カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

女人高野‐1320‐

『住人十色』毎日放送(MBS)10月29日(土)午後5:00~5:30「松虫の長屋」放映予定■

 今日は気持ちの良い秋晴れでした。

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 しっかりとした日差しを受けた花は本当に美しいもの。花より光が美しいのかもしれません。

 日曜日は生憎曇りでしたが、近鉄電車で室生寺へ。

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 名張行きの急行で1時間。室生口大野に着くと、バスは50分待ちでした。

 1台タクシーが見えたのですが、目の前の2人連れに先を越されてしまいました。

 自然歩道を歩けば1時間くらいと聞き、歩いて行くことにしたのです。

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 歩くのはかなり早いほうで、40分位あれば着くだろうと思っていましたが、なんのなんの。

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 かなり険しい山道を7km。みっちり1時間半は掛かりました。

 山深く、他に人は全く居らずで、クマでもでるんじゃないかと心細くなり……

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 変な汗をかきながら道を急ぎ、山村の景色が開けた時はほっとしたのです。

 紅葉にはまだ早く、人も少な目。

 室生寺の建立は奈良時代末期で、国宝に指定された建物がいくつかあります。

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 鎌倉時代に建てられた本堂もその一つ。

 山深いところにあるがゆえ、山林修行の道場としての意味合いも強かったようです。

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 奥の院までの石段の長いこと。

 しかも段差がまちまちだったりして、かなり歩きにくいのです。

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 よく見ると寄進されたものなのか、ところどころに文字が刻まれています。

 バチが当たらないよう、これも修行と黙々と歩かなければなりません。

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 昨年の夏休みに山形を訪れた際、酒田市の土門拳美術館に立ち寄りました。

 写真家・土門拳は室生寺の五重塔をこよなく愛したそうです。

 創建は平安初期で国宝。是非見たいと思っていたのです。

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 高さは16.1mで、屋外にある五重塔では日本最小です。

 屋根は檜皮で葺かれ、一層目と、五層目の大きさがあまり変わらないのも珍しいプロポーションです。

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 屋根の勾配が極めて浅く、軒の深さがより強調されています。

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 また漆喰の壁と、軒を持ち出すための組物の朱色が、森の緑にとても映えていました。

 弘法大使が開いた高野山は、厳しく女人を禁制しました。

 そんな中、女性の済度をはかる道場として参詣を許したのが室生寺で、「女人高野」と呼ばれるようになりました。

 高野山が女人禁制を解除したのは明治期のこと。この男女平等の社会からは考えられないことです。

 室生寺の五重塔は、そのプロポーションといい、その色使いといい、その小ぶりさといい、極めて美しい建築です。

 私が見た五重塔の中でも、群を抜く美しさだと感じますが、これを「女性的な美しさ」以外の言葉で表現するのは難しいと思います。

 これを男女差別と言う人は居ないでしょう。

 差別など無い世の中になれば良いと思いますが、違いとは、特徴とも言えます。違いを活かし、伸ばすような生き方をしたいと思うのです。

 室生寺の五重塔は、雪景色がさらに美しいそうです。土門拳はその雪を待ち、雪景色をみて泣いたと言います。

 女の中の女。次は雪の室生を見てみたいと思うのです。

P.S.  明後日の『住人十色』ですが、以下の地域でも放送があるようなので以下にUPしておきます。

SBS(静岡放送) 毎週日曜日 午前6:15~6:45
BSS(島根・鳥取地区) 毎週土曜日 午前5:00~5:30
TUY(山形・秋田) 毎週日曜日 午前6:15~6:45
ITV(愛媛・徳島) 毎週日曜日 午前12:54~13:54
MRO(石川・福井) 毎週日曜日 午前9:55~10:30
NBC(長崎・佐賀) 毎週日曜日 午後4:30~5:00
MRT(宮崎) 毎週日曜日 午後4:30~5:00

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『住人十色』放送後のたくらみ‐1319‐

 10月21日(金)14時7分に、鳥取で震度6弱の地震が発生。

 熊本地震から半年が過ぎたというニュースがあったばかりでした。

 現在、全壊2棟、半壊3棟は、家屋の強度、地盤の良さが影響しているのではというコメントがありました。

 しかし、5つの家族にとっては大変なことです。支援活動の要請があれば出来るだけ参加したいと思っています。

 鳥取は、3年前の夏休みにゆっくり回りました。

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 境港の水木しげるロード

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 草原に浮かぶ大山。

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 皆生(かいけ)温泉で食べた魚は本当に美味しかった。

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 東伯郡三朝町にある投げ入れ堂

 長男と険しい参道を登ったのですが、白壁が落ちたという報道があった倉吉町のすぐ南です。

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 そして鳥取砂丘。アリジゴクを探す旅でもありました。

 地震国日本。その厳しさと私達日本人は付き合って生きてきました。宿命は背負う他ありません。

 家族で出掛けた旅を考える時、何故かこの旅を思い出すことが多いのです。

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 山陰の、美しさ、寂しさ、切なさが心に残ったと言えば、地域の人に失礼でしょうか。

 この危機に負けず頑張って欲しいと思います。

 話は変わって告知です。今週土曜、「阿倍野の長屋」の放送があります。

 すでに『住人十色』のwebサイトで、紹介されていました。

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『住人十色』毎日放送(MBS)10月29日(土)17:00~「阿倍野の長屋」放映予定■

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 工事中からストーリー満載で、ご家族がOKしてくれたなら、取材はあるだろうなと思っていました。

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 メディアに関して「雑誌はいいけど、テレビはちょっと……」と言う方がほとんどです。

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 こちらのご家族は、もしテレビのオファーがあれば考えてみる、という感じでした。

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 実際にオファーがあってからも迷っておられたのですが「守谷さんのためなら」と一肌脱いでくれたのです。

 女性陣2人を含めて、まさに男気。

 これだけのリノベーションをさせて貰ったのですから、ご家族は勿論懸命に働いておられます。

 ご主人は整骨院を経営されており、とても繁盛しています。いつも遅くまで仕事をされているのです。

 治療に来られる患者さんの一人に、いつも前週の『住人十色』の話しをする方が居られるそうです。番組の大ファンのよう。

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 計画の途中から、ご主人と「テレビの放送が決まっても、その方には黙っておきましょうね」と、密かに企んでいたのです。

 来週あたりでも、その患者さんが治療に来られた時のことを、是非聞いてみたいと思っているのです。

 撮影現場は見に行けなかったのですが、ナビゲーターの春香クリスティーンさんも、なかなかに活躍されているタレントさんとのこと。

 その端正なルックスとは対照的な汚部屋タレントと、奥さんのやりとりが楽しみです。

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 ストーリー満載の「阿倍野の長屋」。時間のある方は是非ご覧ください。

恰好をつけてやれることはひとつもない‐1315‐

 今日は体育の日。

 10月10日が体育の日なのはいつ以来でしょうか。

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 その名にふさわしく、秋晴れの朝になりました。

 隣の倉庫の解体工事も今日は休み。

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 現在は屋根の解体が終わったところですが、建物の中に光が指す様は、いつも鮮烈です。

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 アルミテープが貼ってあるところは、父がゴルフの練習をしていて穴をあけた所。

 解体が始まり、バラックから廃墟の趣きとなってきました。

 最近、廃墟マニアという言葉を聞くようになりました。確かに廃墟にはダイナミズムがあります。

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 昨年訪れた、長崎の軍艦島などもこの類でしょう。

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 雨露を凌ぐため、建築に屋根は必須ですが、それらがない状態にある種の刺激を感じるのでしょう。

 影があるから、光をより感じるのです。

 この連休はなりふり構わず、図面を描いています。設計図面は、大きく分けると基本図面と実施図面に分かれます。

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 基本図面の縮尺は1/100程度で、チラシに入っている間取り図程度と言えば伝わるでしょうか。

 一方、実施図面は、構造体、仕上材などの構成が、全て分かるように描かれている図面です。

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 現在の私の仕事は、全てのプロジェクトを統括することで、2007年以来実施図面は描いていませんでした。

 しかし、年末にマルコが辞めることになり、また、新しい社員がまだ決まっていないなか、9年振りに実施図面を描いています。

 この職人仕事を楽しみ、苦しむのも、建築設計の醍醐味です。

 また、これらに多くの時間を費やしてくれる社員に対して、改めて感謝の気持ちも沸いてくるものです。

 この仕事をしていたなら、夜明けに急かされ、変な汗をかきながら、半べそで図面を焼いた経験が何度もあるはずなのです。

本当に大切なことで、恰好をつけてやれることはひとつもない

- ノーマン・メイラー -アメリカの小説家

 仕事時間が長いのは「悪」のような時代です。

 よって無理強いはしませんし、もうそんな時代ではないと思います。

 社員が遅くまで働いていたら、「出来るだけ早く帰りなさい」とは言います。しかし、それ以上は言いません。

 互いの人生が良くなる方向だけを見れば良いと思っているので、ブレーキを掛けることはしたくないのです。

 それが、経営者のエゴがどうかは、私も正直分かりません。

 いずれにしても、私が結果を出さなければ誰もついてきてくれません。半べそをかかなくてよいよう、今日も一日なりふり構わずで。

脱稿、そして現在・過去・未来‐1311‐

 昨年12月に執筆依頼をもらい、先週末ようやく脱稿しました。

 B5サイズ200ページで約4万文字。写真や、図面があるので、文字数としては少なめなのだと思います。

 「一般の人と、建築家が近くなる本」が、出版社のリクエストでした。

 まずは、自分の人生と、大阪の下町のことから書き始めたのですが、妻が「あなたの人生に興味がある人がいるの」と。

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 居るか居ないのか分からないけど、そこから書き始めるしかないだろうとスタートしたのです。

 一番時間がかかったのが、図面、写真の整理でしたが、今回使わなかった写真を少し上げてみます。

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 昭和45年頃、家の前は砂利道で、前の空き地は土でした。

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 舗装されたのが昭和50年くらいでしょうか。

 現在もこれからも、街は変化していきます。しかし、流通の進歩から、加速度を増した時代に幼少期を過ごしたのだと肌で感じます。

 書籍は、家創りのストーリーを紹介して行きますが、それとは別に、独立の流れから、初期の3作品についても触れている項があります。

07羽衣の家 1997年

09白馬の山小屋 1998年

08Spoon Cafe 1998年

 これらの3作品は、大学時代にスキー部にいたからこそオファーがあった仕事です。

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 その先輩方から、大泉緑地でのバーベキューに誘って貰いました。

 四半世紀前から、変わらぬ関係とが続いていることに、感謝と驚きに近いものも感じます。

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 まさか、高校の先生とは思えないサングラス姿で、6つ上の先輩が登場。

 ご近所なのでと急遽の参戦です。大阪でスキーをしていたなら、この兄妹を知らない人はモグリと断定できます。

 兄妹のお父さんが私の2番目のクライアトでした。

 数年前に亡くなられた時も、最後の最後まで、水の良い、白馬の山小屋で暮らすことを望んだそうです。

 そして現在は、長男であるお兄さんが、形見でもある白馬の山小屋に愛情を注いてくれているのです。

 書籍の中では、工事費と設計料が滅茶苦茶に安かったこと、更に、白馬までの交通費を下さいなど、怖くて言えなかった、という恨み節まで書いています。

 しかし、お父さんも笑って許してくれるだろうと思っています(勝手にですが)。

 お兄さんが「屋根とか壁とか、車を洗うみたいな感じで、洗剤で洗っているんだけど、いいやんな」と。

 家をカーシャンプーで洗うなど、聞いたことがありませんが「もちろん大丈夫です」と答えました。

 雨漏りやシロアリなどの問題も起こりますが、それでも築50年、リノベーション後18年の山小屋は愛されているのです。

 まだ思い出に浸る歳ではまだありませんが、これまでの人生を見返す時間があったことは、とてもラッキーでした。

 現在は、過去の影でしかありません。そして、未来は、今、この瞬間の積み重ねです。

 年末の出版を目指していましたが、脱稿が遅れたので、1ヵ月程伸びてしまいそう。

 また発売日が決まったら、ここで告知させて貰います。

バラックには夢がある‐1310‐

 前回は、名古屋への小旅行を書きました。

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 市役所までこのデザインとは恐れ入ります。

 最後に大事なメッセージを書き忘れてしまいました。

 12月でマルコが辞めるので、働きたいという人、いい人が居るという場合は是非連絡下さい。

 これまで建築学科卒を必須としてきましたが、最近の人手不足を考え、熱意があれば、その条件を外しても構いません。

 熱意をもって指導致しますので。

 来春、「平野西の家」の隣にマンションを建てることになりました。

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 計画がスタートすれば詳細を書きますが、現在は父が昭和56年に建てた鉄骨2階建ての倉庫が建っています。

 土地は父、建物は弟がオーナーになります。

 父の会社のガラス在庫を保管する為の建物でしたが、最近はずっと貸していました。

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 1階の天井高は5.5mなので、高さは3階建てとほぼ同じ。

 当時は、ここにガラスの在庫がびっしりと置かれていました。

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 1階はトイレと階段だけ。

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 2階は屋根のスレートがむき出しで、断熱材は一切なし。本当に暑かったのです。

 というのは、1989年に実家を建て替える際、1年程ここに住んでいました。

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 その時に出来たのがこの個室群です。

 一番右が私の部屋で、真ん中が弟の部屋。

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 ビニールクロスは、先日出ていった店子の会社が貼ったので、全てベニヤがむき出し。それはそれで面白い空間でした。

 風呂はないので、窓越しに見える銭湯へ行っていたのです。

 1989年は私が19歳の年で、浪人していた時期。勉強もはかどる訳です。

 更に、1年間仕事を休んだ後、2002年に仕事を再開した際は、ここをアトリエとしました。

 私にとって再出発の場所でもあります。

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 浪人していた当時は、前の空地にコンテナを置き、そこが両親の寝室であり、会社の事務所でした。

 今はその部分に、ガレージが付随しています。

 1、2階それぞれ、賃貸出来るように増築したもの。

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 中には階段がありますが、2階のデッキと繋がっていました。

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 しかし、そのデッキも今はチェッカープレートで蓋がされています。

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 デッキにあるのはトイレだけ。

 その前に少しだけ、階段の名残が見えています。2階から出入りも出来ました。

 ジブリの三鷹の森美術館のバラック版とは言い過ぎでしょうか。 

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 隙間から、雨風が入ってくるので、匂うなんてことは全くありせんでした。

 そう考えると、すこし違った空間体験を持っているのかもしれません。

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 この前の部分、完全に建ぺい率をオーバーしています。

 次に建つ建物は、鉄筋コンクリート打ち放しのマンションとなる予定です。勿論合法ですが。

 竣工は3月の予定。全部で6住戸、40㎡の1LDKですが、シャープな感じで仕上げようと思っています。

 借りてくれる人があれば、こちらも是非連絡待っています。

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 ベトナムやカンボジアに行って、バラックが面白いと言っていましたが、考えてみれば、ほとんど同じような経験をしていました。

 建築を設計する場合、行き当たりばったりでは良いものが出来ません。

 決めるいうことは、他の選択肢を捨てること。その覚悟が、豊かな空間を導いてくれるのです。

 しかしバラックは完全に行き当たりばったり。

 それゆえ粗末で、精度は低い。

 しかし、必要に応じて建て増したり壊したり。自分サイズの夢は広がるのです。

フィンランドの旅③ <人、街、番外編 >‐1303‐ 

 8月も最後の月曜日になりました。

 少し時間が空きましたが、フィンランドで出会った人のことも少し書いておきたいと思います。

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 フィンランドの首都ヘルシンキは、港町であり、観光都市でもあります。人も優しく、旅行者には大変過ごしやすい街でした。

 8月25日にフィンランド政府は「ベーシック・インカム(最低所得保障)」制度を導入すると発表しました。560ユーロ(約6万円)を一律に支給するという制度です。

 北欧は社会福祉が充実していますが、それらは28%という高い税率によって支えられています。よって、物価は日本よりやや高め。

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 国鉄は、全て人と物が集まるヘルシンキの中央駅と結ばれています。

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 2日目には電車で3時間半、北東300kmにあるユバスキュラへ行きました。

 アルヴァ・アアルト設計のタウンホールを見に行きましたが、ここは彼の出身地でもあります。

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 バックパックを背負ってウロウロしていると、日本人の青年が声を掛けてくれました。

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 ここには、アアルト本人が泊まる為に設計した部屋があるそうで「泊まっているので見て行きますか」と。

 東京で大手組織事務所に勤める26歳の青年でした。

 好感の持てる若者で、ラッキーだったなと思いながら、バス停で待っていると、80歳くらいのお婆さんが話しかけてきました。

 「若い頃イギリスに留学していた。アアルトは街の誇りだ。フィンランドは戦争が多かった。日本は伝統のある興味深い国だ」などと言っているようです。

 私は建築家でアアルトを尊敬していると言うと「バスが来るまで時間があるから、家に来てお茶を飲まないか」と言います。

 バスの時刻を正確に把握しておらず、気長に待つつもりだったので迷いましたが、行ってみることにしました。

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 どうも、家ではなく知り合いの画家が個展を開いているので、お茶もあるから観に行かないか、と言っていたようです。

 彼女は漢字がデザインされたスカーフをしていました。

 旅行者の相手をしてくれるのは、お年寄りか子供だけ。こういったふれあいが旅に何かを付け加えてくれるのです。

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 何故か、多くのフィンランド人のお年寄りに見送られながらバスに乗り、次の目的地「夏の家」に到着しました。

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 20人くらいのツアーで、ガイドが説明をしてくれます。

 イタリアで建築出版をしているという、黒いサングラスをしている女性も「アンドウ、クマ、イトオは素晴らしい」と言って、話しかけてくれました。

 日本人も4名程おり、愛媛で設計をしているという女性と、現場監督を20年しているという女性2人組が参加していました。

 私がここにくるまで25年掛かっているので、立派だなあと感心していたのです。

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 その日はタンペレという内陸の街に泊まり、翌朝ポリという西端にある街まで電車で1時間半。

 「マイレア邸」を見る為です。

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 ポリで会ったおじさんの傘がなかなかお洒落。

 前日、ユバスキュラで会った26歳の青年も同じガイドツアーに予約しており、大分から来たという女性2人組も電車で一緒になりました。

 雨がひどいので、4人でタクシーをシェアすることにしたのです。

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 1時間のガイドツアーが終わり、バスでポリ駅に戻ったのも私達4人だけでした。

 さあヘルシンキに帰ろうと切符売り場へ行くとクローズ。

 前日、自動券売機で購入していた私は「こんな時はこの券売機で買えば……」と張り切って説明していると、何故かこちらもクローズ。

 電車の出発が近付いてきたので、とにかく乗り込み、車掌からチケットを買うことになりました。

 すると行きのチケットの倍以上の値段で、しかも席代は別と言います。それならと、食堂車で帰ることにしたのです。

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 この時、おそらく4人の中で一番英語力のある青年が、車掌といろいろ交渉をしてくれました。

 仕事をしていて、若者を見た時に「立派だなあ」と思う機会は正直なかなかありません。

 キャリアが違うので、当たり前なのですが、旅先で出会った私より若い世代の人は、積極的に英語で話しかけていました。

 こういった姿を見ると、日本の若者も頼もしいなと感じるのです。

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 大分から来た女性は、1人が建築設計、1人は美容室の経営者。

 あとはヘルシンキに帰るだけでしたが、初対面の人も居るのでコーヒーを頼むと、美容師の女性はビールを。

 日本人の女性はいつも逞しいのですが、大分の女性は更に逞しいのでした。

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 最終日は、ヘルシンキ郊外にあるアアルトの仕事場、自邸を回りました。

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 ヘルシンキ郊外と言う事もあり、日本人の参加者が8人程いました。

 私と同年代の男性が流暢な英語で質問しているので少し聞いてみると、大学で英語を教えているとのこと。

 厚かましく、いくつかガイドに質問して貰ったのですが「専門家に解説して貰えて光栄だ」と喜んでくれたのです。

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 京都でデザインの仕事をしているという女性も参加していました。25、6歳でしょうか。

 「北欧って、ホントお洒落ですよね。でもこれを日本に持ち帰っても浮いてしまうし、ビビッドなカラーでも、北欧の空気なら映えるんですよね」

 彼女だけではなく、そんな話しは何度か聞きました。

 日本の若者が逞しいと思う反面、日本に自信を持っていないことも少し気になります。

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 例えば建築においても、大阪府の人口にも満たないフィンランドの建築は、とても平均点が高いのです。

 一般的な共同住宅も、しっかりとデザインされているものが殆どでした。

 しかし、北欧が良くて、日本が駄目という訳ではありません。反対も同じです。

 風土、民族性、経済状況、また法律などまで合わせて、文化は構築されていくものです。

 一朝一夕に出来上がるものではないから、それを見に旅に出るのだと思うのです。

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 先週末、大分の女性から、お礼にとカボスのジュースが送られて来ました。

 コーヒーの後、2杯程ビールをご馳走しただけなのに、申し訳ない気もしますが、有り難く受け取ることにしました。

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  24歳で初めて海外へでて、30歳の頃東南アジアを渡り歩いた時も、バックパック一つが私の旅のスタイルでした。

 バックパッカーのバイブル、沢木耕太郎の「深夜特急」を20代前半に読んでからですが、それが私に合っていると思っていたのです。

 良いホテルに泊まるより、美味しい食べ物を食べるより、少しでも色々な街を渡り歩きたい私にとって、バックパック1つの旅が性に合っていました。

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 しかし私も46歳。まだまだ元気なつもりですが、そろそろ、バックパックの重さが堪えるようになってきました。

 一番の理由は体力的な問題ですが、50歳になった時、その姿が見れないかなと思うようにもなりました。

 私のフィンランド行きを誰かに聞いて、大学時代の後輩から連絡がありました。

 2日目に泊まった、タンペレで働いているそうです。

 分かっていれば現地で会えたかもしれず残念ですが、仕事の舞台は世界なんだと意識させてくれます。

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 ヘルシンキは港町で、街中でもカモメがいます。

 ウィーン、メキシコシティ、オスロ、アムステルダム……

 行きたい街は沢山ありますが、ひとまずバックパックでの巨匠巡礼は今回で一区切りです。

 新しい旅のスタイルを模索します。

心に感じることは間違わない‐1302‐ 

 先週末は  「松虫の長屋」『住人十色』の撮影がありました。

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 土曜、日曜とあったので、少しでも顔をだしたかったのですが、私は函館行きで現場へ行けず。

 スタッフの田辺が写真を撮ってきてくれました。

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 ディレクターをはじめ撮影チーム5名と、リポーターの女性タレントは東京からの来阪でした。

 『ビフォーアフター』の時もそうでしたが、製作の人達は番組内の「クイズ」にかなり力を入れます。

 良いクイズだとスタジオのタレントさん(今回なら松尾貴史さんと三船美佳さん)の集中力が増すのかなと、私は想像しています。

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 こちらの奥さんが「先週も豪邸でしたが、我が家で番組になるんでしょうか」と言っていました。

 しかしそれは大丈夫です。(私が担保するのも何ですが)

 撮影チームはプロ集団ですし、この番組も9年続く人気番組。撮影に来てくれるのは、番組の経験値による基準を満たしている証拠です。

 また、30分の番組を製作するのに、2日間みっちり撮影を行います。

 見方を変えれば、人気番組だから良いスポンサーが付き、しっかりと製作費が出る訳です。

 料理と同じで、素材がなければ良い番組はできません。この時点で、ほぼ勝負が決まるのではないでしょうか。

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 皆でお弁当を食べるのも、撮影現場に一体感を持たせるための手法かもしれません。

 奥さんから「とても疲れましたが、あんな経験は二度と出来ないので良かったです」とメールがありました。

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 撮影後、カメラマンを中心に遊ぶお子さん達の写真を送ってくれました。

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 夏休みの思い出になってくれれば嬉しいのです。

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 忙しい仕事の合間を縫って、撮影に参加してくれたご主人。

 笑顔の写真が送られてくるだけで、救われる気がします。

 余程恵まれた人なら別ですが、一所懸命働いていなければ、こだわりの家を建てることは出来ません。

 もし、大富豪のご子息で、働く意欲はないが、豪邸を建てて欲しいとオファーが来ても断ります。(来たことはありませんが)

 懸命に働く人の力になりたいと思うから、私達も仕事に打ち込めるのです。

 いつからか、思っていないことはやらない方が良い、と思うようになりました。

  目で見、耳で聞き、心に感じることは間違わない。

  間違うのは判断だ。

  ゲーテ

 こちらのご家族と仕事が出来たことは、本当に幸せだったと思います。

フィンランドの旅② <アアルトと近代・現代建築編>‐1300‐ 

 前回は8月12日(木)の夜、フィンランド第2の街、タンペレに着いたところまで書きました。

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 8月13日(金)の朝、タンペレを発ったのですが、駅前通りには前衛的な建築物がありました。

 用途は分かりませんが、フィンランドにはこのような自由な空気があります。

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 髪の毛を、ピンク、グリーン、オレンジに染めている女性を沢山みました。

 良いか悪いかは別にして、タトゥーや全身にピアスを付けている若者が、とても多いのです。

 1時間半ほど電車に乗り、9時半頃ポリという街に到着しました。目的はアアルトの代表作、「マイレア邸」に行くため。

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 この日は残念ながらかなりの雨でした。

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 前日、セイナッツァロのタウンホールで会った、26歳の青年とも電車で再会しました。

 また、大分から来たという女性2人も同じ電車で、タクシーをシェアすることにしたのです。

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 「夏の家」は名作に多い、「小さいな」という印象でした。「マイレア邸」は全く逆。豪邸でした。

 1939年の完成なのでアアルト初期の代表作と言えます。

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 ガイドツアーを予約していたので、1時間程時間がありました。

 本降りになってきたので、この有機的なフォルムをしたポーチで、旅や建築の話をしていたのです。

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 玄関の小窓は繊細なデザインです。

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 いよいよガイドツアー開始で、ドアが開きました。

 玄関すぐにあったトップライトを撮りましたが、内部の撮影は不可とのこと。

 マイレア邸は、現在も実際に暮らしており、人が居ない時だけ公開されているようです。

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 正直、とても残念でしたが、絵画も、カンディンスキー、ブラック、ミロと本物が飾られ、見せて貰えるだけで有り難いと思わなければなりません。

 しかしやっぱり残念。

 この日は、ヘルシンキまで3時間半掛けて電車で戻ったのです。

 8月14日(土)も朝から雨で、昼からヘルシンキ市内を回りました。

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 市内西部にある、テンペリアウオキ教会は、岩をくりぬいて建てられて教会で「ロックチャーチ」と呼ばれます。

 スオマライネン兄弟の設計によって、1969年に完成しました。

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 内部は圧巻です。

 特別なしつらえなど無くても、岩の壁に囲まれ、全周から光が差し込めば、荘厳意外の言葉が見当たりません。

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 お椀のような屋根の周りが、360度トップライトになっているのです。

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 それを支えるのは、よく見ると薄い鉄筋コンクリートでした。

 あまりの薄さに目を疑いましたが、近代建築の粋を集めた空間と言えるでしょう。

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 市内中心部にも、現代建築の教会があります。

 カンピ礼拝堂は、設計事務所K2Sの設計で2012年に完成しました。

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 内壁、外壁とも木でできており、ロック・チャーチとは対極の素材です。

 しかし、コンセプトは非常に似ています。

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 何かを付け加える訳でなく、徹底的に削ぎ落としたデザインです。

 例えば、ミラノのドゥーモの装飾をみて、凄いと言わない人は居ません。反対にシンプライズされた建築には、様々な解釈が可能です。

 日本でも国立競技場の騒動があったように、多くの批判も起り得ます。

 2つの教会も、おそらく賛否両論があったでしょう。

 その中で、こうして実現に至っていることに、この国のデザインに対するキャパシテーを感じるのです。

 現在でも誕生100年という若い国で、北欧デザインの先駆者として活躍したのが、アルヴァ・アアルトに他ならないのです。

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 そのアアルトを巡る旅もいよいよ最終日になりました。

 残すはアトリエと自邸だけ。郊外の高級住宅街まで、トラムで20分程でした。

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 1956年完成のアトリエが見えてきました。

 私の心をもてあそぶように、曇ったり、晴れたりの一日でしたが、何とか日が差してくれました。

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 私にとっては一生に一回かもしれないアアルト巡礼なのです。

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 現在でも、アアルト基金の人達がこの製図室で働いていました。

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 当時はT定規。私にとっても懐かしい製図道具です。

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 そして、庭に対して湾曲した壁をもつアトリエは、羨みたくなるような空間でした。

 「ここで働いたら、いい仕事ができるだろうな」と。

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 誇らしげにアアルトデザインの照明が。

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 木製の模型もありましたが、この大きなプロジェクトになると、アトリエ一杯の模型が作られたようです。

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 ペンキ補修をしているお姉さんはご愛敬として、円形の庭へ目線が誘われます。

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 所員と家庭的な付き合いを望んだアアルトは、この中庭を屋外劇場として様々な用途に使ったそうです。

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 そして最後は、1935年完成の自邸です。アトリエから歩いて15分程。

 レンガの質感がすけるような白のペンキ仕上げは、アアルトの好んだ表現です。

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 アトリエが出来るまでは、ここが仕事場も兼ねていました。

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 アアルトが実際に、家族4人で暮らしたリビングです。

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 どう表現すれば良いのか、アアルトの優しさが溢れています。

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 建築、家具、照明等、彼の手に掛かれば、優しく、可愛げに、形を変えていきます。

 しかし決して過剰ではないのです。

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 長く、暗い北欧の冬を楽しく過ごすため、家具はカラフルにデザインされました。

 アルネ・ヤコブセンのアンツチェアやセブンチェアに代表されます。

 また光源が目に入らず、食べ物が美味しく見え、かつ部屋が明るくなるようにデザインされがのがPHランプ

 ポールヘニングセンの作品です。共にデンマーク出身。

 フィンランドはヨーロッパの北東端にあり、現在でも、国民は500万人程です。

 様々な国に支配された歴史もあり、誤解を恐れず書けば、弱小国家と言えます。

 その小国から、ヨーロッパ、アメリカと世界に影響を与えた、国民的デザイナーは皆の希望の星だったはずなのです。

 アアルトは、建築においては世界最高レベルにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)で教員を務めたことがあります。

 しかし、最終的にはヘルシンキに戻ってきます。勝手な想像ですが、アメリカの空気、もっと言えばコマーシャリズムに合わなかったのではと思っています。

 優しさ、フィンランド、キャンティを愛したのがアアルト。とにかく空間が暖かいのです。

 この旅で一番感じたのは、目だった産業がある訳ではない、フィンランドのデザインは、日本の本気度をはるかに上回るものだと言う事です。

 もし、日本経済の裏付けがなかったとしたら、日本人建築家がここまで活躍できたのだろうかとも思うのです。

 そして、私がアアルトの空間が本当に好きなのだと確認できました。好きすぎて、最長の日記になってしまいましたが。

フィンランドの旅① <ヘルシンキ、ユバスキュラ編>‐1299‐ 

 8月11日(木)の現地時間の午後6時頃、ヘルシンキに到着しました。

 日本との時差はー6時間です。

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 飛行機からみれば「森と湖の国」は一目瞭然でした。

 山地のない風景は、私たちにとっては新鮮な景色です。

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 夜の長い北欧は夕方とは思えない明るさでした。

 ヴァンター国際空港から電車で30分ほど。ヘルシンキ中央駅に到着しました。

 駅舎は1919年、エリエル・サーリネンの設計です。

 旅行者を初めに迎えてくれるのはいつも中央駅。その街の印象として強く残るものです。

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 ヴォールト屋根のオーソドックスな様式ですが、それゆえ、100年の歳月を感じさせません。

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 チェックインの前に、さっと街中を歩いてみました。

 ヘルシンキの建築は、中世、モダニズム、現代建築が入り乱れています。

 歴史的には、ロシアやスウェーデンに統治され、ナチスの侵攻を受けたこともあります。

 1917年のロシア革命の際に念願の独立を果たした、非常に若い国なのです。

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 また、寺院建築もロシア正教のウスベンスキー教会。

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 ルーテル派のヘルシンキ大聖堂と多様です。このあたりも、歴史の痕跡と言ってよいでしょう。

 しかし、街から混沌とした印象は受けませんでした。

 結論を先に言うと、北欧のデザインに対する考え方が、非常に高いのだと実感しました。

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 アルヴァ・アアルトの作品からも見てとれます。

 中央駅を南に下るとすぐにある、1969年完成のアカデミア書店。隣両隣には、前時代の建築が建ちますが、違和感はありません。

 高さを合わせるだけではなく、美しく、優しいのです。

 西ヨーロッパの街並みが、保存を基本とするなら、共存を求めるのがヘルシンキの街並みだと感じました。

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 アカデミア書店にはトップライトが3つあり、下に向かってガラスが張り出しています。

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 冬が長く暗いため、光を求める工夫がいたるところになされているのです。

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 2階には彼の家具が使われている、カフェ・アアルトがありました。

 この日はここまでにして、ホテルに戻ったのです。

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 8月12日(金)は早朝から電車で、アアルト故郷、ユバスキュラを目指します。

 ユバスキュラはヘルシンキから北に300kmほどで、電車で3時間半。

 この街にはたくさんのアアルト作品が残っています。

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 まずはアアルト美術館。

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 内部は彼のデザインした家具の製作工程などが展示されていました。

 ここから次の目的地まで、路線バスに乗って30分ほど。

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 セイナッツァロのタウンホールに着きました。

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 本当に素晴らしいものでした。

 特に議会場は今まで経験したことのないものでした。

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 レンガのみで構成されて空間が、こうまで美しいものかと。

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 また、「ルーバーとは光源を見せずに柔らかい光を演出するためのものなんだよ」と語りかけてくるようです。

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 久しぶりに、夢中でシャッターを切ったのです。

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 そこから更にバスに乗って10分。湖のほとりを走ると「夏の家(コエタロ)」に到着しました。

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 25年前から、写真集では何度も見てきたこの作品。

 アアルトが夏を過ごす別荘として設計された、実験住宅なのです。

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 その証拠に、レンガ、タイルなど、様々なパターンで壁面が構成されています。

 私が設計したSpoon Cafeで、濃い青のワンポイントを入れたのは、この影響かもしれません。

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 この空間の上部に、中2階のような彼のアトリエが見えます。

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 吊り構造になっているため、柱がないのです。

 この床を持ち上げる軽やかなディティールも、何度も写真で目にしたもの。やっと本物を見ることができました。

 この技術自体は、全く難しいものではありません。しかし、実現するかは全く別の話です。

 松葉のような吊り柱が、床梁を挟み、吊り上げているのですが、僅かに隙間があるのが印象的でした。

 「隙間があってもいいんだ。挑戦することが大事なんだ」と、再び巨匠の声が聞こえてきます。フィンランド語はわかりませんが。

 納得、満足、反省など、複雑な気持ちで再びバスでユバスキュラの駅に戻ったのです。

 翌13日(土)は、「マイレア邸」のあるポリへ向かいます。

 ポリはフィンランド西端の田舎町らしく、中間点にあるタンペレで一泊することにしていました。

 駅のチケット売り場で、「窓際の席はあるか」と聞くと「とんでもない、乗れるかどうかわからない」のような感じなのです。

 「どんな席でもいいから」というと、何か言っているのですが理解できず、「問題ない」と伝えました。

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 どうもペット専用席だと言っていたようです。

 若い女の子のペットの彼と、なぜか2時間半向かい合わせの旅に。別に嫌な訳ではないですが。

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 タンペレはフィンランド第2の都市で、工業都市でした。

 サイナッツァロでもそうでしたが、煙突の多くがレンガで出来ています。

 この高さをレンガだけで作るのは難しいはずなので、おそらく鉄筋コンクリートの上に貼っているのだと思います。

 それでもレンガか、そうでないかでは全く印象が変わります。

 デザインといえば、実用的ではなく、コストがかかるものという印象が、日本にはまだ強く残っている気がします。

 しかし北欧では、テキスタイル(織物)であれ、家具であれ、建築であれ、美しくあるべきだという思想が、かなり強いのではないかと思います。

 その大きな理由がやはり、風土気候にありそうです。

 今回はここまでにして、続きは木曜日に。

『住人十色』取材打合せの場面にて‐1297‐

 先週土曜日は、「阿倍野の長屋」へ行っていました。

 5月の見学会以来ですが、 今回は、毎日放送『住人十色』の取材打合せでした。

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 ご主人は仕事中で、まずは奥さん、ご主人のお母さんが、ディレクター、構成作家と打合せです。

 6月に、番組の方から連絡があり、その後、7月後半に取材決定となりました。

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 私が居なくても全く問題ないですが、クライアントから「出来れば立ち会って欲しい」と。

 3時間半同席させて貰いましたが、テレビとは本当に多くの時間を掛けて製作されているメディアです。

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 そうこうしているうちに、ご主人が戻って来てくれました。

 忙しいし仕事の合間を縫っての帰宅で、感謝しかありません。

 オンエアが終われば「とても良い記念になった」と言って貰えると思いますが、この時点では、負担と不安しかないはずです。

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 3ヵ月振りに会うお子さん2人も、初めこそ盛り上がってくれます。

 しかし、大人の都合ばかりで、間違いなく退屈。

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 お兄ちゃんはお気に入りの場所で、ゴロゴロして本を読み始めました。

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 すると、奥さんがプラバンをお子さんに渡し、兄弟はお絵かきを始めました。

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 それをオーブンで焼き、縮んだところを見計らって、すぐに分厚い本で挟みます。

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 少し冷ますと、プラバンキーホルダーが出来上がりました。

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 次男君が飽きてきたら、光庭のプールで水遊び。

 「これが一番長持ちするんです」と。

 全て、取材を受けながら、更に子供にご飯を食べさせながらです。

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 他人の私から見れば、広い視野をもち、てきぱきと神業のようでした。

 奥さん方はいつもこのような事をしている訳です。しかし、男は仕事に出て、普段それを見れないのです。

 改めて関心した男性は、今日、奥さんに感謝の意思を示しましょう。

 恐らく、私は一番出来ていない部類ですが。

 リサーチャーの方によると、「住人十色」には、年間1000から1500件程オファーがあるそうです。その中で選んで貰ったのは、とても嬉しいことです。

 番組のサブタイトルは「家の数だけある家族のかたち」。それが上手く伝われば良いなと思います。 

 放送は10月15日(土)の予定で、レポーターは、有名な女性タレントの方だそうです。

 どんどん宣伝して構わないとのことで、取材の様子も含め、追って報告して行きます。