カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

人生の晩秋を向える時& 讃岐うどんの名店Ⅴ

この連休は墓参りに帰っていました。

まずは岡山県倉敷市へ。

父方の祖父母は亡くなりましたが、共に92歳まで生きました。

今は瀬戸内海を見下ろす墓で、静かに眠ります。

瀬戸大橋を渡り、今度は母方の里、香川県まんのう町へ。

祖父の入る墓は、船の神さま、金毘羅山(こんぴらさん)を望む田の中にあります。

曲がった事が大嫌いな人でした。

自分で言うのも何ですが、私が一番その気質を受け継いでいると思います。

香川に来た時、うどん店めぐりはかかせません。

今回寄った店は「純手打ちうどん よしや」。

名店も多い、飯野山(いいのやま)別名讃岐富士の麓にあります。

麺が冷たい、だしが熱い「ひやあつ」としょうゆうどん。

ゲソとレンコンの天ぷらに、おにぎりとおでんのスジ。

これで1050円程。

「純手打ちうどん」の看板通り、手打ち麺を包丁で切るこだわりの店長。

「大将」と呼ばれていましたが、まだ若い感じでした。

一時のブームは去ったとは言え、連休の昼時は店外まで列ができていました。

その表情にはやや疲労の色も。

「気長にやりなよ」と声を掛けてあげたい気持ちもありましたが……

味の方は間違いないものでした。

母方の祖母は88歳で健在です。

今は年に1回くらいですが、小学生の頃は夏休みを一緒に過ごしました。

段々と仏さんのような顔になってきました。

愛おしいと思えるのは我が祖母だからでしょうか。

子供たち、そして私もあと何回会えるのか。

人生の晩秋を迎えた時、果たして私はどんな顔をしているのか。

そんな事を考える時間が彼岸なのだと実感するのです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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絵日記は続く

 8月もあと一日。子供達の夏休みも終ります。

 9月1日が土曜日なので、3日(月)から登校するのかと思っていたら、8月31日(金)から始まるそうです。

 掃除や準備だそうですが、正直、なんと無粋な、と思います。その一日にどれ程の価値があるんだろうと。最終日に、行く夏を惜しむんじゃないか、と言いたくなるのです。

 日曜日の宿題についても、全く同じ。日曜日は丸一日掛けて使うものです。この辺りはいつも納得できていません。まあ、共感が得れるかはさておいて、夏休みの宿題についての思い出を。

 小学1年、2年の担任は、当時30代後半の女性、N先生でした。

 N先生は非常に厳しい先生で、叱る時は相手が子供であっても、真正面から目を見開いて、烈火のごとく叱ります。6、7歳の私にとっては、非常に怖い先生でした。

 結局、小学6年生も担任して貰ったのですが、読書感想文などは、生徒の書いたものをしっかり読み、細やかにその感想を書いてくれていました。私は、赤いペンで書かれたそのコメントを楽しみにしていました。

 いま書いているこの日記が絵日記だとすれば、これを続けているのも、先生のおかげかもしれません。2年生の夏休みも、絵日記の宿題が出ていました。

 休みの間は、毎年母の実家に弟と行っていました。香川の祖父母が預かってくれていたのですが、その庭先で羽化前のセミを幼虫を見つけ、書いた頁があります。

 手元に返ってくると、一文字づつ沢山の〇が付いていました。





 長男が、宿題の絵日記を書きたがらないので、実家から持ち帰ってきました。小学校から大学まで、ほぼすべてのノートなりは捨てましたが、この日記は置いていたのです。

 8月から、当事務所に新しいスタッフが加わりました。ようやく4人態勢になり、現在はオープンデスクの学生も2人参加中。人口密度はかなり高い状態です。

 スタッフを含め、その若者達に言いたいのです。

 N先生は、決して褒めるベースの人ではありませんでした。とても怖かったN先生が、褒めてくれたのは、本当にそう思ったからだと、私は感じていました。また、最終頁のコメントを見て、真剣に読んでくれた事をひしひしと感じたのです。

 怖いは本気の証だとも思います。

 例えば、本田宗一郎が、スティーブ・ジョブズが、いつも社員を褒めて回っているとは、聞いた事がありません。

 「褒めれば伸びる」は、ニンジンがないと走れない馬に近しいとも思うのです。とはいえ、時には結果が出なければ、人はなかなか頑張れないもの。良い仕事が出来れば、いつでも褒める準備はしているつもりです。

 ここは、人生の道場。覚悟を決めて、頑張って欲しいと思います。

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スピーチが得意か

 昨日、夏休みの旅日記を全てUPしました。

 7都市に分けて書いてみたので、良ければのぞいてみて下さい。

 飛行機で家族が一緒なら、やむ得ず中央の4人席を希望します。

 しかし、一人なら断然窓際です。バルセロナからローマは早朝の一人移動。夜と朝の境界線がくっきり見えました。

 日常が、これ程ドラマティックなこのだと改めて気づきます。

 これが日々の写真に戻ると、全く違うのに愕然とします。何と絵力がないことか……と言えば一緒に写っている人に失礼ですが。

 昨日の日曜日は、セミナー講師を務める予定でした。

 しかし、参加者が思いのほか集まらなかったとの事で、中止になりました。準備もしていたので、それはそれで寂しいのですが、無いなら無いで、ほっとするのが正直なところ。

 「ビフォーアフター」に出て、一番増えたのが講師という仕事だと思います。オファーを多く貰うようになりました。

 これまでにも何度か、講演なるものをした事はあります。なかなか簡単でない、というのが正直な感想。

 持って行く資料なども色々工夫をしてみました。どうしようもない、という程ではありませんが、自分のイメージからは程遠いものが大半です。

 自分が聴いて、上手だなと思う人にコツを聞いてみたりするも、アドバイスは当然それぞれで、なかなか上達したという実感はありませんでした。

 結婚式のスピーチなども、何回か引き受けましたが「意外と下手やん」と言われた事もあります。基本的に話し好きなので、上手いと思い頼んでくれるのです。

 今月のはじめにも、そんな機会がありました。

 その際も色々シュミレーションしてみたのですが、90分時間があった事もあり、今回はど真ん中直球勝負で行こうと、方針を決めました。

 結果、手ごたえの一端のようなものを感じました。優秀なセミナー講師の方は、飽きさせない展開、この情報を知れて良かったというお得感、かつ随所に笑いなどもちりばめられ、流石という仕事をします。

 その外枠だけを追いかけてみても、技術がない中で、上手くいくはずなど無かったのです。それなら「今までの仕事人生を聞いてくれ」というようなスタンスの方が、よほど自分を出しやすいと気付きました。

 基本的に、真面目に一生懸命が好きなのに、何故か人前にでると、スマートに話をしている講師像に憧れる。これが、一番の失敗だったような気がします。

 この秋に、今までとは一桁違うキャパの会場での講演を引き受けました。どのくらいの人が来てくれるのか分かりませんが、やった事の無い事には必ずチャレンジしたいと思います。

 また詳細が決定すればお知らせします。

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おしりにまつわるエトセトラ

 この日記を書き始めて8年。完全ゲツモクUPにして6年。

 いつかカミングアウトしたい事があります。自分にとっては大きな事、他人からみればそうでも無い事。しかし、ある人にとっては勇気になるのでは、と思っている事です。

 今日はそこまでではありませんが、やや恥ずかしく、でも嬉しい話を。

 2011年のゴールデンウィーク。フェリーで九州へ行きました。

 フェリーの旅、第一段でしたが、行きの船の中で体が変調をきたしました。おしりに激痛が走り出したのです。

 別府に着き、薬局へ行きました。相談すると、肛門から注入する軟膏を勧められたのです。

 しかし日増しに痛みは強くなり、最終日は妻と子供だけを水族館にやりました。一人車の中でうつ伏せになり、寝ていたのです。

 旅から帰ると、休日だった事もあり義妹の親族を頼り、診て貰いました。「痔瘻(じろう)」という診断でした。「痔」は知っていますが「痔瘻」とは。

 肛門から少し体内に入ったところに、肛門腺というくぼみがあります。20ヵ所程、輪のように並んでいるのです。それが何かの理由で詰まり、化膿します。それが徐々に体内側に進み、肛門の横あたりに突出口ができ繋がってしまうのが「痔瘻」という病気。

 1年程、色々な事を試しましたが、突出口が2つになったのが分かり、もう手術しかないと思ったのです。

 近所で病院を探すと、日帰り手術が可能という、クリニックが見つかりました。

 手術には2週間の入院が必要という話もあったので、早速診察して貰いました。翌週の手術が決まったのです。

 6月25日(月)。昼過ぎから手術が始まりました。手術自体は1時間弱。突出口に出来た肉が盛り上がっている部分をレーザーメスで切除。膿の通り道にゴムを通します。

 この方法をシートン法と言います。ゴムを輪っかにして徐々に締めて行くのです。

 輪になった糸を、大きな板氷に掛け、オモリを吊るしたとします。糸は氷の中を下に移動し、最後にはポトリと落ちます。

 糸は氷を貫通したが、氷は切れていない。それを2ヵ月程掛けて、ゴムでやろうという話です。

 初めに話を聞いた時は意味が良く分からなかったので、どこまで伝わるかは疑問。

 よって画像を付けてみます。先週の中頃、そのゴムの移動がついに終わりました。完治したのです。

 この嬉しさをどう表現すれば良いか。

 以前なら、切開、削除という方法しか無かったそう。なので、医学の進歩は人の幸せに直接貢献してくれます。

 「もし今が原始の世界だったら」と良く考えます。そうだとすれば、完治する事は無かったでしょう。

 大げさに言えば、おまけの人生の始まりです。さようなら、我が痔瘻。

 あの痛みは、九州の旅とセットの思い出です。

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ヌメ革の手帳

 ずっと使ってきた手帳が、限界の感じです。

 今年に入って、2つあるペンホルダーの1つが切れました。

 今度はベルトの部分が切れました。

 大学生2年の時に買ったものなので、今年で22年目。修理してくれるところを探し、持っていくと「修理は出来ますが、革が劣化しているので……」という感じ。

 気に入っていたと言うか、半生を共にした手帳なので、何とかと思っていたのですが。

 初めて取り上げて貰った建築雑誌にも、載せて貰いました。

 同じメーカーのものがピンとこず、色々探してみると、実物を見れるのが烏丸御池という事で、京都へ行ってきました。


 梅雨の中休みの京都は、人出もそこそこ。

 三条通り界隈には、町屋を改修した店舗が結構ありました。

 土屋鞄製造所は東京足立区で創業し今年で40年目。

 妻に言うと、ランドセルで有名とのこと。6、7万円するそうです。

 在庫は有ると聞いていたので、革の感じと色味を手に取って確認。

 表面をコーティングしていない革がヌメ革です。以前のものはペンホルダーが2つあり非常に便利でした。

 追加のペンホルダーを「可能なら特注でも」と交渉したのですが、これはかないませんでした。

 1年後のサンプルが置いてあり、これはとても参考になります。

 土屋鞄は、修理もしてくれるようなので、出来れば一生使いたいと思っています。今度はオイルも買ったので、手入れもしようと。

 「買ってから、修理という事で、ペンホルダーを1つ追加と言うのは……」これも駄目でした。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■
7月8日(日) 7:58pmから8:54pm
「匠」として出演します

下町の悪ガキ

 昨晩のワールドカップ最終予選。サッカーの日本代表はオマーンを圧倒する3対0で完勝。

 「日本はアジアで最も強いチームなので……」という相手チームのコメント通り。本当に強いチームなったのが、よく分かります。

 実力差がある相手とはいえ、全く相手を寄せ付けないパスまわし。本田、香川、長友と、スター軍団の雰囲気さえ漂わせます。

 本田は昨日のボレー一発で、ビッグクラブ行きを担保した、というのは素人発想でしょうか。いずれにしても、彼の今後はとても気になります。

 欲を言えば、まだセレッソ表記になっている、清武に1点決めて欲しかった。このチームはどれくらい私達に夢を見せてくれるのでしょうか。

 午前中は子供の授業参観へ行っていました。

 国語と図工でしたが、図工では色の塗り方まで教えていました。

 こんなことまで習っていたんだな等と驚いたり。

 今までの人生で、どの時期が一番大変だったかと聞かれれば、小学校と答えます。

 大阪も下町、そこに生息する悪ガキのいじめに比べれば、他はそよ風レベルでした。

 こう書くと、酷いいじめにあったようですが、同級生の言葉を借りれば、とても楽しそうだった、となります。

 中学は受験をして私学に行ったので、みなそこそこ頭が良く、それなりに品がありました。勿論、取っ組み合いの喧嘩も、ソリの合わない同級生も居ましたが、小学校に比べれば上品なものでした。

 振り返ってみて、なぜ小学生が大変だったか。

 その理由は、世界の大きさにあると思います。小学生にとっては、クラスや校区が全世界なのです。もし問題が解決できないと、どこにも逃げられないのが一番辛いと思うのです。

 もし、小さな世界で上手くやる事だけに集中すれば、それなりに解決するかもしれません。しかしそれも違う気がします。

 近所、友人知人など近しい中だけで上手くやろうとすると、小さな失敗を恐れ、大きな目的を見失う事になると思うからです。

 もしそんな事に悩んでいる子供がいたら、世界は広い、無限の可能性があると、伝えてあげたい。

 子供の授業を見ながら、そんな事を考えていました。 

 小学生の時、いじめがあったかなかったか。それは見る人によって判断は違います。

 自分が正しいと思ったことは貫きたいタイプの私は、孤立する場面が多かったと思います。

 もう少し上手くやれないと駄目かなと思った事もありましたが、独りになってこそ学んだことは多かった、と言えばかっこつけすぎかもしれません。

 植栽から出てきたカエルを見て、分ってくれるよなと言ったり、言わなかったり。

医師という仕事

 ゴールデンウィーク真っ只中の5月3日。今日は憲法記念日です。

 年の祝日は15日。約1/4にあたる4日がこのゴールデンウィークに集中しています。

 ツツジも満開で気持ちの良い季節になりました。

 自然と人の動きも活発になる訳です。

 一昨日の夕方から首が重たいなと思っていました。

 翌朝、痛くて目が覚めると、ピリットした痛みが首から背中に走り、首が動かなくなりました。

 念の為病院へ行くことに。

 近所の総合病院に来たのは久しぶりです。

 ケアマネージャーをしている母が、あそこの整形外科の先生は、はっきりしてるよと、教えてくれたのです。

 担当は院長。40代後半の感じでしょうか。

 まずは問診ですが、ハキハキとした説明で快活な人です。
 
 レントゲンを撮る事になりました。

 レントゲン写真を見ると小泉今日子のポスターを思い出します。

 アルバムか何かの特典に、全身レントゲン写真があったはずです。

 持ってはいませんでしたが、タレントビジネスというのは、よく言えば考えられているなあ、悪く言えば何でもありだな、と思っていたのです。

 それなら貰えるのかと思っていたので、聞いてきました。

 それは難しいけど写真で撮っても十分鮮明ですよと院長。

 レントゲンを見ながら、3つ位の可能性が考えられると説明を受けました。

 1. 神経の通るところが比較的細いので、骨が圧迫している。
 2. 同じような姿勢を長く続けていると、筋肉が硬直し血流が悪くなる。 
 3. ストレスなども、肩こり、頭痛の原因になる。

 今日首を動かせるようにしておきたい用事があったので、最も痛みが取れる方法でお願いしたいと言うと「それは分かりません」と院長。

 「色々やってみて、これは効かなかったという情報を得るのも含めて治療です」と。なるほど。

 更に「あくまで元気になっていくお手伝いするという感じです」とも。これは「伊東内科クリニック」の院長の意見もほぼ同じでした。

 では具体的にと聞くと、痛み止めの薬をのむ、神経と筋肉の緊張をほぐす薬を飲む、シップを貼る、神経ブロック駐車を患部に打つ、などが考えられます。

 最後のはぎょっとしました。太い針を、腰骨の間に打つのをイメージしたからです。

 細い針を患部に刺すだけと言われお願いしたのです。

 ついでに写真を撮ってもらいました。
 
 先生、看護師さんも笑っていましたが。

 ちなみに私は注射が大嫌いです。腕に打つ時はよそを向いています。

 誤解を恐れず言えば、病院はネガティブな人が集まるところです。

 そんな中、身体的問題、精神的悩みまで相談を受けるのですから、まず普通で居る事が大変な事です。

 世の流れがそうであるように、権利の主張は際限なく拡大していく傾向にあるでしょう。その中で、優秀であればあるほど、悩みや障壁も多くあるに違いありません。

 勿論ビジネスという側面もありますが、そんな環境の中で、世の為に働く医師という仕事は、まさに聖職者と言って良いと思います。

 「どうですか、少し良くなりましたか」と院長。

 「ハイ。随分楽になりました。有難うございます」

 「そうでしょう。そんな魔法をかけるのも私達の仕事ですから」

 院長はかなりのロマンティストだったのです。こんな感じは大好きです。

坐骨神経痛

 昨日は大学時代の友人と会っていました。

 場所はお初天神商店街にある「ニューミュンヘン本店」。

 名物のから揚げも合わせて、由緒正しきビヤホールという趣です。

 若者のビール離れもあり、こんな店は減る傾向にあるようです。

 4人ともが設計事務所を経営しているので、必然的に仕事の話になります。

 全て話しが合う事はないので、ヒートアップしてくる場面も結構あります。

 4時間に渡って話が尽きることはありませんでした。次回は春先の現場見学会になりそうです。

 先週の金曜日。何と表現して良いのか分からない、痛みを感じました。腰から膝の裏側にかけて、ムズムズ痛いというか、広範囲に鈍痛が続くのです。

 その日は仕事を早めに切り上げ、早くに布団に入りました。妻に痛みどめを貰い、子供のように「痛い、痛い」と言いながら、何とか寝ました。

 土曜日も良くならず、日曜日の東京行もあったので、病院に行くと「坐骨神経痛」ではないかと。

 原因は色々あるが、腰に負担が掛かり神経を圧迫、更に寒さで血流が悪くなり、腰から下に痛みで出ているようだと。

 本当に痛かったので、処方して貰った薬をクリニック内で飲みました。30分すると何も無かったかのように痛みは消えたのです。

 これで仕事が出来ると、健康の有難さを実感すると共に、薬の威力の凄さに少々恐れを頂きます。

 「血流を良くする薬」は、どんな部分を、どう刺激すればそんな事が出来るんだろうと考えます。

 医療と薬のおかげで何とかなったのですが、根本を解決しないとどうしようもありません。事実4時間ほど経つと、痛みはまたぶり返してくるのです。

 ある知人が、病気を治すより、その病気の元になった生活習慣なり、食習慣を治さないと意味がないと言っていました。その通りだと、心から納得したのです。

 今回の原因は、現場行の服装が、あまりにも軽装だった事だと思います。

 明日は、首にマフラー、中には長袖シャツ、ズボンの下にはレッグウォーマー。そして腰には貼るカイロで挑みます。

 何より、規則正しい生活が一番のはずですが。

暮れは元気にご挨拶 2011年

 今年最後のゲツモクになりました。2011年は今日も合わせて111記事を投稿しました。

 普段のゲツモク版が105回、それに、メディア告知や旅行のイレギュラー版が6回。この中には3月12日(土)は東日本大震災についても書きました。

 各月ごとに振り返ってみます。

1月 -地元建築家がガイドする名建築-大阪編

建築を評論するのは大変難しかった、というのが本音です。

 しかしそれ以上に、大阪の建築を再度見て回るのは、なかなかない機会だったと思います。

2月 毎日かあさん

 スキー部時代の先輩が、この話題作の監督を務めました。

 やはり刺激になります。

3月 『月刊ハウジング』に「ドタバタ広場のある家」掲載

 月刊ハウジングは初掲載です。

 更に、「ドタバタ広場のある家」は、この1年で3回取り上げて貰いました。

4月 『住人十色』で「光庭の家」放映

 この番組で取り上げて貰ったのをきっかけに、奥さんの仕事が世の中に広く認知されました。

5月 フェリーで行く九州

 フェリーの旅はとても快適で、結局、お盆も九州へ。

6月 Let’s Go To The Dentist! (歯医者へ行こう!)

 その後、ホワイトニングのセットを貰っているのですが、いまだ出来ておらず……

7月 キッズデザイン賞

 大企業がひしめく中、「Ohana」で受賞できたことは、とても嬉しいことです。

8月 香港建築科学出版社

 海外の一流建築家の中で取り上げて貰ったことは、自信になります。

9月 『住まいの設計』 に「イタウバハウス」掲載

 建物もそうですが、その家づくりの全金額を公開で出来たことは、意義のあることだと思っています。

全てはクライアントの理解があってこそ。

10月  ジョブズ

 この流れの速い現代社会を、彗星のように現れ、逝ってしまった天才。

 グラミー賞受賞は驚いたとともに、粋なはからいでした。

11月
アメリカ 1日目 2011年11月3日(木)
アメリカ 2日目 2011年11月4日(金)
アメリカ 3日目 2011年11月5日(土)
アメリカ 4日目 2011年11月6日(日)
アメリカ 5日目 2011年11月7日(月)

 ミース、ライト、マンハッタン。全てが刺激的でした。

12月  急に今日の話です。

 午前中の打合せの後、妻と子供たちが事務所に来ました。

 学校が終わり、前日から泊まりに来ていた、長男の友人も一緒です。

 3人で、キャッキャ、キャッキャと言いながら、イス、床を拭いてくれます。

 とても綺麗に出来ており、彼らの成長を感じたのです。

 建前上、今日が仕事納め。しかし年賀状書き、この時期にしか来所できない方の初期相談、現場視察と、年末まで仕事をします。

 これも、求めてくれる方が居るから。心から有難いと思えます。

 最後に。今年もこのゲツモク日記、また現場日記にお付き合い頂き、誠に有難うございました。心より感謝申し上げます。

 2011年は色々な事がありましたが、全てを教訓とし、更にバネとし、2012年が素晴らしい1年になる事を確信しています。

 皆さんが素晴らしい新年を迎えられますことを、心よりお祈りしています。

2011年12月29日 守谷 昌紀

足の速さは遺伝するか

 昨日は運動会の小学校が多かったようです。

 長男の学校もその一つで、暑すぎずで最適の気候でした。

 小学1年なので初めての参加ですが、6年生にもなるとなかなか立派な体格です。

 私の母校でもあり「運動会の唄」も一緒に口ずさめます。

 妻に「オリジナルの唄があるの」と聞かれました。

 考えた事もありませんでしたが、意外と珍しいことかもしれません。

 開門は朝の7時から。5時半にジヨギングで通りかかるとすでに待っている人も。

 父兄の熱気もただならぬものがあります。

 しかし見ていて、それは理解できます。

 真剣勝負を見て、熱くならない親などいないのです。

 長男もいくつか出場しましたが、何はともあれ徒競走を楽しみにしていました。

 保育園の頃から1着をとった事はないのですが、練習では「いっつも一番やで」と言うのです。まだ6歳なので、話半分で聞いていましたが、楽しみにはしていました。

 ちなみに父は6学年中、4回くらい一着。母、弟、妻とも6回とも一着だと言います。弟はリレーもアンカーでごぼう抜き。運動会ではヒーローというタイプでした。

 しかし私は一番になったことがないのです。親は「一着だった事もある」と言うのですが、全く記憶になく、大体2番か3番だったと思います。さて、長男はどうなのか。

 いよいよスタートの順になりました。パーンという炸裂音と共に、スタートダッシュはOK。これは初めての一番か?中盤までは僅かにリードしています。

 しかしゴール直前で若干スピードが鈍り、すんでのところでかわされたように見えました。終わってから聞くと「僕の方が早かったで」というのですが……微妙なところでした。

 筋力というのは基本的には筋肉の断面積決まります。更に筋肉は、速筋と遅筋の2種類に分かれています。瞬発力は白い速筋、持久力は赤い遅筋が受け持ちます。魚の刺身で見るとが分かり易く、白い速筋がタイ、赤い遅筋がマグロ。それぞれの特性も示しています。

 私はマラソンなら学年で4番くらいだったので、遅筋の比率が高いのだと思います。長男はどちらの筋肉を多く受け継いでいるのか。結論を出すのはもう少し先で良いのですが。

 私も相当に熱が入っていたので、徒競走の写真はなく玉入れだけ。

 来週は保育園の運動会。

 娘は年中組で、同じく練習では自分も一番だったと言っています。

 とても楽しみにしています。

 その晩は約束通り、ご褒美の外食。

 長男のリクエストはいつもギョーザ。