カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

冬の深夜の雨に、ブルーライト大阪‐2080‐

JR大阪駅は、大屋根に覆われているので雨の影響はほぼありません。

ここのところ、晴れ、雨と目まぐるしく天気が変わりましたが、土曜日は雨でした。

昨年終盤、琵琶湖の水不足がニュースとなっていましたが、少しは回復したでしょうか。

木曜日の夕方、天王寺に出た際は晴れ空でした。

「a」を形どった阿倍野歩道橋から東を見れば、ビルの間から夕焼けの生駒山が見えていました。

先々週の日曜日に、センター試験が終わりました。

甥っ子が高校3年なので、勝負の年です。

我が家では、長男が昨年合格したので、残すは高校1年生の娘だけ。あと2年、何とか頑張って欲しいと願うだけです。

歩道橋の西側に、子供達が小学校の頃通っていた塾があるので、懐かしく眺めていました。

この日は遅くまで仕事をして、さあ家に帰ろうとアトリエを出ると、霧雨が降っていました。

寒い季節、夜の雨は誰しも避けたいところです。

手袋が布製なら染みてきますし、革製だと傷んでしまいます。

いつも判断に迷うのです。

そんなことを考えながら自転車をこぎ出すと、工事車両が何台も停まっていました。

阪神高速松原線がメンテナンス工事をしているようです。

そのブルーライトが、霧雨に反射し、まるでカクテル光線のよう。

何とも幻想的な雰囲気を醸し出していました。

とても美しかったのと、何となく春を感じ、ちょっと得をした気分で帰ってきました。

受験に成功するのが一番です。

しかし、失敗したからとて、命を奪われる訳でも、人生の敗北が決まる訳でもありません。

結果が出た後は、どんなことも面白がると決めるだけだと思います。樹木希林さんが教えてくれたように。

冬の深夜の雨にも違った良さがあることを、体感させてくれたブルーライト大阪でした。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

「ひのとり」で行く名古屋旅<後編>プレミアムシートで挽きたてコーヒーを‐2079‐

えべっさんも終わり、松の内も終了。

2024年の1月も、あっと言う間に後半戦に突入です。

近鉄特急「ひのとり」で行く名古屋旅はクリスマス前の12月23日。

ひつまぶしを食べた前編で終わっていました。

少し時間が空きましたが、後編は名古屋市役所前からスタートです。

熱田神宮から地下鉄で名古屋城まで戻りましたが、以前は「市役所前」という駅名だったと思います。

それは分かりやすくて良いのですが、有料エリアに入らないと、名古屋城があまり見えないのは残念。

ゲートの隙間から、まるで盗み撮りです。

東へ歩いて行くと、ネオ・バロック様式の名古屋市市政資料館が見えてきます。

以前は裁判所だった建物ですが、この前にある信号が凄いのです。

普通、押しボタン式信号は結構待たされるもの。

ですがこの信号、ボタンを押した瞬間に、赤に変わりました。

何かの間違いかなと思い、もう一度試しても同じ結果。

右折の早曲がりで知られ、「名古屋走り」という言葉もありますが、せっかちな名古屋人でも、この信号ならイライラする必要もありません。

かなり衝撃的でした。

このあたりは、武家屋敷が立ち並んでいたエリアでもあります。

「文化のみち二葉館」は、「女優第1号」と言われる、川上貞奴と「電力王」福澤桃介が暮らした和洋折衷住宅です。

福澤桃介は福澤諭吉に気に入られ、婿養子となった人。

川上貞奴は人気の芸妓でしたが、海外公演をきっかけに、日本初の女優となりました。

有名人同士のビッグカップルということになりますが、2人に相応しい、華やかな建物でした。

周辺には、古い建物が多く残っています。

こちらは自動織機で知られる、発明王・豊田佐吉の弟が住んだ豊田佐助邸。

1923年の完成ですから大正12年。

カトリック主税町教会の聖堂は1904年の完成なので明治37年。

このあたりは、戦争時の空襲が少なかったのでしょうか。

夕方になり、名古屋駅まで戻ってきました。

向かいに建つ、モード学園スパイラルタワーズは2008年の完成。

設計は日建設計ですが、いつ見ても圧巻です。

まだまだ紹介したい建物が多くありますが、またの機会に。

帰りの「ひのとり」がホームに入ってきました。

帰りは、プレミアムシートが予約できたのです。

レギュラーシートがプラス200円で、プレミアムシートが900円。

これだけゆったりしていたら、その価値は十分あると思います。

すぐ横にコーヒーサーバーがあり、挽きたてコーヒーが200円。

慣れた人は、マグボトルで購入している人もいました。

私的にはスタバよりこちらの方が好みです。

名古屋を16時に発ち、ゆっくり大阪まで帰ってきました。

子供が小さい時は、車一辺倒でした。

最近は夫婦2人で移動するなら、電車もいいなと思っています。

車は全てが自由ですが、電車には時間の自由はありません。しかし、空間の自由があります。

フェリーなどもそうですが、この魅力は大きいものです。

次に出掛けられるのは、2月の連休どちらかかな……などと夢想しています。

折角寒いので、久し振りに雪山もいいなと思ったり。そうなると車になりますが。

いずれにしても、「ひのとり」はとても気に入りました。

何より格好良いので、動画も上げておきます。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

日本の景色、日本の唄‐2077‐

先週木曜日は、初詣へ行った信貴山寺のことを書きました。

本堂からの景色も素晴らしかったのですが、折角なのでと600m上と表示のあった、信貴山城跡まで登りました。

急こう配の石段を30分程。

かなり息が切れました。

標高437mから奈良盆地を望みます。

信貴山は河内の大和を結ぶ要衝地で、何度か築城されているようです。

戦国時代には松永久秀が入城していますが、1577年に織田信長に攻められて落城。その後は廃城となりました。

この後、仕事を兼ねて奈良盆地を対角に横切り奈良公園あたりまで行ってきました。

写真で言えば左端あたりになりますが、手頃な大きさも奈良盆地の魅力のひとつです。

西名阪の天理ICで降りて北上します。

途中、歩道橋の残骸?がありました。

高度経済成長期、車からの安全を守るために多く作られた 歩道橋 ですが、維持費もかさみ、国も推進するバリアフリー化とは逆行するものです。

最近メディアを賑わしている芸能界のモラルもそうですが、常識とされるものが大きく変わっていく一例と言って良いでしょう。

ナビを見ていると、169号線の東に並行して走る県道を見つけました。

奈良盆地の西端を走る山麓線もそうですが、こういった立地の道路は景色が良いもの。

県道高畑山線も、想像通り大好きなタイプの道でした。

奈良公園の南、旧志賀直哉邸近くに車を止めて所要を済ませます。

その後、春日大社へも参ってきました。

下の禰宜(ねぎ)道を通って参詣。

禰宜は役職名ですから、言わば通勤路ということです。

私の通勤路とは趣が段違いです。

滅茶苦茶に男前なシカがいました。

参道の入口あたりは、まだシカものんびりムード。

しかし本殿手前からは、もの凄い人出。

こうでなければ、正月気分は盛り上がりませんが。

ご神木も、その歴史を十分に感じさせてくれました。

丁度昼時になったので、旧志賀直哉邸隣の「ギャラリー喫茶 高畑」でランチをしました。

子供達はカルボナーラ。

私たち夫婦はやみつきカレーのランチセットを頼みました。

どちらも美味しく、正月の観光地で1300円はかなり良心的。

観光地の食事で、がっかりするケースは良くありますが、こちらはお勧めです。

「人よりやや沢山歩く」が大事だと思います。

信貴山寺、春日大社と、寺社両方というかなり厚かましい初詣でしたが、これぞ日本という景色を堪能して帰ってきました。

昨日、八代亜紀さんがお亡くなりになったというニュースが報じられました。

デビューは1971年。

「舟唄」のヒットが1979年、「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞したのが1980年でした。


1970年生まれの私は、9歳、10歳の頃、リアルタイムで聴いていたのですが、テレビで演歌が普通に流れていた時代です。

私のiTunesにも、6000曲のうち10曲くらい演歌が入っています。

その中でも普段聴くプレイリストに入っているのは、八代亜紀さんの 「舟唄」 だけ。

昨年からファンになったチバユウスケさんもそうですが、ハスキーで歌の上手いシンガーが大好きなのです。

とても難しい曲ですが、カラオケで歌うことがあるくらい好きなのです。

子供達と車に乗っている時、何度か聴かせてみましたが、残念ながら賛同は得られませんでしたが。

歌と唄の違いは、ざっくり言えば、新旧の違いにあるようです。

ロックも、ポップも、ジャズも聴きますが、古都に似合う歌ではないでしょう。

できればそんな唄も残って欲しいと思います。

今晩は、「舟唄」を聴きながらしみじみ飲みたいと思います。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

信ずべき貴ぶべき、初詣‐2075‐

1月2日(火)の早朝。初詣に出かけました。

長男が帰省中です。

年末に体調を崩してしまい、残念ながら友人との予定は全てキャンセル。

ようやく熱も下がり、家族4人で出掛けることになりました。

娘のリクエストが景色の良い所で、探していると信貴山にある朝護孫子寺に行きつきました。

開運橋を渡っていると、朝日が昇ってきました。

眺めが良いだけに、本堂はかなり上に見えています。

朝護孫子寺は信貴山寺とも呼ばれ、一昨年の寅年は物凄い人出だったようです。

こちらは「世界一福寅」。

そう言えば一昨年、「おいでよハウス」のクライアントが、「信貴山の福寅をお迎えする」と言っておられました。

その時はこちらの存在を全く知らなかったのです。

朝護孫子寺(信貴山寺)のWebサイトにはこうありました。

今から1400余年の昔、聖徳太子がこの山で毘沙門天王をご感得され、大変にご利益をいただかれましたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったといわれています。その故事から、信貴山の毘沙門さまに寅の縁日にお参りすると、聖徳太子にあやかって良いご利益を授かるとして昔から信仰を集めてきました。

それで、いたる所に寅が鎮座しているのです。

ポストまで虎柄。

本堂まで上がってきました。

娘の期待に十分応える景色で、ちょっと怖いくらいの高さ。

奈良盆地を雲海が覆い、神秘的な景色でした。

やはり古刹に絶景ありです。

三寅の福に与うることができるという「胎内くぐり」。

アトラクションと言っては失礼かもしれませんが、多くの人が参拝してくれるよう、努力していることも好感がもてます。

朝早かった分、屋台はまだ準備中で、そこは不満そうでしたが。

聖徳太子は、後に物部守屋に勝利したことから、自らが刻んだ毘沙門天を本尊とし、信貴山寺を創建しました。

「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」という意味が込められています。

長男が帰省したさいは、やはり将来の仕事の話になります。

就職活動は随分早くなっているようで、あと1年くらいで、大きな方針を決める必要があるようです。

信ずべき貴ぶべきものは……

人生の分岐点でもあるので、よくよく悩めば良いと思います。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

2023年 暮れは元気にご挨拶‐2073‐

本日から、1月4日までの冬季休暇に入りました。

昨日まで打合せがびっしり入っていたので、先程年賀状を書き終え、投函してきました。

「今年も目一杯働いた」という充実感に少し浸りながら、2023年を振り返ってみたいと思います。

1月 飛び石に見る、クライアントの本気 IN「あの森のOHANA」‐1977‐

2022年の1月に、オープンした「あの森のOhana」

クライアントの本気を、1年点検で確認してきました。

2月 姫路の黄そば‐1983‐

8月1日にオープンした「ささき整形外科デイケアセンター」

定例打合せに何度も現地へ足を運びました。

その際の、ささやかな楽しみだったのが、姫路のえきそばでした。

えきそばだけでなく、「姫路の黄そば」は現地のソウルフードでもあったのです。

3月 祝・合格 盆と正月が一緒にやってきた‐1987‐

18歳の誕生日を迎えた長男が、無事第一志望の大学に合格してくれました。

誕生日に合格が分かり、我が家は盆と正月がやってきた以上の歓びに沸き返っていました。

そう言えば、すでに帰省して、高校時代の友人と我が家で忘年会を開いているはず。

東京での4年間を、実りのあるものにして欲しいと思います。

4月 真実はそこにあった?‐1998‐

 『かんさい情報ネットten.』に出演しました。

浅越ゴエさんの「お役に立ちます」というコーナーでしたが、テレビの現場は本当にマンパワーで持っていることが良く分かります。

5月 『住まいの設計』と「建築家」の関係‐2010‐

これまでに7軒の住宅を掲載して貰った『住まいの設計』が、63年の歴史に幕を下ろしました。

元編集長・鈴木さんのfacebookで知りましたが、本当に残念です。

「地元建築家がガイドする名建築」で、ナビゲーターに選んで貰ったことは本当に光栄でした。

休刊となってしまいましたが、私は紙の力を信じています。

6月 イメージのど真ん中を射抜けるよう‐2021‐

半地下の音楽室のある「没頭できる家」

完成は3月だったので、3ヵ月点検がありました。

音楽室に加えて、キャンプ場もあるこのお家。

竣工写真も上がっているので、はやくWebサイトを完成させなければ……

7月 テレビの中は歳をとらない‐2023‐

『大改造!!劇的ビフォーアフター』に出演したのは11年前ですが、時々BS等で放送されているようです。

それを観た人が連絡をくれ、知ることが多いのです。

工事関係者の人たちにも、作品集と共にテレビ番組のDVDを渡すことが多いですが、その映像を観て「若いですね~」と言われました。

もちろんテレビの中の私は歳をとりません。

8月 8月24日(木)朝5時、あの事件を目撃す‐2038‐

メジャーリーグにおいて、ウィンターシーズンの話題を全てさらったと言ってよい、大谷翔平選手のドジャース入団でした。

結果的に2度目の満票でのMVPも獲得するのですが、投手としての最終試合となった試合は衝撃的でした。

しかし、その後の試合でホームランを打つのです。

野球少年だった私も含め、全ての野球ファンに元気を与えてくれます。

来年、打者に専念した大谷劇場もまた楽しみです。

9月 ドローンの国家資格を取得して、3ヵ月内のバージョンアップを目指す‐2043‐

「3ヵ月内のバージョンアップがなければ、経営者として失格」とは、始道塾塾長の恩田さんの言葉です。

ドローンの国家資格を取得すべく動き出したのが9月でした。

釣り仲間の知人に紹介してもらったNCN DRONEの皆さんには本当にお世話になりました。

10月 還暦から3年勝負!のち、葛城の古民家で、十割そばと絶品天ぷら‐2056‐

1年前、偶然橿原市の信号で止まった所にあった「蕎麦屋 玉竹流」

入ってみると、とても美味しかったのです。

南阪奈道路の葛城IC近くに移転オープンした「十割そば 玉竹」は、料理、空間ともグレードアップしていました。

絶賛してお勧めいたします。

11月 変わる天王寺、西成。ただ、オールのっぺり反対派‐2057‐

仕事柄もあって、街歩きは大好きです。

創業の地ということもあり、愛着もひとしおな天王寺エリア。

西成も合わせて歩いてきましたが、良くなったところ、悪くなったところと、愛憎半ばといったところです。

ランドマークだった建物には是非敬意を払って改修してもらいたいものです。

12月 これは本物のロックだ!‐2071‐

ネットニュースをきっかけに初めて聴いてみた「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)」。

ダルビッシュ有選手の言葉を借りるなら、控えめに言って最高でした。

「没頭できる家」の音楽室で、高校の時以来でドラムを叩かせてもらいましたが、この歳になって、ロックに心震えることは想像していませんでした。

12月23日の夜に、私のホームレイクである池原ダムすぐ横の国道で、土砂崩れが起こりました。

1人の方の身元がまだ確認されていない状況で、ご家族の気持ちを考えると、本当に心苦しい年末になりました。

これが私だった可能性も十分にあり、尚更です。

2023年は、コロナ後1年目と言って良いと思います。

沢山のオファーを頂き、多くの新規プロジェクトが進行中で、大きく時代が動き出したことを実感します。

いつ、どこで、何が起こるのか分からないのが人生です。

元気に働けていることに心から感謝して、身を粉なにして働く覚悟ですし、私にできることはそれだけです。

今年も残すところ3日となりました。

本年も、「ゲツモク日記」「ゲンバ日記」、また『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。

2024年も、皆さんにとってより素晴らしい1年となることを確信しております。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

ひのとりで行く名古屋旅<前編>ひつまぶしを食す‐2072‐

クリスマス前の22日土曜日。

たまには妻孝行をと、近鉄特急で行く名古屋旅です。

上本町を朝7時3分に発つひのとりを予約しました。

レギュラー席なら特急料金プラス200円で乗車できます。

全席にコンセントがついているので2時間の電車旅がより快適です。

9時に名古屋駅に到着。慌ただしく地下鉄を乗り継ぎます。

足早に向かったのは、宮の渡し歩道橋すぐ近くの「あつた蓬莱軒」本店。

9時47分にはこれだけの行列ができていました。

到着すると45番目。

10時10分頃から整理券の配布が始まり、11時30分で予約できました。

南に300m程下ると、歩道橋の名前にあった宮(熱田)の渡しがあります。

東海道では唯一の海上ルートで、桑名の宿まで七里の海路を指して、 七里の渡しと呼ばれることも多いよう。

城下町の玄関口でもあり、多くの旅籠屋も集まって大変栄えました。

常夜灯の先に伸びる堀川を遡っていくと、名古屋城につながっています。

物資の輸送路としての役割も大きかったのです。

昼食までの間に、熱田神宮を参拝してきました。

お店から北に1km程度です。

名古屋城あたりから南に延びる、標高8~15mの熱田台地の南端にあり、以前はすぐ目の前が海でした。

中国では東に蓬莱島があり、不老不死の仙薬があるとされていました。

熱田神宮はその蓬莱だと考えられていたようです。

大阪にも蓬莱はありますが、縁起のよい名前として使われるのでしょう。

大阪と名古屋の蓬莱ではかなり値段が違いますが。

途中にある信長塀。

桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願し、見事に今川義元を討ち倒しています。

信長躍進のきっかけと言っても良い戦になりました。そのお礼にこの信長塀を寄進したのです。

創建は113年。

三種の神器の1つ、日本武尊を救ったという草薙神剣が祀られています。

伊勢神宮に次ぐ、重要な神宮とされているそうです。

時間になったので、いそいそと戻ってきました。

いやが上にも期待は高まります。

それ程の待ち時間なくでてきました。

明治6年から継ぎ足されたタレに浸け、備長炭で焼き上げられた「ひつまぶし」です。

食べ方もメニューに記載されていました。

まず、うなぎで一杯のおひつをしゃもじで4等分します。

1膳目は、そのままうなぎの味を堪能。

2膳目は、薬味を加えて。


3膳目はお茶漬けに。

お茶漬けといっても、出汁茶漬けです。

そして最後はお好きなように、と。

もう何も言う事はございません。

カリフワで大変美味しゅうございました。

私的には、薬味全部乗せプラス山椒と、出汁茶漬けが双璧でしょうか。

じゅんさいの入ったお吸い物も、とても美味しかったです。

4600円の価値は十分あると思います。

ちなみに日曜日の方が空いているそうですが、12時頃に来た人も1時間先くらいの予約を確保できていました。

うなぎは匂いで売れと言いますが、大きな排気口から出る匂い付きの煙が、あたりに充満しています。

江戸時代、東海道を旅してきた旅人たちはもう我慢できなかったでしょう。

現在で言えば、いつまで私たちはうなぎを楽しむことができるのでしょうか……

熱田神宮と、鰻だけで随分長くなってしまいました。

次回、もう少し名古屋旅を書いてみたいと思います。

皆さん良きクリスマスを。


■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

八尾空港への引込路線でもあった阪和貨物線跡 ③杉本町駅~行基大橋‐2069‐

阪和貨物線跡をめぐる旅。

初回は大和路線の加美絵駅からスタートしました。


最終回は、終点の杉本町からさかのぼってみたいと思います。

阪和線の杉本町駅は、改札が北側にあります。

東には大阪公立大学の広大な敷地がありますが、その間を、分岐した阪和貨物線は通っていました。

紅葉した木の立っているあたりです。

東西を走る、府道住吉八尾線を横切って北に向います。

そこまで廃棄物が多いところは少なかったですが、ここは結構多いエリアでした。

北東に向かって伸びた線路跡は、緩やかに東向きに進路を変えます。

東へ向きを変えるのに、大阪公立大学から結構離れているのが分かります。

杉本町で降りたのも初めてで、大学構内も少しのぞいてきました。

大阪市立大学と大阪府立大学が統合され、大阪公立大学になったのが2019年。

公立大学はやはり敷地がゆったりした印象で、私学出身者からすると羨ましい限り。

駅前の食堂は、おかわり自由。

このあたりは私学も公立も同じですが。

住宅街、工場街を縫うように東へ進みます。

南北に走るあびこ筋と交差。

徐々に大和川に近づいてきました。

長居公園東筋と交差する行基大橋。

このあたりで完全に土手に沿うようになります。

唯一私鉄と交差するのが、近鉄南大阪線。

東住吉区矢田付近で、現役線路と廃線が交差します。

近鉄南大阪線の下を、阪和貨物線がくぐるトンネルが残っていました。

ごみ焼却場が見えてきたら、前回の終点、高野大橋はもうすぐです。

15時頃に出発しましたが、すっかり夕暮れになってしまいました。

そして、昔遊んだ高野大橋脇の土手に到着。

このあたりから、再び大和川と線路跡の間に、住宅などが立ち並び始めます。

阪和貨物線の前身は、戦時中に八尾空港へ物資を運ぶ引込路線だったようです。

それで、「戦時中は地図に載っていなかった」という記述を見たことがあった気がするのですが、その裏付けはとれずじまいでした。

私はいわゆる「鉄オタ」ではありませんが、他の交通機関と違う魅力があるのは分かる気がします。

土地に密着してできるものなので、安定感があるというか、物語りが濃いというか……

話が長くなってしまったので、省きましたが、杉本町付近の線路跡が、大和川からかなり離れているのには、大和川の生立ちとも関係しています。

もしかすると「鉄オタ」となれる才能があるのかもしれません。

私としてはかなり楽しく、よく運動できたので、また廃線を歩いてみたいと思っています。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

遊び場だった阪和貨物線跡 ②出戸駅~高野大橋‐2068‐

大谷選手のドジャース行きが決定しました。

選手としてのピークを迎えていることを考えると、実際にロサンゼルスへ観戦に行くか、そうでなければ観戦できる方法を考えなければなりません。

先日のサッカー日本代表の中継問題ではありませんが、最高レベルのスポーツが無料で観れる時代は終わったようです。

さて、どこと契約するか……

大谷選手は年に100億円を得る契約で、こちらは年に1、2万円を払う契約問題ですが。

前回、阪和貨物線は大和路線の加美駅と、阪和線の杉本町を結んでいた貨物線と書きました。

2004年に閉鎖されましたが、実際には大和路線の八尾駅が起点だったようです。失礼しました。

前回に続いて、平野川あたりから更に南に下ってみます。

このあたりは住宅街の中を通り、草に覆われているところが大半です。

ただ、中には駐車場などに利用されている所もあります。

購入できるのか、賃貸なのか分かりませんが、これだけの土地なので、JR西日本も何かしら利用したいところでしょう。

長吉出戸公園は、線路跡に対して駅のような位置関係にあります。

何か付帯施設があったのかもしれません。

もう少し南の長吉出戸2丁目あたり。

踏み切り跡のレールは撤去されていますが、10年くらい前まではレールも残っていました。

線路跡は南にまっすぐ伸びていますが、地下鉄の出戸駅上で長居公園通りと交差します。

その線路跡と道路の間にある、わずかな隙間に建てられたマンション。

間口は2mちょっと。

このマンション、以前も紹介してことがありますが本当に逞しい建物です。

南北に交差する長居公園通りが、高架になっているのは阪和貨物線を越すためです。

自転車も越えられるよう、巨大な歩道橋があるのですが、現在は閉鎖されています。

ということは、この高架も現在は無用の長物になってしまいました。

高架を通過した阪和貨物線は、ここから大和川沿いまで、更に真っすぐ南へ進みます。

柵の跡だったり、電気設備を置く基礎のような物も残っていました。

進行方向右手、西側に大阪市内最大の霊園、瓜破霊園が見えてきました。

瓜破霊園の外周に沿うように、緩やかに西に向きを変えて行きます。

そして、生駒山麓から流れてくる大和川に沿うように、土手の北側を大阪湾に向って進んで行くのです。

中高野街道と大和側が交差する、高野大橋までやってきました。

西を見ると少し先に、阪神高速松原線が見えています。

この辺りは、幼少期の遊び場圏内でした。

4つくらい上に近所の悪ガキを束ねるリーダーがいました。

小学6年生から小学1年生まで、10人くらいが集まり、いつも一緒に遊んでいました。

列車の通らない時を狙って、この土手で段ボールの草ソリをしていたことを覚えています。

いま考えると、かなり恐ろしいですが。

この悪ガキリーダー、ちょっと悪いことが大好きです。

阪和貨物のレールの上に釘を置き、ぺちゃんこにして手裏剣のようなものを作っていました。

もう完全に犯罪ですが、子供のころはそういったタイプが人気者なのです。

特に評判が良い訳でも、悪い訳でもない、阪和貨物線跡をめぐる旅の2回目。

ロサンゼルスから、超大阪ローカルの話で失礼しました。

折角めぐって来たので、もう1回だけお付き合いください。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

お召し列車も通った阪和貨物線跡 ①加美駅~加美鞍作‐2067‐

朝のジョギングコースは、気分次第でコースを変えます。

平野川を通るコースもお気に入りですが、上に線路が通っていることに初めて気づきました。

単線で柵もないので、あまり存在感が無く、気づいていなかったようです。

何より、電車が通っていないのが一番の理由でしょうが。

阪和貨物線跡でした。

平野川から500m程北上してきました。

大和路線とおおさか東線が交わるあたりに、加美駅と新加美駅があります。

阪和貨物線は大和路線の加美と、阪和線の杉本町を結ぶ貨物線です。

緑の電車が通過している方が大和路線で、高架がおおさか東線。

白いビルの手前に踏み切り跡がありました。

まだ信号が残っています。

2004年頃に廃止となったようですが、私が小さい頃は結構電車が走っていました。

それから20年経つので、線路が残っているところはかなり珍しいのです。

加美駅から西に進み、緩やかに進行方向を南に変えます。

南に進むにしたがって、少しずつ高さを稼いでいきますが、このあたりはまだ2.2m。

国道25号線と交差するため、3.8mまでの高さを上げます。

それもあって、かなり廃墟感が強いのです。

ただ緑豊かで、市街地において、一服の清涼剤ともなっています。

線路横のマンションは、結構お得かもしれません。

古びた鉄橋。

くすんだコンクリートの柱脚を、愛おしく感じるのはなぜでしょう。

それ程ゴミが多くないのは、JR西日本が管理、清掃しているからかもしれません。

加美鞍作あたりまで南下してきました。

ここで国道25線を越えるのですが、橋梁部は撤去されています。

更に30m程下れば、冒頭に紹介した所に戻ります。

この辺りは、平野区の中に八尾市が切れ込んでいるエリア。

何か理由があるのだと思いますが、それはまた今度調べてみます。

見上げると枕木に何か番号が振られていました。

25号線の北あたりで、人の良さそうな女性に「この辺りが開けているのは、駅か何かあったんですか?」と聞いてみました。

「昔は賑やかやったけどねエ。駅は無かったよ。

ただ、天皇陛下さんのお召し列車が通ったこともあるのよ」

と、ちょっと誇らしげに教えてくれました。

近所なので、阪和線の存在は勿論知っていました。

いつかここで、しっかり書こうと思っていたのですが、いざ写真を撮りだすと何度も足を運んでしまいました。

今回の写真は、3日分を集めたものです。

折角なので、何回かに分けてレポートしてみたいと思います。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

阿倍野で、新旧建物探訪‐2063‐

昨日は11月22日。

「いい夫婦の日」は天王寺駅で降りて阿倍野界隈へ。

「あべのキューズモール」の向かいにある、「あべのハルカス」は長らく日本一高いビルでした。

しかし、明日2番目に高いビルに変わります。

厳密に言えば、「森JPタワー」はすでに完成しているので、もう抜かれていることになりますが。

ハルカスのすぐ南にあるのが「HOOP」。

間にある道は一方通行でかなり狭いのです。

それで、見上げるとこんな景色になるのです。

ただ、阿倍野という街との相対的な高さで言えば、やはり日本一かもしれません。

「HOOP」の西にある巴通りを南に抜けます。

レンガ色の建物は「あべのand」。

その東隣にあるビルで、ドローンの国家試験を受けてきました。

先月、民間の資格は取得できたので、実技試験は免除。

筆記試験だけの受験です。

試験だけを受託している会社で受けるのですが、ペーパーでなくパソコンでの試験でした。

不要な選択肢を鉛筆で消せないのは、ちょっとやり辛いなと思っていました。

三択50問を30分で、正解率70%が合格ラインです。

試験が終わるとすぐに結果が表示され、無事合格。

ほぼ一夜漬けでしたが、国家資格一発合格をキープできてほっとしたのです。

会場を出るとすでに夕方。

そのまま南に下ると元「村野・森建築事務所」の建物があります。

ハルカスの前に建っていた近鉄百貨店も村野東吾の作品です。


その旧事務所ですが、現在はテナントとして利用されています。

ハルカス、HOOP、andそして、旧村野・森建築事務所。

阿倍野の新旧建物探訪問でした。

見返すと夕日に照らされるハルカスが。

ハルカスの外観デザインの監修はシーザー・ペリです。

古美る(ふるびる)という概念は、日本独特のものです。

超高層ビルには合わないのは間違いありません。

ナショナリズム、地元愛も入っているかもしれませんが、私はやっぱり村野派かなと。

そんなことを思いながら、1駅南の阿倍野駅に向かったのです。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報