カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

運命という縦糸

 動きの遅い台風によって、大きな被害が出た近畿地方。

 十津川村、田辺市など、よく訪れていた場所で、その映像を見ると痛々しいばかり。明日からは晴れ空が戻りそうで、少しでも早い復旧を祈るばかりです。

 現在進行中の計画で、四柱推命に詳しいクライアントが居ます。

 詳しいと言うよりは、鑑定の依頼があったり、今も勉強会にも参加したりと、大変熱心な人で、専業ではありませんが専門家と言えます。

 言葉は聞けど、四柱推命が何を意味するか解っていませんでした。

 生れた、年、月、日、時という4つの柱をもとに、その人の運勢を推察するもので、中国に古来よりある、陰陽五行説が元になっているそうです。

 打合せの合間に、少し教えて貰っただけで、何が分かった訳ではありませんが、聞いていてとても気持ちが良いのです。

 その理由は至って簡単。
 
 時刻までは公開していませんが、生年月日はいたるところに公開しています。それを見て専門家が足を運んでくれたという事は、良い運命と判断してのことなのです。勿論それだけが理由ではないと言っていましたが……

 生年月日(時)は変えれませんから、気にしても仕方がありません。しかし、良いと言われれば嬉しい以外にないのです。

 その先の対策もいたってシンプルです。本来は何でも何真ん中辺りが一番良いそう。良い流れの時は調子に乗り過ぎず、良くない時はぐっと堪えるという考え。これらも体感的に納得できます。

 ある時「守谷さんはとてもいいんですが、この頃にちょっと大変な時期がありましたか」と聞かれました。独立して3年が過ぎ、我武者羅だけでは通用しないと感じていた頃で、自分なりにあがいていた時、ピタリでした。

 だから信じるという訳ではありませんが、自分でコントロール出来ない部分が有っても、人に何らかの傾向があっても、不思議ではないと思います。

 地球は一日一回、規則正しく回転しますし、一年で太陽を一周します。太陽は生命の源ですから、それらが影響を与えていていないほうが不思議かもしれません。

 但し、それが運命であっても、それだけで人生が決まるとも思っていません。

 「人生とは、運命と言う縦糸と、因果応報と言う横糸が紡ぎだすもの」と稲盛和夫氏は説いていました。

 因果応報とは、良い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生むという考え。30年等というスパンで見ればこれはもう明らかとも合わせて記されていました。

 少し話がそれましたが、こちらのクライアント、当然風水にもこだわっています。近いうちに現場日記にUP出来ると思います。

 どれがこの計画か……分かる人は専門家か、よほど勉強熱心な人のはずです。
 
守谷 昌紀 1970年7月28日 11:58am 生れ

すきま

 6月に入って2日目。雨は降ったり止んだり。

 子供達も家の中で遊ぶ機会が増えます。この時期、特に縁側の有難味を感じます。

 我が家は築38年の木造住宅。庭に面して、2.7m×0.9m の縁側があります。

 縁側から、雨に濡れる草木を見るのは、この季節ならではの楽しみ。

 長男は何故か踊りながら……

 どうも学校では「おちょけ」で通っているようで、ふざけたり、踊ったりで人を笑わせるのが好きなのです。

 私達にはあまり無い要素で、一体誰に似たのかと思ったり。

 縁側には25cm程の隙間があり、子供達はこぞってここに入ります。

 お隣の子供も来ると、総勢4人。

 障子を閉め、ひしめき合って遊んでいるらしく、その結果は必然です。

 誰かがのぞいていると、それを取り合い、更に穴は広がる一方。

 長嶋茂雄は国民的スターですから、家は田園調布にある豪邸です。

 子供が小さい頃、壁は落書きだらけで、それを叱ったことがないと聞きました。

 のびのびと育てるのも大事、躾も大事。どちらかが正しという答えはありません。

 確か長嶋家には3人のお子さんがいます。うち2人はテレビ関係の仕事をしているので、私達も知っています。自由な子育ての結果と言えば叱られますが、それを知る事が出来るのは、稀有なケースかもしれません。

 お子さん2人を見て、それもふまえ「障子を破らないように!」とは言いますが、あまり叱らないようにしました。

 建築に関わるものとして、物を大切に、良い空間を良い状態で保って欲しいといく気持ちはあります。

 しかし小さい頃は誰も、すきま、端っこ、秘密基地、そんな所が好きなものです。その楽しみを奪うのはどうかと思いますし、家の中にそんなところは必要だと思っているのです。
eferrer”>アトリエmの現場日記

ハイラックスサーフ

 1991年の春、20歳の時に車の免許をとりました。初めて乗った車は、父からのお下がりで、トヨタ・カムリでした。

 世はバブル景気真っ只中。実家のガラス屋も順調で、新車を買って貰うことに。甘えに甘えきっていたのです。

 「どんな車を」となった時、海、スキーを考え、四駆が良いなと。三菱パジェロと悩み、決めたのがトヨタ・ハイラックスサーフ。1991年12月の事でした。私にとっての初代サーフです。

 すぐスキー部の合宿地、北海道へフェリーで行きました。

 冬はスキー板、春夏秋はボートを載せ、山、海、湖、どこへでも。

 2003年の5月。友人と釣りに行こうと家をでると、ボンネットの前部から「ボンッ!」という大きな音。

 白煙が上がり、止まってしまったのです。11年で11万キロを走っていました。

 ディーラーに連絡すると、5千円で引き取られて行ったのです。

 すぐに車を探し、考えた末再びサーフに。

 改めて、この車が好きだと分かったのです。

 2代目サーフがやってきたのがその年の6月。今度はシルバーにしました。

 早速キャリアーを付けて海へ。

 33歳を目の前にして、恥ずかしながら初めて車を買ったのです。

 雪道の時も。

 思わぬ場面に出くわした時も。

 甥っ子を連れた時も。

 若干切れ上がっているフロントライトも、大きなタイヤも。全てが好きだったことに今気づきます。

 しかし、乗り換えることにしました。

 走行距離は12万5千キロ。それでも30万円で引き取られて行きました。

 次にやってくるのはサーフではありません。北米での販売は続くもの、日本では一昨年に終了したのです。

 先週の旅行は、最後の時間という気持ちでした。

 今は新しくやって来た車のことより、20年を一緒に過ごしたサーフとの思い出に浸りたい気分です。

 私のサーフは、今はどこを走っているのか。

 北国なのか、ロシアなのか、中東なのか。

 さらば、愛しのハイラックスサーフよ。

ハイラックスサーフ(Hilux Surf)は、トヨタ自動車のSUV型の自動車である。設計は日野自動車主導で、開発と生産は日野とトヨタの共同となる。北米などへは「4Runner」(フォーランナー)という名称で輸出されている。
初代 1983年10月米国にて販売開始。フロントキャブ屋根上にはチルト式のサンルーフが付き、ハードトップとサンルーフを外すと、オープン・エアを楽しめるオープンカーにもなる、多用途レジャー仕様だった。
1984年5月、日本国内で販売開始。日本国内では、屋根を取り外しての公道走行は運輸省の認可が降りなかったが、着脱は可能な構造になっている。全車4ナンバーのライトバン扱いとなった。
2代目 (1989年-1995年) 1989年5月 フルモデルチェンジ。 日本国内向けのエンジンは、5ナンバーのワゴンが従来型と同じ3Y-E型ガソリン2.0L・97馬力と2L-T型ディーゼルターボ2.4L・94馬力、4ナンバーのバンは3L型ディーゼル2.8L・91馬力を設定。
1990年8月 一部変更。性能でテラノに一歩遅れをとっていたことで、輸出用と同じ、V型6気筒ガソリン3.0Lの3VZ-E型を追加設定。ハイラックスサーフ初の3ナンバーとなる。
3代目 N180系(1995年-2002年)
2.7 スポーツランナー1995年12月登場。パワーウインドウとドロップゲートの組み合わせで使い勝手が悪く、日本国内からは改善要求の多かったバックドアは、窓部も一体の跳ね上げ式に変更されたが、ウインドウガラスが電動で上下できる機能は残された。1998年8月 マイナーチェンジ。
4代目ハイラックスサーフ (前期型、2002年10月 – 2005年7月)2005年7月マイナーチェンジ。
 2009年8月7日公式サイトからの記載がなくなり、国内販売が終了した。この結果日本国内でハイラックスの名は完全に消え、41年の歴史に幕を閉じた。
Wikipediaより

赤ペン

 ラジオから、今年は何連休?という話題が聞こえてきます。

 今週後半からはゴールデンウィーク。♪夏も近づく八十八夜♪ 一年で最も気持ちの良い季節になりました。

 長男が小学校に入り、そろそろ「勉強」という単語が、聞こえてきます。
 
 少子化の中、教育教材の競争は激しさを増すのか、反対に参加する企業は激減しているのか、現状は分かりませんがベネッセという会社は流石だなと思います。

 長男が赤ペン先生を始め、添削を見て驚きました。

 先生の字の美しいこと。

 いったい誰がやっているのか。またその教育システムがあるのか。

 自分で字を教えるのは辞めようと思いました。

 私が小さいころは、「科学と学習」という教材を取っていました。学研だったと思います。

 夏休み前にはカブトガニの孵化キットが送られてきたり、分厚い読み物特集が送られてきたり。

 その封筒を見るだけでワクワクしたものです。

 ベネッセの教材にはそんな要素も多分に入っています。

 今月はひまわりの観察キット。

 一方は日当たりの良いところに種を置き、もう一方は暗い室内で育てます。

 どちらが早く発芽するか比べるというもの。

 陽向キットには、水を掛けるコップまで付いていました。

 今朝、芽を出していましたが子供達はまだ知りません。

 日影キットは、何と透明のゼリーの上に種を。

 地中の様子が見れるのです。

 2日で根が出て来たとき、子供たちは歓声を上げていました。

 その気持ちよくわかります。

 道端にはタンポポが。

 在来種のようです。外来種より茎の短いのが特徴。

 どこにでも同じドラマは起こっているのに、むしろ誰の手も借りず花をさかせているのに、自然の営みをどう切り取るか、どう伝えるかで、子供の感じ方は全く違うものになります。

 注意されること、修正を強いられることは、本来誰も望まないことのはずなのに、顔を知らない理想の先生像がそうさせるのか、直されることをむしろ楽しみにしているのです。

 ビジネスとして成立させないとダメなのでしょうが、教育の真髄を見た気がします。
 
 この夏、我が家の庭はヒマワリが咲き乱れることになるでしょう。

奪還

 4月になると、日本は本当に桜の多い国だと実感します。

 普段は控え目で、この時ばかりと咲き乱れる様は、やはり他の花にはないものがあります。

 葉桜も増えてきましたが、花を食べる動物も結構います。

 ヒヨドリでしょうか。

 桜の塩漬けなど、人も食べるくらいですから、ご馳走に埋もれているようなものです。

 5月を前にして、サツキも咲き始めました。

 春の恒例行事にしている、健康検診へ行ってきました。

 身長172cmは当然ですが変わらず。

 体重はベスト+1kg、ウエストはベスト+1cmとまあ許容範囲。

 私にとってのメインイベントは、何といっても視力検査。昨年の結果は左右とも1.5と前年より下がっていたのです。

 大変恵まれているとも言えますし「良すぎると、急に悪くなるよ」言われることもあります。

しかし、今年は気合が入っていました。Ohana石井さんの日記を読んだからです。

 気合十分でまずは右目から。順に小さなCを示されますが、最下段に来ても看護士さんの動きはスムーズなまま。2.0を確信しました。

 さあ左目。下から2段目まではスッときましたが、一度上へ戻りました。

 んっ、間違えたかな?と思いますが、折り返してすぐに最下段へ。

 ここで、右、左、右と3つ程指されました。最後は「上が空いているように感じます」と。これで検査は終了。ベストを尽くしました。

 結果を聞くと「両方2.0ですよ」と。小さくガッツポーズしたのです。ちなみに2.0以上の検査はあるのでしょうか。

 これで、来年への目標が出来ました。ウナギ、レバーを沢山食べます。

イメージ&チャレンジ

 4月に入って一週間。

 小学校の桜も満開です。

 朝から長男の入学式があり、少しのぞいてきました。

 2年生が校歌を歌ってくれました。

 今でも普通に歌えるのは、私もこの小学校出身だから。

 途中で退席したのですが、久し振りに見た校庭は思いのほか大きく感じました。

 話は変わって、先月の下旬のこと。船舶免許の更新に行ってきました。

 更新は5年に1度。車の運転免許と同じような感じです。

 こういった講習は、総じて退屈なものですが、今回の講師はちょっと違いました。

 子供と釣りへ行った時、ライフジャケットのおかげで助かった話。湖上で、若者が手を振っているのだと思ったら、正しい救難のサインを理解せず、助けを求めていた話しなど。汗をかきながら、熱心に話してくれるのです。

 講義の中で、どんな時に操船ミスをするかという話しがありました。

 キーワードは、単調や、慣れなど。例えば、慣れた航路で帰る時、干潮を忘れて浅瀬に乗り上げたり、という話です。

 これは操船だけの話ではありません。失敗をしたくないという気持ちが、今までと同じ道をたどらせ、消極的、慣れ、飽きからミスを誘発するのだと思うのです。

 人生はいつまでも挑戦。チャレンジにはミスという概念さえありません。今回の講師が、全く違って見えたのは、少しでも分かり易くと、高い目標を持っているからだと感じました。

 大切なのは向上心と創意工夫。行動に置き換えるならイメージとチャレンジです。

 新一年生、明日から頑張れ!まずは日本の為に!

伯父

昨日は、午後から葬儀に参列していました。

 昼過ぎに事務所を出て、岡山の児島へ着いたのが3時半。

 すでに式は始まっていました。

 父の兄。享年69歳。交通事故でした。

 伯父は祖父の創業した材木屋を継ぎます。

 父の3つ上で、子供は男の子2人。私達従兄弟どうしは歳も近く、小さい頃はよく児島に来ました。

 伯父は、日展に数度入選する書家であり、水墨画の作家でもありました。アトリエにはいつも膨大な作品が置いてありましたが、昨日はそれらが葬儀場の壁をうめていたのです。

 消防団、保護監を行う保護司、民生委員、交通警察協助員など、いつも地域の為に中心となって活動してきた。そんな人だったのです。

 伯母さん、従兄弟にとっては急過ぎて、悲しむ間さえ無かったと思います。

 今から未来を見たとき、人生には無限の岐路があります。

 しかし人生を振り返ったとき、道は1本しかありません。

 過去の人生は、全てが最高のものだったと言えます。たった1つしかないのですから。

 葬儀場の裏はすぐ海。祖父、祖母、そして伯父を送る時、3度この景色を見ました。

 静かな内海に浮かぶクジラ島。昔、皆で泳ぎに行ったことを思いだします。

smail

 仕事始めから3日目。

 出し忘れていた年賀状も送り終え、そろそろ一段落という感じでしょうか。

 今年の年賀状、事務所用は11月に竣工した伊東内科クリニック。家族用は七五三にしました。11月にOhanaで撮ってもらったものです。

 昨日届いた年賀状に「今年一番の笑顔でした」とコメントがあったのです。

 順番は別にして、褒めて貰えると本当に嬉しいものです。

 撮影後、カメラマンの石井さんから「家族写真は、僕がいいのを選んでおきますから」と言われました。

 流石はプロ。とてもいい写真を選んでくれました。

 若いころから、生きていくのに精一杯の生活を続けてきたので、まさか家族で撮影に行くなど、考えたこともありませんでした。

 大して余裕ができた訳ではありませんが、仕事をきっかけに家族で写真を撮って貰う喜びを知ったのです。

 今年の目標の一つに、笑顔をあげました。使えば使うだけ増えるのが、勇気と笑顔。しかし笑顔は難しい。特に仕事中は。

 皆笑っているように見えますが、本当は「笑かされている」のです。

一級建築士事務所 アトリエm
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

マイベストプロ大阪

 今日は失礼して私の写真から。

 先月の末、メールが届きました。件名は以下の通り。

 読売新聞 マイベストプロ大阪 「大阪において一級建築士の先生を少数名募集させていただいております」

 このwebサイトに参加しないかというものでした。

 サイトを見に行くと『困ったときに、大阪で活躍するプロを簡単に探すことができる、地域密着のwebガイド』とありました。

 説明を希望すると、すぐ事務局の方が来所してくれたのです。
 
 何か問題があった時、webサイトも多すぎてどこに相談して良いか分からないという、読者の声がある。そんな時、読売新聞が審査した専門家を紹介するサイト、という話でした。

 オープンは1年前だったのですが、その時は応募→審査という形式でした。今回アンケートで一級建築士が不足しているという意見があり、探していたところ、当事務所のwebサイトを見つけたとのこと。

 このサイトは読売新聞のTOPページにも小さくリンクが貼られ、読売新聞の関西版サイトにもバナーが貼られています。

 掲載して貰うのに全く問題ありませんが、サーバーのレンタル代だけはこちらで負担しないといけません。しかし、利益を求めているような金額ではないのです。事務局の人に読売新聞がこのwebサイトを運営するメリットは何か聞いてみました。

 新聞とはそもそも、読者の知りたい地域に密着した情報を伝えるのが役目。その役割を果たし、更に他紙と差別化するためです、と。

 すべて納得したのです。早速お願いすると、次は読売新聞サービスというところから取材日の連絡がありました。

 当日現れたのは、60歳を少し過ぎた紳士。聞けば読売新聞のスポーツ欄担当記者だったそうです。50歳中頃のカメラマンも、元・高知支局長。

 何となく若い人をイメージしていたので、一瞬驚きましたが、話し始めると興味を持って質問をしてれ、話は盛り上がったのです。支局長撮影の写真が初めの一枚。

 記事はその記者が書いてくれたもの。専門の情報だけは少し校正しましたが、出来る限り元の文章を尊重しました。初めて接した、新聞記者という仕事に敬意を払ったつもりです。 

 良ければまたサイトものぞいて下さい。 

ランドセル

 長男は来年から小学校です。

 色々要りようですが、昨日はランドセルを見に行って来ました。

 イクタランドセルは、大阪市生野区にあります。

 この辺りには、すぐそばに他のランドセル会社もあるのです。

 店内は白とこげ茶で統一され、とても上品にまとめられています。

 ランドセルがカラフルになったと聞きますが、実物を見るとなんとも華やかで、なかなか良いものです。

 昼一番に行ったのですが、7組ほどの家族連れで賑わっていました。

 古い裁縫機械がディスプレイしてあったので、色々聞いていると「工場を見られますか?」と。

 そっちの方に興味があるので、すぐ案内して貰ったのです。

 裏が工場で、6人程が作業をしていました。

 一番忙しい時なのに、質問には丁寧に答えてくれます。

 とても好感が持てました。

 もの造りの過程を見ると、更に愛着が持てるはずです。

 今のランドセルは、素材も合成皮革、牛革、馬革と様々でした。

 それぞれメリット、デメリットはありますが、革製にしました。少しぐらい重くても、傷がついても良いと思っています。

 色は長男に聞くと「紺」が良いと。

 尊重してあげたい気もしますが、6年間持つものだし……迷いました。

 今回はこちらの意見を押し付けることにしました。それで黒に。ただし縫い糸は青。長男も、黒が良いと思う理由を説明すると、納得したのです。

 黒の革に紺色のステッチが入っているランドセルは掛け値なしに美しいものでした。それもそのはず、数万円しました。私の仕事カバンが2つ買えます。

 それでもこのランドセルにしました。買ってくれるのは、義理の父ですから。