カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

憧れのパリ‐1579‐

 休耕田なのか、菜の花が満開でした。

 街中に広がる黄色いじゅうたんです。

 関西が生んだ巨匠、司馬遼太郎。

 彼がこの野花をこよなく愛したのも、分かる気がしてくるのです。

 ゴシック建築の傑作。ノートルダム寺院の尖塔が焼け落ちる映像は、ショッキングなものでした。

 初めての海外行きにフランスを選んだのは、やはり憧れの存在だったからです。

 1995年、24歳の時ですが、1社目をクビになると失業手当がでました。それを元手に海外へ行こうと思いたちます。

 ル・コルビジュエ設計、ロンシャンの礼拝堂を是非見たかったのです。

 沈黙がうなるとでも表現したくなる、あの空間を今でも忘れることはありません。

 しかし、それ以上に刺激的だったのが初めて目にする海外の街でした。

 パリの街は灰色にも関わらず、極めて美しいものでした。

 パンをかじりながら、ただただ歩き回っていたのです。

 アールヌーボーの旗手、ギマールのガラス屋根に感激。

 ルーブルにも足繁く通いました。

 そして、I・M・ペイのガラスのピラミッドに対峙したのです。

 「漂えど沈まず」それがパリなのです。

 当時は、近代、現代のアートへの興味が9割で、ノートルダム寺院の写真は1枚しか残っていませんでした。

 その一枚が尖塔を横から見たもの。

 もう四半世紀前のことで、その時の気持ちを覚えていないのですが、極めて美しい写真です。

 24歳の私も心動かしたのでしょう。

 この繊細な木細工に火が付いたなら防ぎようはないと思います。

 反対の言い方をすれば、火災を防ぐことを第一に考えればこの尖塔は存在しません。

 火災は人の命を奪う可能性があります。

 よって、最大限の予防をする必要がありますが、現行法規の下なら、ノートルダムの尖塔も、ミラノのドゥオモも、法隆寺も存在しなかったと思います。

 美とは通常ではないからこそ美なのです。

 フランス国民は、悲哀にくれていると思います。

 形あるモノは必ず壊れます。しかし、人が望めばモノは必ず再現できます。

 自由・平等・博愛を表すというトリコロール。

 建築家・白井晟一は「青は希望の色」と言いました。

 希望を持ち、いつまでも憧れのパリであって欲しいと思うのです。

■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【News】
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

鴨も鯉も恋の季節‐1575‐

 昨日、現場を回るルートを考えていると、真ん丸の古墳があるのをみつけました。

 アップでみると「雄略天皇陵」とあります。

 ちらと立ち寄ってきました。

 埼玉県稲荷山古墳で出土した鉄剣の銘にある「ワカタケル大王」は雄略天皇を指すとされます。

 『古事記』『日本書紀』ともに、その御陵が羽曳野の高鷲にあるとされているのです。

 日経新聞を読んでいる方は気付いたと思いますが、朝刊の連載小説「ワカタケル」の主人公その人です。

 5世紀から6世紀に築かれたものとされ、諸説あるようですが、雄略天皇丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)として治定されています。

 案内の看板には空撮がありました。

 その特異な形状がよく分かります。

 住宅地に突然大きなお濠が現れ、その真ん中に円墳が浮かぶ姿は壮観です。

 現在の都は東京ですが、この地が間違いなく日本の中心だったことが分かります。

 案内にはこうも記されていました。

 『日本書紀』には「雄略天皇に仕えていた隼人が、悲しみのあまり物も食べずに泣き続け、7日目についに死んでしまったので、その墓を御陵の北に造って葬った」という物語が記されています。

 マップに「隼人塚古墳」とでていたので、北の住宅街を探します。

 これがなかなか見つけられずで……

 近所の人に教えて貰い、ようやくたどり着きました。

 最後の路地は幅90cmくらいでした。

 住宅地にかこまれた小さな墳丘の上に石碑がみえます。

 「忠臣隼人之墓」と読み取れます。

 雄略天皇は強大な権力を持った君主だったとされます。

 その人と比べるのがおかしいのですが、私が亡くなったとして、せめて1日でも泣いてくれる人などいるのかなと思ったりもします。

 人は亡くなった時に本当の価値が分かるとも言います。

 しかし、亡くなった時にはこの世に居ませんから、真の価値を知ることはありません。

 ほっとしたのか、残念なのか……

 寒かった昨日までとはうってかわって、今日は20度くらいあったでしょうか。

 お濠をつがいの鴨が泳いでいました。

 浅瀬の鯉もつがい。

 春は恋の季節でもあります。

 鳥にも、魚にも、人にも。素晴らしい出会いがあるに違いありません。

■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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吉野に、悲運の天皇を訪ねる‐1569‐

 大阪なら、ちらほらと桜が開花しだしました。

 関西も桜の名所は多々ありますが、規模で言えばやはり「一目千本」の吉野山です。

 「下千本」を一望しますが、満開の景色は格別でしょう。

 全くの開花前ですがふと立ち寄ってきました。

 吉野山は尾根道に沿って、門前町が広がります。

 その入り口にある黒門をくぐり、緩やかな坂道をのぼって行きます。

 この閑散期、お土産店の人も時間を持て余しています。

 「4月中頃の平日に、朝6時頃一番上まで車でいかれたらよろしい。朝靄がかかった景色は、それはもう素晴らしいから!」と。

 何とか時間を捻出して、再訪したいものです。

 門前町の高台にある仁王門。

 金峯山寺は修験道の総本山で、この仁王門は大阪、京都からの信者を迎えるため、北を向いているそうです。

 そのすぐ南にある金峯山寺蔵王堂は世界遺産。

 写真ではもどかしいくらいその迫力が伝わらないのですが、総檜皮葺きでこの規模のお堂はなかなかありません。

 東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築とありました。

 道中、見事な枝垂梅だけはみることができました。

 娘が歴史で「南北朝時代」を習っているようで、その南朝があったのがこの吉野です。

 それで、ふと訪れてみたいと思ったのですが、当時天皇家には2つの統がありました。

 交互に皇位についていましたが、相続をめぐる争いが続きます。

 京都を制圧した足利尊氏は、持明院統の天皇をたて、大覚寺統の後醍醐天皇に譲位をせまります。

 有能で政治力もあった後醍醐天皇はこの地までのがれ、吉野朝廷をおこしたのです。以来、2つの朝廷が並び立ったのが南北朝時代です。

 室町幕府は、15代義昭を信長が追放するまで240年続きました。

 後半100年の戦国時代を含め、動乱の時代でした。

 しかし、南朝を中心とするこちらの世界は比較的安定していたようです。

 修験道を中心とした戦力もあり、この地から天皇家を中心とした平和な世界を創り上げるという旗印のもと、結束は固かったようです。

 しかし、南朝は57年で消滅しました。

 日本最長の歴史書と言われる「太平記」は、この地で生涯を閉じた後醍醐天皇を悲運の天皇として描いています。

 山川出版の「日本史」を引っ張り出すと、僅か2ページの内容です。

 なのに、何か心に引っ掛かるものがあります。

 情報を独占するIT企業の躍進。生活にはなくてはならなくなった?コンビニチェーン。

 コンビニのオーナーは、命を落としてでも契約を守らなければならないのか。勿論そんなはずはありません。

 勝者と強者だけが常に正しい訳ではありません。

 判官贔屓かもしれませんが、だからこそ、太平記では敗者とも言える後醍醐天皇や楠正成を熱心に描くのだと思います。

 大和魂。

 そんな言葉が頭に浮かぶのです。

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大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
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『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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磯崎へ、空間へ‐1567‐

 3月6日(水)の早朝と言えばよいのか、5日(火)の深夜と言えばよいのか、「磯崎新、プリツカー賞を受賞」のニュースが飛び込んできました。

 プリツカー賞は建築界のノーベル賞と言われ、1979年に設立されました。

 以来の40年の間に、日本人建築家は8名が受賞。

 丹下健三、槙文彦、安藤忠雄、妹島和世、西沢立衛 (SANAA)、伊東豊雄、坂茂、そして磯崎新ですが、後半5名はこの10年内の受賞です。

 磯崎は私の世代なら特にスターアーキテクトです。

 現在87歳となり、その実績を見ると正直遅すぎた感もあります。

 2015年の9月に「なら100年会館」へ行った際にもそのような事を書いていました。

 紹介記事では「第一線で活躍し続ける国際的建築家、そして理論家でもある」というものが大半でした。

 代表著書「空間へ」が、初めに勤めた設計事務所に置いてありました。

 24歳の時初めて手にとったのですが、私にとってはかなり難解でした。

 それに相反するように、建築は極めて明快です。

 そのような磯崎建築へのリスペクトは何度か書きました。

 出世作と言われる「北九州市立美術館」を訪れたのは2014年の8月。

 この日は生憎の雨模様。

 モヤの中から突然2本の筒が表れた景色に感激したのです。

 長男は相変わらずおちょけて、それを見て娘が爆笑するという構図です。

 さらに遡ること8年。

 岡山の山間部にある、「奈義町現代美術館」を訪れたのは、雪も見える2006年の1月でした。

 水盤に浮かぶ作品は、確か磯崎夫人の作品だったと思います。

 黄色いヴォールトの中はまるで万華鏡。

 荒川修作+マドリン・ギンズの養老天命反転地へと繋がっていくコラボレーション作品です。

 新しい才能の発掘にも尽力した、磯崎らしい仕事と言えるでしょう。

 2005年の3月に長男が生まれ、久し振りに温泉でもと訪れたのが奥津温泉。

 ひなびた風景に好感を持ちましたが、そのついでに寄ったのが先の奈義現代美術館です。

 「モノ」としての建築より「場」としての空間の重要性を、磯崎は繰り返して説いています。

 建築の創造は私の仕事です。

 よって、建築は常に興味の対象のかなり上位にありますが、記憶は「モノ」としてではなく「場」「空間」として残るものです。

 「景色」と言った方が、一般的かもしれません。

 「せんとくんと」だったり、「アイーンを笑う」だったり、「川のせせらぎが聞こえる和室」だったりです。

 東大丹下研究室のエースであり、プリツカー賞までたどり着いた、日本最高レベルの英知の向こうを張るつもりはありません。

 しかし、市井で懸命に生き抜くクライアトへ、できるだけ分かりやすく、平易に建築、空間の役割を伝えてきたつもりではあります。

 風景として、景色として、場としての建築というものを理解しなければ、建築自体が主役であると勘違いをしてしまいます。

 この本質を指して、本田宗一郎は「どんなに機械が進歩しても、人間の上に君臨させてはいけない」と言ったのです。

 こういったニュースを聞くと、ピリッと気合が入ります。

 日本人建築家の躍進を冒頭に上げました。私も現役でいる限り、目指すのは常に頂点です。

 日本の英知がたどり着くまでに、87年の月日が掛かったことに呆然ともしますが、まだ39年あるとも言えます。

 建築という背景に、一生を捧げると決めました。

 それは、磯崎も私も全く同じはずです。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
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末広がりの「八」‐1564‐

 今年は初詣に行ったか、行ってなかったか……

 それならと住吉大社へ参ってきました。

 「住吉区歯科医師会館」の現場からすぐ近く。「境内の中にある家」からはもう目と鼻の先です。

 この計画は2007年から2008年にかけて、フジテレビの「スーパーニュース」で密着取材をしてもらいました。

 とても懐かしいのですが、この時以来、初詣は恒例にしていました。

 大坂の海からの玄関口だった住吉大社。

 近隣には雰囲気のある建物がいくつか残っています。

 池田家住宅は明治期の建物で、酒、味噌などを製造してそう。

 また、南海電鉄とチンチン電車の駅がすぐ近くにあり、交通の便が良いのも嬉しいところ。

 パンダみたいと思って見ていたら、アドベンチャーワールドのラッピング車両でした。

 すみよっさんと言えばやはり太鼓橋。

 転ぶと大変縁起が悪いとされ、慎重に渡る必要があります。

 出だしが特に急こう配です。

 仕事的に言えば、踏面170mm、蹴上250mm。

 蹴込がないどころか、アーチ部分がつま先に当たり、更に上り難くなっています。

 日本の縁起が、海外旅行者に適用されるのか分かりませんが、転ぶと大変なことになるので、しつこいですが慎重にお願いします。

 役所で言えば、大阪府庁のような存在の住吉大社。

 檜皮葺きが摂津国一之宮の風格を感じさせます。

 海沿いだった立地から、松が多く残るのもその特徴でしょう。

 青空、松、緑青、檜皮に朱と、ここがハレの空間であることを感じます。

 娯楽の少ない時代、テーマパークの役割も果たしていたと言っても過言ではありません。

 一方、深い軒の奥に光が差す様は、谷崎潤一郎が「陰影礼賛」で綴った日本の美を感じるのです。

 テーマパークだった痕跡が、おみくじでしょうか。

 悪名高い(済みません)「日本で最も大凶がでる」という、すみよっさんのおみくじ。

 財布の中に残っていたおみくじは2012年の1月30日。

 第十四番の「凶」でした。

2005年2008年にの記載を見ると、最低でも凶を2回、大凶1回引いていることになります。

 さて7年振りの今回は……

 毎回は結果は翌年以降にしているので、番号だけ書いておきます。

 末広がりの「八」でした。

 書かずとも、顔がもうにやけてしまいそうですが(笑)

 「凶」という字は、□の上が開いており、中には片かなの「メ」。今年は芽が出ると解釈します。

 「大吉」ならなおよろしい。

 20代と40代の一番の違いは、落ち込まなくなったことだと思います。

 仕事に鍛えてもらい、ポジティブシンキングが身に付いたと言いたいところですが、現実はもっと単純です。

 女の子が落ち込んでいたら、誰かが救いの手を差し伸べてくれるかもしれませんが、40、50の男が落ち込んでいたって、気に留めてくれる人も居ません。

 そう考えると人生というものは、本当に良くできていると感心します。

 しつこいですが「八」でした。

 野球少年時代のヒーロー、原監督もジャイアンツに復帰したことですし、末広がりの1年に、40代に、人生にしたいと思います。

 駄洒落、ゴロ合わせ、迷信等など。少しでも人生のプラスになれば全てOKなのです。

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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彼女は17年前の私‐1555‐

 先週まで、大学4回生の男の子が手伝いに来てくれていました。

 夜は飲食店のアルバイトをしながらで、大変そうな時もありましたがよく頑張ってくれました。

 また、2月からもオープンデスク生を1人受け入れます。

 1日で辞めた学生も含めて、70名程を受け入れてきました。その卒業生の1人から手紙が届きました。

 彼女は働き始めて6、7年目になったと思います。設計の仕事に就いており、時々手紙をくれるのです。

 年末年始にカンボジアを訪れ、アンコールワットなどを見て回ってきたとありました。

 彼女の手紙は、いつも丁寧な文字でしっかりと書かれています。

 設計者として建築の考察、またスケッチが描かれていることもあります。

 写真も同封されており、「懐かしいなあ」と思いながら手紙を読ませて貰ったのです。

 私がカンボジアを訪れたのは31歳の時でした。

 当時、酷い鬱に苦しんでおり、どんな経緯で海外へ出たのかは、この日記の1000回目に書きました。

 宿を取らずに海外へ出たのは初めてで、タイ、カンボジア、ベトナムをあてもなく放浪しました。

 まずはバックパッカーの聖地、バンコクのカオサンロードで安宿を探し、ビザなどを取得していきました。

 アユタヤなども回りながら旅の試運転を終え、カンボジアへ向かったのです。

 アンコール・ワット観光の拠点となるのは、シェムリ・アップという街です。

 観光で潤っていることもあり、治安がよく温暖でリゾート地の雰囲気もあります。

 「微笑みの国」タイと言いますが、カンボジア人はさらに優しく穏やか。

 仕事に疲弊し、ボロボロの状態で海外へ出た私にとって、まさに救いのオアシスでした。

 この街で少しゆっくりすることにしたのです。

 アンコール・ワット、アンコール・トム、タ・プローム等、遺跡群は全て回りましたが、時間だけはあるのがバックパッカーです。

 また観光地とはいえ、遺跡以外は何もありません。

 仕事が欲しいカンボジアの若者は、「日の出が世界一美しいから見にいこう」と売り込んできます。

 で、世界各国の観光客が、遠くにトレンサップ湖だけを望む、何もない平原で日の出だけを見るという構図です。

 卒業旅行に来ていた女子大生が、「40kmくらい先に、ベンメリアという秘境の遺跡があるらしいんですけど、皆でいきませんか」と声を掛けてくれました。

 トラックを1台チャーターしてきて、皆で割り勘。海外で会う日本人女性は行動力の塊です。

 砂埃を巻き上げながら走るトラックの荷台で、1時間ほど揺られたでしょうか。

 ベンメリアは外国人へ開放されたばかりで、内戦時の地雷も残っているので、不用意に道から外れてはいけないと言われました。

 また、少し街を離れると悪名高いポル・ポト派の残党がでるとの話しもありました。

 旅の危険自慢ほど下品なものはありませんが、正直、好奇心に勝てませんでした。

 熱帯の木々の強い生命力と、建築の最期を見せつけられたのです。

 当時は写真に重きをおいておらず、持って行ったカメラは「写ルンです」を3つだけ。

 残っている写真は僅か数枚で、勿体ないことをしたなと思います。

 しかし旅は体感が全て。その方が良かったのかもしれません。

 その後ベトナムへ向かいました。

 経済発展が著しいと聞きますが、当時は社会主義国独特の雰囲気がありました。

 ホー・チミンのゲストハウスの屋上から、市街地で上がる旧正月を祝う花火を見ました。

 そして「結局自分には建築設計しかないんだ」と日本に戻ることを決めたのです。

 私が訪れた時から17年が経ちました。

 変わったところも沢山あると思いますが、トレンサップ湖の水上生活者や、バイヨンビールの味はそんなに変わらないのだと思います。

 この旅の中で、自分が写っている写真が2枚だけありました。

 ベンメリアか、その近くの街で子供と撮った写真だったと思います。

 彼女の手紙には、エネルギーのある20代のうちに行っておこうと思ったとありました。

 当時の私と2つ歳の差はありますが、仕事の壁にぶつかり、社会の軋轢に悩み、今後の人生のことを考える年齢だと思います。

 年長者として、同職の先輩として達観してみている訳ではありません。

 誤解を恐れず言えば、彼女は当時の私です。

 彼女のことを十分理解しているとか、凄く分かっているという意味ではありません。

 人はそんなに変わらないし、自分だけが特別なことなど殆どないと思っているのです。

 ゲーテがモチーフとしたように、若いということは悩みが多いということです。

 多くの選択肢がある、可能性があるから悩むのです。

 反対に、決めるということは他の選択肢を捨てるということです。

 捨てるということは決してネガティブなことではありません。これが31歳の私と今の私の違いだと思います。

 人生は一本道です。折角みつけた目の前の道を、一歩一歩進んでいくしかありません。

 だから一休和尚は「迷わず行けよ」と励ましているのだと思うのです。

 この世にタイムマシンはありませんが、彼女の手紙が、ひと時、私を17年前のベンメリアに連れていってくれたのです。

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うだつを上げろ‐1554‐

 昨日の日曜日は大寒。

 暦の上では寒さのピークですが、現実的にはもう少し先になるでしょう。

 今日は現場にでていましたが、道中に古い町並みが残っていると知り、少し立ち寄ってきました。

 聖徳太子が建立したという久宝寺跡に建つのが顕証寺。

 その周辺を久宝寺寺内町と呼ぶようです。

 顕証寺の白壁は高さが3m程もあり、かつ長く続きます。

 なかなかの迫力でしたが、 中世から環濠都市として栄え、その中心であった寺の威光をうかがい知ることができるのです。

 本堂は改修中のようでした。

 久宝寺寺内町には、江戸時代から戦後までの様々な町屋が残っています。

 表情豊かな焼き杉板ですが、酸化して炭となった表面部は耐久性が増します。

 しかし思い切った方法を考えついたものです。

 屋根の両端を支える袖壁を「うだつ」と言います。

 「うだつ」の上がっている建物が何軒もありました。

 こちらの黒壁の家にも「うだつ」が上がっています。

 諸説ありますが、防火の機能も備えたうだつを、富裕層は競って上げたと言います。

 それが富の象徴となり、反対の意味で「うだつの上がらない」は、出世しない、金銭にめぐまれないとなりました。

 こちらのうだつは、漆喰で縁取り装飾された上、鶴の飾りつけまであります。

 木の彫り物に漆喰を塗ったものでしょうか。

 いずれにしても、品のある大変に美しいうだつでした。

 建築は富や権威の象徴でもありますが、それを「うだつ」だけにフォーカスしているのが、面白いところです。

 日本人は様式美を重んじる民族です。

 様式美とは、何らかのルールの中で表現するということですし、歴史や他者を重んじることでもあります。

 アメリカのメジャーリーグにはアンリトンルール(明文化されていないルール)があるといいます。

 例えば、大差のついたゲームでは盗塁をしないなどですが、日本もアンリトンルールの多い国だと思います。

 それらを尊重しても、自分が設計した建物にうだつを上げることはないと思いますが、「うだつが上がらない」なんて言われるのはまっぴら御免です。

 心の中で、極めて美しいうだつを上げたいと思うのです。

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持っている人‐1553‐

 松の内もすぎ、ようやく落ち着きを取り戻す頃です。

 先週のことですが、お初天神近くの店で新年会がありました。

 大学時代のスキー部の集まりです。

 遊女「お初」の悲哀を描いた近松門左衛門の代表作が「曽根崎心中」。

 お初天神のwebサイトには「恋人の聖地」とあります。

 この境内で醤油屋の徳兵衛とお初は木の幹に互いを縛り付け、心中しました。

 そのことから聖地としているのだと思いますが、亡くなった現場であることに変わりはありません。

 そう思うと、社がやや恐ろしくも見えてくるのです。

 境内を抜け、裏路地にあるその店は本鴨で有名な店だそう。

 合鴨でなく本鴨。

 美味しくない訳がありません。

 鳥が苦手な人が居ると聞き、チヌ、ホウボウ、ネギトロの造り盛り合わせもでてきました。

 子供も居たのですが、美味しいものは一瞬でなくなります。

 チヌ(黒鯛)は若い頃は良く釣りに行ったのですが、造りで食べたのは数えるほど。

 冬の魚は脂がのっていて最高に美味しいのです。

 子供達も久し振りに会うので、始めはモジモジと携帯ゲームをしていました。

 娘に、持参させていたトランプやUNOに誘ってみたらと伝えました。

 我が家の長男が中2で一番歳上なので「リードしてあげてな」と伝えていました。

 ちらと隣室をのぞくと、目隠ししての鬼ごっこでしょうか。完全に小5チームに遊ばれています。

 それが彼の良いところなのですが。

 宴がお開きとなり、先輩3人ともう一軒いきましょうかとなりました。

 そのうちの1人は他大学のスキー部の主将で、「じゃあコロナビールを」とオーダーされました。

 「じゃあ僕も」3人もそれに続いたのです。

 当時、コロナビールは全関西大学スキー連盟のスポンサーだったのか、学生に振る舞われていました。

 現在どうなっているのかは知らないのですが、大らかな時代でした。ライムを絞って飲むコロナビールは、私たちにとって青春の味なのです。

 その主将だった方に、副将だった方が「君、やっぱり持ってるわあ」と笑っていました。

 「持っている」

 最近よく使われる言葉です。

 運が強いとか、いざという時に勝負強いというような意味合いでしょうか。

 自分のことを「持ってるわ~」なんて言うのはちょっと遠慮願いたいところですが、「持っている人」は実際に居ます。

 人生の中でラッキーなことは時々起ります。

 しかし、それは自身の中にあったものが発露したに過ぎないと私は考えています。

 もしそうだとするなら、自分の能力を十分発揮しやすい人が「持っている人」となります。

 そのキーになるのは、サービス精神や他者を思いやる気持ちだと思うのです。

 そういう人を誰もが好きだし、一緒に居て楽しいので、どんどんポジティブな連鎖が起ります。実力を発揮しやすい環境ができるのです。
 
 あくまで私の仮説ですが、反対を証明するのはごく簡単。

 身勝手で、ネガティブな言動ばかりしている人が、「持っている」ことはないでしょう。

 後出しになりましたが、そう思うようになったのは、ダウンタウン松本人志の言葉を聞いてからです。

「仕事というのは、サービス精神を忘れたらおしまい」

 間違いなく「持っている」彼が言うのだから、間違いないでしょう。

 自分が「持っている」のか「持っていない」のか。

 決めるのは恐ろしいので、せめてサービス精神だけは持ちあわせたいと思うのです。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

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大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

あなたと越えたい‐1551‐

 今日の大阪は曇り空の寒い1日でした。

 しかし朝方は7時頃になればかなり明るくなり、季節が進んでいることも感じます。

 朝焼けは天気が崩れると言いますが、それでも美しいことに変わりはありません。

 冬季休暇の話しに戻りますが、1月4日から6日までは伊豆半島の伊東に滞在していました。

 特にこの期間が暖かかったようですが、15℃以上まで上がった日もあり、南国の雰囲気さえ感じます。

 ホテルの部屋から、遠く東に望むのは初島。

 蜃気楼が見えた日もありました。

 中心街には温泉町の風情が残ります。

 昭和3年に完成した東海館は、庶民のための温泉宿だったそう。

 これが庶民の温泉宿だとするなら、当時の建築がいかに丁寧に創られていたのかを感じるのです。

 少し車で走ると、長い竹に飾りつけをしたものを多く見かけました。

 先の写真にも写っていますが、新年を祝う地域の風習なのでしょうか。

 伊東から伊豆半島の内陸部を南に下ります。

 天城山を目指し九十九折の山道を走ると、名産のワサビ畑をところどころに見ることができます。

 天城山の雪解け水が、美味しいワサビを育てるのだそう。

 確かにあまり辛くなく、食べやすいワサビでした。

 今年も「紅白歌合戦」は観ていないのですが、紅組のトリは石川さゆりの「天城越え」だったとありました。

 川端康成の代表作「伊豆の踊子」の舞台でもある天城トンネル。

 まさにここが天城越えの地です。

 正確には天城山隧道といい、明治38年に完成した石積みのトンネルです。

 途中まで歩いてみましたが、ちょっと怖くなって戻ってきました。

 道中の山道には川端康成のレリーフがあります。

 「伊豆の踊子」は、青年が旅の一座にいた幼い踊子に寄せた淡い恋心を描いた小説です。

 「雪国」と共に川端康成の代表作。

 1968年、日本人初のノーベル文学賞を受賞しますが、ともにトンネルが大きな役割を持っているのが面白いところです。

 この珠玉の2作品を「トンネルズ」と言ってしまったら、巨匠にお叱りを受けるでしょうか。

 川端はノーベル賞の受賞にあたって「作家にとっては名誉などというものは、かえって重荷になり、邪魔にさえなって、萎縮してしまうんではないかと思っています」と語ったと言います。

 また、受賞の理由に「日本の伝統のおかげ」「各国の翻訳者のおかげ」、まな弟子である「三島由紀夫君のおかげ」と語ったそうです。

 その三島由紀夫の割腹自殺の2年後、1972年72歳の時に自らも命を絶ってしまうのです。

 市井で暮らす私に、文豪の心の底など分からないとも言えますが、僅かに作家としての苦しみも分かる気もします。

 改めて「天城越え」の歌詞をみてみます。

 誰かに盗られる くらいなら あなたを殺して いいですか

(中略)

 あなたと越えたい 天城越え

 敦賀から京都に鯖を運んだというのが鯖街道ですが、これらは女性の仕事だったそうです。

 その道中、山賊の類に多くの女性が命を奪われたと言います。

 天城山隧道の歴史背景は知らないのですが、多かれ少なかれ、そのようなサイドストーリーはあるのだと思います。

 日本列島で旅をするということは、山、峠という障壁を越えるということです。

 トンネルは非常に重要なものであり、これ程交通が発達した現在より、もっとドラマチックな景色を演出するものだったでしょう。

 車、新幹線、飛行機と便利な世の中になりました。

 しかし、未だに「天城越え」が紅白のトリを飾ることが理解できる気もするのです。

 ただ、殺されるのは御免ですが。

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雪の魅力と魔力‐1550‐

 今日の新聞に「仕事始めは7日以降」という企業が36.3%だったというアンケート結果がでていました。

 当社も今日が仕事始め。しかしトップに休みはありません。旅先でも基本仕事です。

 傍から見れば十分休んでいるのですが(笑)

 冬季休暇の後半は、4日(金)の朝に大阪を発ち、伊豆半島へ向かいました。

 新東名高速から、何とか富士の頂きが見れました。

 穏やかな天気で、茶畑も色鮮やか。

 気持ちのよいドライブ日和でした。

 昼食は沼津港でとることにしました。

 伊豆半島の付け根、西側にある港町です。

 初めて訪れましたが、やはり港町が好きなのだと思います。

 観光地化されている部分もありますが、風情を残している部分もあり。

 このあたりのバランスが良いなと感じたのです。

 干物が名産らしく、アジ、サバ、タチウオ、キンメダイ、イカ等が店先に並んでいました。

 それらを焼いて食べるのが私の希望ですが、そこは子供の意見が優先。

 魚のハンバーガー店になりました。

 私はサバのハンバーガーにしましたが、フィレオフィッシュの美味しい版という感じ。

 旅先の食事は、家族が満足してくれれば十分です。

 駿河湾は急深の地形から、深海魚が多く獲れます。港には「沼津港深海水族館」が併設されています。

 生きた化石シーラカンスは、私たちが小学生の頃よく特番になっていました。

 冷凍保存されている実物が観れるのです。

 その後、宿のある東岸の温泉町、伊東まで移動。

 妻が地魚が美味しいという寿司屋さんを予約していました。

 長らく寿司など連れていっていない子供達は、飛びつかんばかりの勢い。それを制して1枚だけ写真を撮りました。

 長男はマグロとイクラ、娘はアジと白身が好物です。

 この後は、かなりの勢いで食べ続けたのです。

 妻はキンメダイの煮つけと、カワハギの肝あえ、メカジキの漬けが美味しかったと。

 珍しいところでは、ガリンチョという深海魚の握りがなかなか美味しかったのです。

 一緒に夕食を食べることはあまりないので、せめてもの罪滅ぼしのつもりですが、4人であれだけ食べて3万円行かず。

 このあたりはインターネット社会の恩恵でしょう。満足度100%でした。

 実は行きに富士山に見とれていたら、1つインターチェンジを乗り過ごしてしまいました。

 長泉沼津ICの1つ先は御殿場IC。

 17.8kmありました。

 高速道路で乗り過ごした時は「特別回転」というシステムがあるのは知っていたので、駄目元で聞いてきました。

 一般レーンに行きインターホンで事情を説明。

 私はETCレーンで流出した後に、一般レーンで戻ったのですが、流出時に一般レーンで事情を説明するのがベストだったそうです。

 それでも、御殿場料金所の人が、長泉沼津ICで降りた料金となるよう、親切に処理してくれました。

 おそらく往復千円程度のことですが、何事も経験です。

 何より高速道路でのバックは違法の上、極めて危険。命にかかわります。

 せめて高速代だけでも帰ってくると知って貰えればと思うのです。

 年末年始に開田高原へ行った際、雪道で大きく車体をへこませている車がありました。

 乗っていた人は外にでており、大きな怪我は無かったようです。

 しかし雪道の恐ろしさを実感させられる場面です。

 富士は日本一美しい山です。

 更に、雪を頂いたこの時期の美しさは格別です。

 真っ白な雪は、その景色を一変させ、見るものを引き付けるものがあります。惑わせると言えば言い過ぎでしょうか。

 運転に長けたドライバー諸兄へは釈迦に説法ですが、命より大切なものはありません。

 急げば急げるのが、車の長所であり、最大の短所。

 雪道と雪景色には十分にご注意下さい。

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