カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

ジューン・ブライド 祝辞 ‐1490‐

 昨日、当社のスタッフが結婚しました。

 2009年の3月に面接をした日から9年と3ヵ月。

 本当に色々なことがあったと思いますが、よくここまで頑張ってくれました。

 素晴らしくない結婚式など1つもありませんが、本当に素晴らしい式でした。

 新婦側で参列させて貰ったのは、親戚以外では初めてかもしれません。

 新郎側と、新婦側でこうも景色が違うものかと驚いたというのが正直なところです。

 男同士は少なからず「ライバル」という視点があると思います。そういったものがなく、ただただ暖かいのです。

 私は主賓のスピーチがあったのですが、2013年の後輩の式以来です。

 この時も、祝辞は3分から5分がいいと言われましたが、自分の伝えたい話をして8分程掛かりました。

 一緒に出席した弟が「飽きはしなかった」と言っていまいしたが、おそらくその言葉のままだと思います。

 もっと彼の良さを上手く伝える言葉があったのではと、悔いが残っていたのも事実です。

 今回も7分位を目指しましたが、妻によると8分50秒掛かったそうです。

 しかし、感想を貰った人の全てから「良かった」「感動した」と言って貰えました。

 スピーチの途中で、一番前にいる妻が泣いているのが目に入り、私も泣いてしまいそうになりましたが、何とか持ちこたえたのですが。

 スタッフの友人と会うことなど滅多にないので、それも新鮮でした。

 本人の頑張りが一番ですが、実際は多くの友人たちが支えてくれていたことを、彼女たちのスピーチからひしひしと感じます。

 「何だ、お礼を言って回らなければならないのは、私の方じゃないか」と実感したのです。

 新婦側だけになりましたが、各テーブルにお酒を注いで回ったのです。

 高校時代の友人達が席にみえて、「内緒でAKB48の『恋するフォーチュンクッキー』を踊るんです。所長さんには是非一緒に踊ってもらいたいんです!」と。

 「ごめん、AKB48の名前くらいは知ってるけど、観たことがないんだ」と言うと、「大丈夫、大丈夫、前で映像も流れますから」と。

 実際何とかなるものです。

 忙しい仕事を続けながら、精一杯の準備をしてきたのが、進行、料理、デザート、引き出物とよく伝わってきました。

 私が涙してしまったのは、お色直しの退席の時。御祖父母の3人と手を取って中座した場面です。

 久し振りに、ドラえもんの「おばあちゃんの思い出」という短編映画を思い出していました。

 親族代表の挨拶、新郎の挨拶で宴も結び。

 命は紡がれ、人は多くの人に支えられて私たちは生かされています。

 それが実感できるのが結婚式なのでしょう。

 幸せや笑顔を見て、むしゃくしゃするという人は居ません。また、「過ぎる」という事もありません。

 周りに伝播するほど幸せに、周りを照らす程、明るい家庭を築いて欲しいと思います。

 実際、私たち夫婦もとても幸せな気分で帰路につきました。

 今日、皆忙しそうにしているので、私が備品を買いにいくと、ドラッグストアでスクラッチカードが出てきました。

 コインでこすると「当たり」の文字が。

 若い女の子の店員さんが「わ~、私初めて見ました。ホントに当たりって入ってるんですねッ」と。

 店を出て行く時も、隣にいる同僚に「さっき初めて当たりを見たんですよ!」と話かけています。

 思わず笑ってしまいました。

 でも、それはそうでしょうとも思います。

 ムスッと不機嫌そうにお金を払っているおばちゃんと、ニコッとお金を払っている人の、どちらに神様が当たりカードをしのばせてくれるのか。

 考えるまでもありません。

 いやもしかすると、これも幸せのおすそ分けなのかも。

【祝辞】

 いつかこんな日がくるのかなと思っていたのですが、実際にこの場に立たせて貰うと、本当に感慨深いものがあります。

 さちかさんが、当社に来てくれたのは2009年3月でした。

 あれから9年間。真摯に仕事に打ち込み、成長し、今では当社になくてはならない存在となってくれました。

 私どもの仕事は建築設計ですが、大きな夢を持ったクラアントの皆様からオファーを頂き、それを何とか形にし、感激して引き取って貰うというのが目的です。

 遣り甲斐も大変大きいものがありますが、非常にプレッシャーも掛かる仕事です。

 多くの若者が、その重圧に2ヵ月、1ヵ月が持たないなか、なぜさちかさんだけがここまで頑張ってこられらのか。ターニングポイントであろう場面を少しお話しさせて頂こうと思います。

 入社から2年程経った2010年の冬、「Shabby House」という住宅が完成しました。Shabbyとは「着古した古着のような心地よさ」というような意味です。

 クライアントご夫妻は完成したお家を大変喜んで下さり、お礼の席を設けたいということで、さちかさんと私を「Shabby House」に招いて下さいました。

 手料理を振る舞って頂き、美味しいお酒を準備して頂き、本当に幸せな時間だったのですが、その席で奥様が「完璧、もう完璧だったわ」と言って下さいました。

 大きな夢があるからと言って、予算はいくらでも良いと言う方はおられませんので、ありとあらゆる手段を使って、金額を合わせに行きます。

 こちらのお家では、食器棚や本棚を量販店の既製品を組み合わせ、壁に埋め込むことで、職人がつくった家具とそん色ないものにしようという試みをしていました。

 それには、入念なリサーチ、設計図面への落とし込み、現場との調整と、オリジナルの家具を設計するよりも、余程手間のかかる仕事です。

 ともすれば、日の当たり難いこのような仕事をさちかさんは、丁寧に、労を惜しまず取り組んでくれるのです。それをこちらの奥様はよく見て下さっており、先の言葉になったのだと思います。

 彼女はその場で、うれし泣きで大粒の涙を流していました。

 多くの若者が、この場面を経験できず仕事が続けられません。彼女はそれを自身の努力でつかみ取り、決して安くはないお代を頂いているクライアントから、本気の感謝、本気の感激のことばを掛けて頂いたのです。

 おそらく、プロとしてやっていけるという自信ができた瞬間だったと思います。

 よく気が付く、聡明、礼儀正しい、字が綺麗と、およそ欠点など無いさちかさんですが、唯一の問題があるとすれば、仕事をするしか能のない私のもとで、働いていることだと思います。

 しかし、彼女は懸命に仕事に打ちこむことによって、全てが変わったと言ってくれます。

 考え方、行動、言動、全てが前向き、ポジティブなものになったと言ってくれます。

 そして、○○さんと出会われたのです。

 パナソニックの創業者、松下幸之助さんは

 「全てのことは、必要、必然、そしてベストのタイミングで起る」

 と言われたと思います。2人は、必要、必然、そしてベストのタイミング出合われたのです。

 実は結婚のお話を聞いたとき、大変嬉しかったのですが、身勝手にも、「相手の方は、私たちの仕事に理解を示してくださるだろうか」と思ってしまいました。

 しかしそれも全くの杞憂に終わりました。

 この春、私どもが設計した保育園が完成し、お披露目の会が開かれました。その場で彼女は少し測定をしなければならない仕事があったのですが、○○さんも一緒に参加してくれました。

 ○○さんは、メジャーの一端を持ってくれ、こうもったほうが分かりやすい?このほうがいい?などと聞きながら、献身的にサポートしてくれたと、翌日のミーティングで聞きました。

 普通なら、休日に彼女、奥さんが仕事だと言ったら、「そこまでしなくてもいいんじゃない」と言われても不思議のないところです。

 一度3人で食事に行ったのですが、その席でも、互いを想い合い、リスペクトし合っていることがよく伝わってきました。

 もとより2人の幸せに疑いなどありません。

 喜びは分かち合えば2倍に、苦しみは分かち合えば半分になります。

 これこそが結婚する本当の意味だろうと思っています。どうぞ際限ない幸せを実現して欲しいと思います。

 最後に。

 社員というには近すぎる、かといって家族ではない。

 そういった存在にまで成長してくれたこと、そういったスタッフを持たせて貰ったことを心から誇りに思います。と伝えようと思っていました。

 ところが、メッセージカードに、「仕事上の父」と書いてくれていました。

 もちろん、本当にお父様の愛情には及ぶべくもありませんが、私なりに精一杯2人をサポート、応援させて頂きたいと思います。

 そのお名前の通り、幸せが香るようなご家庭を築いて頂きたいと思います。

 長くなってしまいましたが、これをもって私からのお祝いの言葉とさせて頂きます。

 本日はご結婚誠におめでとうございます。どうぞ、末永くお幸せに。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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ギリギリ険道酷道‐1487‐

 昨日、今日と雨が続きます。

 今朝、食卓にイチゴがでていました。

 小振りだなと思って聞いてみると、「地物のいちごはこんなものよ」と。

 小振りで甘さ控えめ。近頃の果物は、どれもびっくりする程甘いので、これくらいが丁度良いのかもしれません。

 先日、車で現場を回っていると、燃料タンクのガソリンが底をつく寸前に。

 足りると計算していたのですが、走行可能距離が「1km」に。

 ガス欠は後が面倒と聞いていたので、まずはエアコンを切り、赤信号ごとにエンジンをストップ。

 ドキドキしながら、ガソリンスタンドに滑り込みました。

 街中なら何とでもなりますが、肝を冷やしたことがあります。

 20年程前、和歌山県の最南端にある、七川ダムへ妻とキャンプに出掛けました。

 高速が今ほど伸びておらず、大阪から4、5時間掛かったでしょうか。人は少なく、秘境と言って良い場所でした。

 大阪へ帰るには、海沿いの国号42号線に出たあと、2つのルートがあります。

 1つは西に回って、和歌山市を目指すルート。もう1つは、東へ回って熊野まで行き、紀伊半島中央を169号線で北上。吉野へ抜けるルートです。

 この時はお盆だったので、すいているであろう東回りを選択しました。更に、念には念をいれ、出来るだけ山側を抜けて、まずは新宮市を目指したのです。

 カーナビはありましたが、この辺りに来ると調子の悪いことが多く、この日も駄目でした。

 一本山側を走るだけなので、間違うこともないだろうと行くと、小さな村が見えてきました。

 通過する時、道端で話をしていたお爺さん達が、私の車を不思議そうに見ていたのです。

 以下のようなルートを通っていたのだと思います。

 ボートを積んでいたので「この辺りでは珍しいのかな」とか妻に言いながら通り過ぎました。

 少し行くと「車幅1.7m以上は通行不可」とありました。山道とは言え5、6kmのつもりだった私は、「大げさに書いているんだろう」くらいの気持ちでやり過ごしました。

 道幅が徐々に狭くなり、肌寒くなってきました。

 標高が上がったなと思っていると、道路の真ん中にコケが生えているのが見えました。初めて、道を間違っていることに気付いたのです。

 変わった滝があったので、その景色を覚えていたのですが、後で調べると「滝の拝(はい)」でした。

 日記の写真は自分で撮ったものと決めているのですが、当時の写真がなく……

 逆向きのルートでしたがこちらのサイトから拝借してきました。

 また、通過した集落は小川という村だったと思います。

 一旦止まって地図を確認すると、山中を北に向いて走ってきたようです。

 先は山の尾根を走る九十九折の道でしたが、瀞峡 のほうに抜けています。

 戻るという選択肢もありましたが、ガソリンが半分位になっており、そのまま行くしか帰る方法はないと判断しました。

 道は更に狭くなります。

 曲がりくねっていて、もうUターンできるような場所は一切ありませんでした。

 当時乗っていたハイラックスサーフは車巾が1.8m。

 確かに道幅は1.7m程で、冗談抜きでタイヤが路肩からはみ出していました。何度も、何度も降りて確認したのです。

 一台だけ出合ったバイクとは、あわやぶつかりそうになってバイクが転倒。

 起こしてあげると、逃げるように行ってしまいました。今思えば、一刻も早くここを抜けたかったのでしょう。

 断崖絶壁のがけにも係わらず、ガードレールが無かったり、岩盤が崩落した後の大きな岩が転がっていたり。

 夕暮れが迫り、更にガソリンは減り、道は細く、深いカーブの連続。

 もう神聖というより、薄ら寒いというか……

 間もなく国道168号線というところまでくると、ようやく景色が開けてきたのです。

 3時間くらい掛かって国道に出たとき、ブレーキを踏む右足はパンパンに張っていました。

 こちらの写真は昨年ですが、20年前はもっと悪路だったと思います。

 あの村で、お爺さんの顔を見たとき、どうして立ち止まれなかったのかと、何度悔やんだことか。

 もうガソリンが無くなるというタイミングで国道169号線に出ました。

 時刻は19:00頃。もう閉めようかというところで、この時程ガソリンスタンドに感謝したことはありません。

 調べていると「険道」「酷道」という言葉があるようです。

 和歌山県道43、44、45号線は、ちょっと知られた「険道」でした。

 また、紀伊半島の中央を、御坊から十津川温泉へ抜ける国道425号線は「日本三大酷道」のひとつだそうです。

 この道もハイラックスサーフで走っことがありますが、「国道だからって信用できないな」と思ったのです。

 今年、国道を169号線を走っていると事故渋滞につかまりました。

 少し戻れば、天川村を抜ける国道309号線があります。

 「待ってるくらいなら、少々険しくてもUターンして行ってみるか」と思っていると、車列が動き出しました。生来のギリギリ、険道、酷道好きなのでしょう。

 しかし命あってこそ。ほどほどにしなければと自戒しています。

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雑草魂‐1481‐

 ゴールデンウィーク中は、海と湖のことを書きました。

 建築設計が好きでこの仕事に選んだのに、「休みは野外に居たい」というのは、少し矛盾するかもしれません。

 自分なりに考えてみると、やはり小学校時代の経験によるのだと思います。

 自宅の1kmほど南を流れる大和川。

 小学校時の教科書には、「日本で一番汚い川」として紹介されていました。

 周辺にはため池も沢山ありました。

 簡単ではありませんでしたが、どこの学校にもいる釣り名人に教えて貰ったり、自分で工夫したりで、フナ、コイ、ザリガニ等を獲って遊んだのです。

 近くにある、西除川との合流点は、やはり大物が釣れました。

 童謡「故郷」にある「水は清き故郷」とは随分趣きが異なりますが、いつも変化する、自分の思い通りにならない野外で、工夫し遊ぶ楽しさを知ったのです。

 この時期、土手は青々とし、花もちらほら咲いています。

 紫の花はマメ科の花か。

 雑草の中のエリートは、誰もが知るシロツメ草。

 白と黄の花は、キク科でしょうか。

 しかし何と言う名か分かりません。

 当時は、土手の北に城東貨物が通っていました。

 この土手は、ダンボールのソリで遊ぶにはもってこいの場所でした。

 アトリエmは天王寺で設立したのですが、2002年に地元の平野に戻りました。

 2003年、弟の家を設計し、その1階に入居しました。

 それまでの間は、隣に見える倉庫を仮アトリエとしていました。

 まさにバラック

 これは父の会社の倉庫で、無料で借りていたのですから、文句など言えませんが。

 会社は大阪の中心地にあるほうがイメージはよいはずです。

 それでも、「自分が設計した建築」、「駐車場が前にある」、「自宅が近い」という3つの理由で、この地で頑張ってきたつもりです。

 昨年は倉庫の跡地に「R Grey」を設計しました。

 弟がオーナーの、アトリエmとしては初めての共同住宅です。

 1984年、「投げたらアカン」という言葉が流行語大賞に選ばれました。

 座右の銘、「草魂(そうこん)」で知られる近鉄の鈴木啓示投手の言葉です。

 現在では考えにくい300勝投手です。

 今年ジャイアンツに10年振りに復帰した、上原浩治投手の座右の銘は「雑草魂」。

 一浪し、野球の名門とは言えない大体大から、ジャイアンツ、そしてアメリカメジャーリーグでの成功を収めました。

 クライアントにとっては、大阪一、日本一、世界一の建築家でいたいと思っているので、雑草魂を語るのは少し違うかもしれません。

 しかし、親が医師、家が芦屋の六麓荘、旧帝大に合格した等の友人、知人をみていると私など雑草以外の何物でもありません。

 常に変化し、自分の思い通りにならない自然。

 その自然の中に、安全で安定した、しかも光と風と笑顔に満ちた空間を創造したいのです。

 しかし、現実は問題、課題の連続です。

 そこから逃げずに、踏まれても踏まれても立ち上がるしかないのです。まさに「雑草魂」です。

 琵琶湖を「マザーレイク」と言いますが、私にとって母なる川は大和川か……

 ちょっと様になりませんが、縁あって下町に生まれたので仕方ありません(笑)

 勿論、それを卑下するつもりもありません。

 京セラ名誉会長の稲盛和夫さんは、「人生は運命という縦糸と、因果応報という横糸が織られ、形作られる」と言いました。

 ゴールデンウィークぼけをしている暇など、雑草にはありません。

 何があっても、立ち上がり続けるだけなのです。

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信念会‐1449‐

 今日は打合せの帰りに、「さかたファミリー歯科クリニック」に寄ってきました。

 オープンが昨年の7月末なので、半年が経過しました。

 出だしとしては順調と聞いていましたが、地域の方たちにもっと知って貰えるよう、頑張っていきますとのことでした。

 「さかたファミリー歯科クリニック」は昨日、当社のwebサイトにもUPしたところ。

 サムネイルに選んだのは正面からの夕景。

 駐車場が広いのも特徴ですが、徒歩の患者さんが一番多いとのことでした。

 このあたりは、開院してみないと分からないことが色々あるものです。

 今週の日曜日は、新年会がありました。

 「しんねんかい」とキーボードに打ち込むと「信念会」と。

 信念を確認する会、というのも悪くないなと。

 大学時代の先輩宅ですが、私は浪人しているので年齢は同じ。

 私たちは今年が年男。48歳になるので、初めて会った時からは30年近くが経ちました。

 経営者あり、一部上場企業に勤める人あり、左官職人あり。

 ほんとうに人生は様々です。

 ホスト役の先輩は、鮎釣りが趣味。

 夏に釣った鮎を冷凍保存し、鮎ご飯として振る舞ってくれました。

 こうなると、やっぱり食べれる魚はいいものです。

 天然ものなので、苦味がすっきりとして、とても美味しかったのです。

 著書も2冊購入してもらっていました。

 1冊は、お父さんへのプレゼントとのこと。このお父さんが、私にとって1番目のクライアントです。

 その仕事があるので、今があります。

 2018年にはいり、年始から2組の方が初期相談に来社してくれました。毎回の打合せ、全ての作品が、私たちの真価を世に問う真剣勝負です。

 「最もクライアントの幸せを実現できる建築家でありたい」という大きな目標を掲げて今年で22年目にはいります。

 今年のテーマは以下の通り。

 会社 ⇒ 幸せのために

 個人 ⇒ ハードワークを毎日

 ゴルフなら、パットのラインを読むのは難しいことですが、仕事に関しては簡単です。

 日々のハードワーク以外に、幸せというピンにたどり着く方法はありません。

 我武者羅とか遮二無二などは、あまり好まれない時代ですが、それしか術をしらないのだから仕方がないのです。

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2017年 暮れは元気にご挨拶‐1443‐

 一昨日、出版社より『MY HOME 100選 vol.19』が届きました。

 このムック本には、「野洲の家」が掲載されています。

 

 また、年明け早々には、「羽曳野の家」の住宅誌の撮影があります。同じく、テレビ取材も決まりました。

 これらは、私たちにとってのお年玉のようなもの。何かしら結果がでると、やはり嬉しいもの。

 「終わりよければすべてよし」とはなかなかの格言です。

 今日が今年最後の木曜日なので、日記の1年を振り返ってみたいと思います。

1月 この道は滑走路‐1344‐

 1月3日の早朝、北野天満宮へ合格祈願に行きました。

 2週間後に、長男が何とか志望校に合格。

 親ができることは、道真公へ神頼みするだけでした。

2月 沖縄の旅<前編>‐1352‐

 「家族で47都道府県制覇」の中でも、私が唯一行ったことがなかった沖縄。

 車や船旅が好きな私にとって、最も遠い日本でした。

 しかし、初めての沖縄は、美しく、美味しく、素晴らしいところでした。

3月 古希‐1358‐

 母の古希祝いに天橋立へ。

 従姉妹どうしで股のぞき。

4月 子供も楽しくなければアートじゃない‐1372‐

 アートを求め、香川県・豊島へ。

 西沢立衛設計の豊島美術館には、子供も、大人も楽しめるアートがあったのです。

5月 最後の難関、北東北<青森・秋田編>‐1375‐

 青森の日本海側にある不老ふ死温泉。

 絶景露天風呂の名にふさわしいロケーションでした。

 飛行機移動でしたが、久々のプロペラ機は怖かった。

6月 子供は小さな大人じゃない‐1385‐

 長男が中学校で卓球部に入りました。

 娘も卓球教室に通いだし、実家では卓球台を購入。

 大人と子供の違いは埋められるものではありません。しかし、理解し合う努力を続けるしか方法はないのだと思っています。

7月 7/21(金)~23(日)「さかたファミリー歯科クリニック」内覧会を開催します‐1392‐

 今年は、住宅、オフィスなど8件が竣工しました。

 そのなかで唯一のクリニックが「さかたファミリー歯科クリニック」

 庇は大樹をまもる葉のイメージです。

 クリニックにおいて、地域の方々に長く愛される以外に目的はありません。

8月 みんな寝ている松江、まずは自分が頑張れ<行ってはいるが島根編>‐1404‐

 「家族で47都道府県制覇」の中で、行ったと勘違いしていた宮崎。

 こちらは7月に弾丸フェリーで行ってきました。

 島根県も通っただけだったので、強行日帰りツアーです。

 朝が早かったため、松江では私以外誰も起きてこず。しかし、世界遺産・石見銀山で食べた団子は美味しかったそう。

9月 夏にサヨナラ‐1412‐

 12月に、海用のボートを廃船しました。

 年に1回、できれば2回はこの海へ行きたいと思っています。

 そして9月には、夏をサヨナラしに行くのです。

10月 細胞レベルで‐1421‐

 「35億」が流行語大賞にノミネートされていましたが、「細胞レベルで」のほうがインパクトがあったのではと思っています。

 人はいうまでもなく、自然を求めます。

 しかし、台風の脅威を嫌という程知らされた10月でもありました。

11月 現実はいつもひとつ<埼玉長瀞編>‐1428‐

 この月も「行ってはいるが通っただけ」を払しょくするために埼玉へ。

 「ブラタモリ」で観た長瀞にしました。

 思った以上の急流具合に、ややたじろいでしまったのです。

12月 『建築家と家を建てる、という決断』AMAZON 1位‐1439‐

 11月27日出版となっていますが、正確な発売日は12月12日でした。

 皆さんのおかげで、発売翌日、翌々日あたりまでは<民家・住宅論>というカテゴリー内ですが、amazonで1位になってくれました。

 『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀(著)

 仕事をしながらの執筆は、思った以上に時間がかかりました。

 しかし、また機会があれば、書いてみたいと思っています。

 昨年末にマルコが退職してからは3人体制で、常時10件はあるプロジェクトを引っ張ってきました。

 何とか進めてこれたのは、10年目に入った、田辺さんの成長も大きかったと思います。

 来春には、新たなスタッフがチームに加わります。

 もっともっと高い所を目指したいと思っています。

 今年一年、この日記、並びに現場日記にお付き合い頂き、本当に有難うございました。

 年始は、家族で47都道府県制覇、最後となった宮城からの予定です。

 皆さんにとって、2018年も素晴らしい一年となることを確信しています。

 2017年12月28日 守谷昌紀

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マイベストはマイベスト‐1435‐

 先日、杵で餅つきをするのを見かけました。

 今日で11月も終わり。

 明日からいよいよ師走に入ります。

 10月の初めのことですが、以下のようなメールが届きました。

 あらゆるジャンルのモノやサービスに関して、その選び方やおすすめ商品の紹介などをメインコンテンツとしており、今では月間約700万人ほどが訪れるサイトとなっております。

 弊社サイトでは、これまで基本的に編集部で調査・執筆していたのですが、今後、その道のプロフェッショナルの方々に取材をさせて頂き、ご意見やご見解を紹介することで、より一層の価値ある情報を提供していきたいと考えております。

 そこで、取材をさせて頂けるプロフェッショナルの方を探しており、守谷昌紀様へ是非ともお願いしたく、ご連絡させていただきました。

mybestというサイトで、今週月曜日に私の記事がUPされていました。

 ページビューをみると64viewsとなっています。

 トップページにある化粧品などは、4万、6千となっているので、それと比べれば、私のベストアイテムは大して参考にならなかったのかもしれません。

 「建築家が愛用する仕事を楽しく快適にしてくれるアイテム」ですから、参考になる対象人数が少なすぎるのでしょう。

 以下の3つは、竣工間際の現場にある造作ものです。

 「山本合同事務所」のムービングキャビネット。

 デスクの横で書類を立てておくものですが、 既製品はスチールやプラスティック等で製作されます。

 緑を囲むオフィスなので、木製のオリジナルをデザインしました。

 家事動線がコンパクトな「白のコートハウス」の階段は、壁に小窓が見えます。

 この後ろに洗濯室があるのです。

 写真の右が主動線。左は身長158cmの奥さんがキッチンから抜ける通る動線です。

 それが可能になるよう、階段を設計しています。

 「碧の家 」のハシゴは、3~7段目にディスプレイできるように考えました。

 これらは、クライアントの要望を何とか叶えるために設計したものなので、誰にも役立つものではありません。

 1点ものばかり設計し、創ってきた私にできるアドバイスがあるのかは、かなり怪しくなってきますがよければ一度のぞいてみて下さい。

 一番最後にあげたのが、レーザーポインター。

 手元に1つ、打合せスペースに1つ、現場行きカバンに1つ入れてあります。

 現場に行った際、これがなければ慌ててしまうほど重宝しています。

 本当に便利なので、施工会社の監督には結構勧めましたが、誰も使っているのをみたことがありません。

 マイベストはマイベスト。

 結局勧めても誰も使わないじゃないと、ちょっと思っているのですが。

楽は楽にならない‐1418‐

 昨日から10月にはいりました。

 暑い暑いといっていたら、朝夕は寒いくらいに。今年も残すところ3ヵ月となりました。

 今日は生憎の雨ですが、昨日は秋晴れの1日に。長女の運動会でした。

 中学になった長男は平日開催で、私が観れるのはこの1回だけ。

 もっと言えば、親として見に行く運動会はあと2回だけということでしょうか。

 2人とも足は速いので、これまで運動会は随分楽しませてもらいました。

 しかし、今年は障害物競走。

 さらに半分は男の子で、ネットくぐりにやや手間取ってしまいました。

 やはり運動会は徒競走に限ります。(我が家的には)

 また、代表委員?をしており、司会進行のアナウンスを担当しました。

 経緯は知らないのですが、何かしらの役割を引き受けたことは偉いなと思っています。

 プラスアルファの充実感があったと思うのです。

 「究極の幸せとは、愛されること、褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること」

 社員の7割に知的障害を持つ人たちを雇用する、日本理化学工業の大山会長が紹介している言葉です。

 面倒や、労苦をさけて、いきなり誰かに必要とされることはありません。

 あまりネガティブな言葉を文字にするのは嫌なのですが、「楽に生きたいは、楽に生きられない」は簡単に証明できます。

楽に生きたい
 ↓
責任を負いたくない、面倒は避ける
 ↓
信用は落ちる、能力は向上しない
 ↓
楽に、楽しく生きていけない

 やはり聖書にある「狭き門をくぐる」ことが、幸せな人生を送るたったひとつの方法なのだと思っています。

 「会社でも常に面倒な方を選ぼうといっている」とある人に話したら、「そんな面倒な生き方辞めたら」と言われました。勿論強要するつもりはありません。

 一度しかない人生です。楽しく、幸せなものにしたいというゴールは誰もが同じはず。いま取る行動がそこに繋がっていれば、全く問題ありません。

 最近つくづく思います。人生って本当に単純にできているんだなあと。

子供との一場面を見逃さないために‐1413‐

 前回、夏にサヨナラしました。

 しつこい人は嫌われるのですが、もう少しだけ海での話しを。

 父に連れられ、小さい頃から来ているこの海ですが、山あいにある小さな浜です。

 山の斜面がそのまま海に落ち込み、少し沖にでるとすぐ深くなっています。

 遠浅の海水浴場ではありませんが、漁港としては好立地なのです。

 その港を守る堤防が、私達の遊び場でした。

 2段になっており、これが結構高いのです。

 写真では分かり難いですが、大人でも頭から飛び込むにはちょっと勇気がいるくらい。

 中学1年生の長男は、高い方から飛び込んだことがなく、今回は雪辱戦でした。

 しかし、午前中は干潮で浅く、高い方はやめておくよう伝えていました。

 それで、低い方から繰り返し飛び込んでいました。

 ただ飛び込むという単純な遊びが、スマホのゲームより面白いと思って貰えれば嬉しいのですが。

 小学4年生の娘も、飛び込もうかやめようか、結構な時間悩んでいました。

 しかし、勇気をだして初ダイブ。

 1回だけでしたが、これも成長です。

 2010年の8月末、何家族かを誘ってここに遊びにきました。

 7年前なので娘は2歳。最高の砂場をみつけたと、1日中砂遊びに夢中でした。

 一緒にきていた友人の次男君は当時9歳。

 今の娘と同じ年齢です。

 高い方の堤防から、飛び込もうか、飛び込むまいか、かなりの時間逡巡していました。

 が、見事に飛び込んだのです。

 下で待っていた、お父さんの表情が全て。

 すがすがしい風景でした。

 長男はもう12歳なので、潮が満ちたあと、高い方から何度も何度も、飽きることなく飛び込んでいました。

 私は片づけをしながらだったので、遠目には見えていましたが、写真は撮ってやれませんでした。

 親として、どのくらい子供見ているのかを考えるとき、いつもイチローの父親の話を思い出します。

 イチローの父親は、小学3年から6年までは毎日一緒に練習をしました。また、高校卒業までは毎日欠かさず学校まで練習を見に行ったそうです。

 中学生の時、監督からバッティングフォームを矯正するよう指導を受けます。

 ずっと2人でフォームを創り上げてきたイチローの父親は「バッティングフォームだけは変えないように指導して頂けませんか」と願い出ました。

 プロに行ってからも、同じ場面はやってきます。コーチから矯正を求められるも、今度は自らそれを拒否。その結果2軍に落とされます。

 女子テニスの、杉山愛選手だったか、 沢松奈生子選手だっか忘れてしまったのですが、母親がコーチでもありました。

 玄関先でなかなか靴の紐を結べない我が子を、怒ることなく、急かすことなく、1人で結べるまでひたすら待ったといいます。

 親なり、コーチなりにできることは、これらの話しに集約されているような気がします。

 8歳から18歳まで、毎日練習を見に行くことは誰にも出来ることではありませんが、反対にいえばこれしかできないのです。

 ただただ見る。そして、必ず守るという覚悟を示す。

 リーダー業を21年、父親業を12年やってみて、私が感じたことも最終的には全く同じでした。

 イチローの父親と比べると、何10分の1しか時間を割いていないかもしれませんが、思いは全く同じです。

 ある夏の一日。

 小さな成長の場面を目にすることができました。

 私がどれだけ一緒に居たいといっても、子供に拒否されればそれまでです。

 「お父さんと過ごす休日は楽しい」と思ってもらえるよう、休日用の引き出しを開け続けるのです。

ほんとに脱稿‐1386‐

 2015年の12月から執筆をはじめ、昨年の9月に脱稿したと書きました。

 その間に、初めの担当者が体調をくずしてしまいました。

 後任の担当者とやりとりしながら、何とか脱稿にこぎつけたのが9月末だったのです。

 その頃、表紙はこの案でいこうと決まりました。

 表は「松虫の長屋」で、裏は「高台の家」

 もちろんですが、本編でそれぞれのストーリーを紹介しています。

 そこから編集部の校正が入り、最終確認を終え、春先の発売を目指していました。

 しかし、2人目の担当者も体調を崩してしまったのです。

 偶然なのかもしれませんが、2度あったということは、現代社会の現実と考えるほうが普通かもしれません。

 若い2人だったので、体調が戻ったら復帰して、バリバリ働いて欲しいと願います。

 いや、「バリバリ」を付ける、私達世代こそが、その原因なのかもしれません。

 いずれにしても、3人目の担当者とやりとりしながら、最終チェックがようやく終わったのは先月末。

 遅れついでに、「高台の家」は先日撮影した写真に3枚程差し替えてもらいました。

 1階のダイニング・キッチンで奥さんとお子さんが食事の準備をしている風景。

 2階のテレビに支配されない空間「P室」。

 ここで、ご主人が外を眺めているシーン。

 そして、庭木越しの夕景です。

 賞罰教育には必ず限界がきます。

 褒めて貰えるからする。叱られるのが嫌だからする。これらが持続する理由はありません。

 いつの間にか歳を取り、そんなことさえも考えなくなり、惰性で仕事をする……

 それと比べれば、一旦仕事を休むことなど、大した問題ではありません。

 若者の特権は、時間があることと悩みがあることです。

 人生は、挫折、敗北、困難の繰り返し。しかし、諦めなければそれらは間違いなく全て糧になります。

 「建築家と家を建てるという決断」ですが、建築だけでなく、クライアントの人生、私の人生も織り込んだつもりです。

 発売は夏の終わりになりそうですが、彼ら2人にもこの本を届けたいと思っています。

子供は小さな大人じゃない‐1385‐ 

 いよいよ近畿地方も梅雨入りしました。

 田植えが始まったなと思っていたら、あっという間の梅雨入り。

 いっとき、娘が小学校で飼っているカエルを連れて帰ってきました。

 彼らも喜びの声を上げているでしょう。

 春から長男が中学校に通っていますが、クラブに属することが必須だそうです。

 「テニスなんかいいんじゃないの」と勧めてみましたが、卓球部に入ることになったようです。

 それもあって娘も卓球を習いたいと言い出し、スクールに通う事になりました。

 いとこも交えて、時々実家の仕事場にある、お手製卓球台で練習をしているのです。

 作業台の上に父が板を敷いたもので、少し小ぶりですが練習にはなるはずです。

 さらに、壁打ちキットまで作って貰っていました。

 月曜までドイツで開催されていた卓球の世界選手権ですが、日本選手のメダルラッシュに沸きました。

 そのテレビ中継を、子供達は歓声をあげながら観戦していたのです。

 日本のエース水谷を下し、トーナメントを勝ち上がった張本智和選手はまだ13歳。史上最年少のベスト8だそうです。

 また、あの羽生善治三冠をも下し、連勝を続ける藤井聡太四段は14歳。

 こんなウルトラ中学生を同時期にみることなど滅多にないでしょう。誰もが無限の可能性を感じ、応援したくなるものです。

 一方「子役大成せず」とならないよう、メディアも含め、まわりが気を付けてあげなければとも感じます。

 友人の医師が、小児科がある理由について「子供は小さな大人じゃないからね」と言っていました。

 それを痛感するのが子育てです。

 自分がこれまでの人生で感じたこと、心が動いた話を、私なりに子供に伝えてきました。

 それによって、子供がどんどん成長するんじゃないかと楽しみにしていたのですが、伝わっていると感じるのは全体の20%くらいでしょうか。

 先日、あるクライアントが子育てのことで、少し意見を聞かせてもらいたいと足を運んでくれました。

 「守谷さんならうまく伝えているんじゃないかと思って」と言って貰ったのは光栄ですが、実は2割バッターで……

 正直、子供のセンサーと大人のセンサーの違いがこれ程大きいとは思ってもいませんでした。

 しかし、ある種納得もします。

 聞きかじった立派なことを1、2回話したとしても、そんなものは馬耳東風。

 どうしても言いたいから、繰り返し話していること以外は心に残らないのでしょう。

 子供は小さな大人じゃないんだなとつくづく思うのです。