鶴田、冬木弘道、橋本真也、そして三沢光晴。

これ程の高度情報化社会はいったい何を残したのでしょう。イマジネーションを膨らませる、余白の部分を大きく取り上げてしまったのではないのでしょうか。これからプロレスを見ることは、ほぼ無いかもしれません。

リング上でしか自分を表現できない、不器用な大男達。その歓喜と悲哀を見るのが好きでした。安らかに……

猪木vsアリ

 今日はとてもマニアックな話し。しかも長いのです。

 最近でこそ観なくなりましたが、小さい頃からプロレスが大好きでした。金曜日の夜、8時からのテレビ中継を心待ちにしていたのです。タイガーマスク、長州力、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント……。アントニオ猪木率いる新日本プロレスです。

 先日、33年振りに再放映された「アントニオ猪木モvsモハメド・アリ」。権利の問題で、今まで流せなかったようです。当時5歳の私は記憶にありませんが、話はよく聞きました。
 出来るだけ簡単にまとめると……

 ボクシング、世界ヘビー級王者のモハメド・アリは強さと華麗さを備えた、出色のチャンピオンでした。加えてビッグマウス(大口たたき)でも有名。「俺に挑戦する東洋人はいないか?」といつもの調子でリップサービスしたのです。

 その発言に対してアントニオ猪木は、挑戦状を送りつけます。世界的には無名なレスラーと対戦するメリットは非常に少なく、アリ側の反応は鈍いものでした。一方、世界のメディアにアピールする手法で、猪木側は煽り立てます。

 無視できなくなった、アリ側と何とか調印にこぎつけます。初めはエキビジョンマッチと考えていたアリは、公開スパーリングで本気の猪木を見て、様々なルール改正を要求。その条件を飲まなければ、帰国すると言い出します。このビックイベントをキャンセル出来ない猪木側はその条件を受け入れるのです。

 立った状態でのキック禁止、投げ技、関節技の禁止、頭部への攻撃禁止等など。しかもアリ側はそれを、マスコミに公表しないことまで要求します。

 がんじがらめのルールですが、1976年6月26日、何とか実現にこぎつけます。やむなく取った戦法が、寝転んだ状態で執拗にキックを放つ、俗に言う「アリキック」だったのです。

 多くの時間を、寝転んだ状態の猪木をアリが挑発する事に終始し、結果はドロー。「世紀の凡戦」と酷評されます。しかし、その後アリはキックによるダメージで入院。加えてルール問題などの事実関係が分かるにつれ、評価は一転するのです。

 後日談も「アリはグローブの中に何か入れていた」「猪木はシューズの中に鉄板を入れようとしていた」等など。想像力を書きたてます。

 再放送の試合はダイジェスト版でしたが、いまや伝説のチャンピオンであるアリの動きが徐々に鈍くなり、表情に余裕の無くなって行く姿は、緊迫感に満ちたものでした。間違いなく歴史に残る名勝負でした。

 現在はニュースキャスター、その礎をプロレス中継のアナウンサー時代に築いた古館伊知郎は、猪木を多くの形容詞で飾りました。「燃える闘魂」「過激なダンディズム」「男のロマン」など。

 プロレスという市民権を得にくいジャンルを「何とかメジャーに」と戦った男のロマンを感じたのです。

何時でも何処でも

 年始の挨拶も一段落というところでしょうか。

 年甲斐も無くと言う表現が合っているのか分かりませんが、昨年末に買ったものがあります。

 iPod nano

 時代はiPod touchのようですが、持ち運びが苦にならない、仕事の画像も持って歩ける、という2点で決めました。

 一番の動機は、旅先でのんびりと好きな音楽を聴いてみたかったのです。上に置くだけで良い、小さめのスピーカーも買いました。

 たまたまの頂き物のiPod shuffle でアップルに触れ、支持される一端を感じました。例えばOSで、なぜWindowsを使わないか正直分からなかったのです。

 一言でまとめるのは無理が有りますが、媚びずに、機能美を追求したものが支持される証明でもあります。

 折しも、スティーブ・ジョブスが体調を崩しているとのこと。彼の言葉を思い出します。

 デジタル化、データ化が全て素晴らしいとは思いませんが、自分のCDを、好きな場所で全曲から選べるのは、凄いことに変わりありません。

チャンピオンは

 今日は冬至。明日からは、もう日が長くなって行くのですから、季節はいつも先を行きます。

 仕事は今週までという会社がほとんどでしょうか。年末というのは、何故にこうもバタバタするのでしょうか。正直、子供は妻と、祖父ちゃん祖母ちゃんに任せっきりです。

 昨日も、実家に妻と子供が遊びに行き、弟家族もやってきて、遊んで貰うといういつものパタ-ン。夜迎えに行くと、今回は皆でケーキを作っていました。

 昼には長男が自転車をコマなしで乗れるようになりました。何とも有難い限りです。

 話し変わって、昨日は年に一度の「M-1グランプリ」。

 キャリア10年までの、日本一面白いコンビが決まる日です。好きな人にはたまらない番組。

 前評判は本命キングコング。私は①ナイツ、②ザ・パンチが押しで、心情的には③笑い飯、④U字工事です。(ここは見る前に書きました、どうでも良いのですが念の為)

 で、優勝は……NON STYLE!

 私の予想は外れました。②で押したザ・パンチは、上がりすぎてちょっとかわいそうでした。ということは当然笑えることなく。①のナイツは最後の3組に残ってファイナリスト。敗者復活枠のオードリーは1番でもおかしくない程の大爆笑を取っていました。

 真剣勝負は大好きですが、お笑いという、それとは程遠いようなジャンルが何故こうも感動を呼ぶのか……。

 芸の力、笑わせるってホントにすごいと思うのです。