カテゴリー別アーカイブ: 06 スポーツ

本田

大阪は昨日からずっと雨。いよいよ梅雨入りでしょうか。

近所の庭先に、アジサイが多い事に驚きます。

控え目な樹形が、普段はあまり気にさせないのか、私が見ていないだけなのか。

何れにしてもこの季節の主役です。

6月11日にサッカーのワールドカップ、南アフリカ大会が開幕しました。今日は日本代表の初戦です。

直前の迷走感もありますが、わが国の代表です。今日はテレビの前で応援したいと思います。カメルーン戦のキックオフは11:00pm。
大会前の特集番組を2つ見ました。1つはメッシ。1つは本田です。初戦を勝利で飾ったメッシは別の機会に譲るとして、今日は本田選手の話。

若き日の中田英寿を彷彿させる本田圭佑。二人の対談番組でした。初対面の2人からは、リスペクトする空気が伝ってきます。まず一番驚いたのは中田の発言です。

「練習の日本代表は本当に上手い。技術、スピード、戦術、何れも世界のトップレベル。僕は代表では下手な方だった」「僕もですよ」と本田。

「しかし試合で使えるかは全く別」再び本田がうなずきます。

当然、技術や体力で劣るから、負けているのだと思っていました。そうではないのです。では何が足りないか。

 「僕は一生懸命やろう、と発言するようなタイプじゃない。本当に日本に欠けているのは練習にしろ、試合にしろ根底にある姿勢」と言いました。

2006年の代表には、勝てる可能性があった。にもかかわらず、それが出来なかったことがもどかしかった、と言ったのです。

精神論を否定される日本のスポーツ界ですが、一生懸命さと真剣に勝ちたいという気持ちが足りないというのです。続いて本田の発言です。

「僕は守備的なポジションで、ビッグクラブでプレーしたいんじゃない。自分の好きな真ん中のポジションでプレーしたい。自分、もしくはストラーカーに決めさせる、相手にとって一番危険な選手でありたい」

 「リスクを背負わないと言うけど、僕はリスクを背負わないほうが怖い。そもそもリスクって何?という話ですよね」

想像していたイメージと全く異なる、聡明で真っすぐな選手でした。最後に中田が彼に託したメッセージです。

「サッカー人生で一番の後悔は、自分を貫き通せなかったこと。やりきって結果が出なければそれは仕方がない。日本代表の中でも徐々に年上になり、バランスをとること、周りを活かすことを求められだす。その為に、自分のやりたいことを我慢し、更に結果がでない。これが一番良くない。どれだけわがままにやれるか。そこに期待してます」

でした。これは以前の発言からも全くブレがありません。

2006年、ドイツ大会のブラジル戦が終わったあと、ピッチで流した涙の一端が垣間見えました。中田英寿33歳、本田圭佑24歳。その意思は受け継がれるのか、それとも……

今日の初戦が注目です。

icetee

 4/10(土)、11(日)は長野県の志賀高原へ行って来ました。

 スキーの試合にエントリーしていたのです。

 宿はジャイアントスキー場が正面に見える、ホテルイタクラ

 土曜日は快晴。最高の景色です。

 幼稚園から高校2年まで、年末はここで過ごしました。

 父が友人達と作っていたスキークラブの定宿だったのです。

 父は20年振りで流石に懐かしそうにしていました。

 この試合は、学生時代の友人達が「全てのワクを超えて、楽しみ戦えるステージを」という理念で立ち上げた団体、iceteeが主催しています。

 ハンディキャップを抱えたチェアスキーの選手も、同じ条件で試合をするのです。

 スキー板一本で、果敢に滑って行きます。

 転倒した時は、見た目にもヒヤッとしますが、皆が同じステージで戦うのです。

 日曜日は、長男もレースに初出場しました。

 最初は渋っていたのですが、まわりに触発されて、自分で出ると決めました。無事完走して17人中15位。

 最年少だったので、立派な成績だと思います。

 私の成績は、初日が19人中13番と12番。

 2日目は途中でスキー板が外れて転倒。唇を切ってしまいました。

 久し振りだったので、甘くはなかったのですが、まだまだ燃えるものがありました。

 時間が許す限り、家族を連れてこの試合に出ようと思います。

 スポーツ、真剣勝負、車椅子でここまで試合に来る人達。伝えたいことが沢山あるのです。

生涯の友

 週末は蓼科へ行っていました。

 ピラタス蓼科スノーリゾートまで大阪から5時間ほど。

 ロープウェイで標高2200mまで登ります。あいにく土曜日は雨が降ったり止んだり。

 それでも長男はやるき満々でした。

 今回は妻の友人家族と、現地で待ち合わせ。中学からの同級生なのです。

 ご主人は、スキーの為に新潟の関温泉に住み込んでいました。

 奥さんと妻もずっとそこでスキーをしていたので、3人は旧知の仲なのです。

 7歳のお姉ちゃんはかなり上手で、長男もついてまわっていました。皆夕方まで頑張ったのです。

 宿はキッチン付を取っていたので、部屋で夕食に。

 子供達のテンションは上がる一方。恥ずかしながら、近隣の部屋からクレームが来て気付きました。

 父は孫と一緒に滑ると、ショートスキーを新調しました。

 ある友人が「お婆ちゃんになってもスキーをしたい」と言っていました。そのときはピンと来ませんでしたが、今は分かります。

 学生の頃、なんとしても欲しい賞状がありました。結局、そのスキーの試合で入賞出来ませんでしたが、こう書いてあったのです。

 「希望と力に満ちた青春の日に、君が情熱を燃やし、創意をこらした結果をここに讃える。
 願わくは、スキーを生涯の友とされん事を」

動機単純

 暖かい日が続いていましたが、今朝は少し冷えました。今日から3月です。

 オリンピックも今日で閉幕。あまり見れませんでしたが、女子フィギアスケートは、事務所の皆で応援しました。浅田真央が滑り終わった直後、点数を見ている表情は、今にも涙がこぼれそうで、心に残っています。

 フィギアスケートが世界で2番目に上手だという評価。または、キム・ヨナに負けたという結果。どちらを見るかで、景色は全く異なります。19歳の女の子は、本気で世界一を目指して、頑張ってきたのです。自分も頑張らないと、という気になりました。

 とても気になる、アメリカのボディー・ミラー。アルペンスキーの「滑降」「スーパー大回転」の銅、銀に続いて、「スーパー複合」では、金メダルを獲得しました。滑降と回転の合計タイムで争う種目です。

 2002年のソルトレイクでは銀2つ、2006年のトリノでは、前年度のワールドカップの総合チャンピオンとして望みましたが、滑降の5位がベストリザルト。

 昨年のシーズン終了後、引退も示唆していましたが、オリンピックを前にして現役復帰。かつて、団体行動は合わないと離脱した、ナショナルチームに戻ったのです。そして32歳で迎えた今回、この結果です。

 実力が凄いのですが、運命というのは分からないものです。しかし、続けていないと、何も起こらないのは誰しも同じ。すっかり触発され、今シーズンは出来る限り雪上へ行くと決めたのです。

 昨日は、近場の福井県にある今庄365スキー場へ。

 朝方まで雨が降っていたので、今日は少なめと言っていましたが、それでも結構な人出。

 大阪から2時間半で着くので、贅沢は言えません。

 長男も中級コースなら大方滑れるようになりました。2人で山頂から滑ってくる途中、ふと気が付きました。

 学生時代、左谷足のターンが、苦手だったのですが、その決定的な原因に気が付いたのです。

 また草レースにでも出るか、と思っているのです。

孤高のオールラウンダー

 今回のオリンピックで、日本人選手はスケートでメダルを獲得しました。今後、最も注目を集めるのは、女子フィギアスケートでしょうか。

 私は学生時代からしていたこともあり、アルペンスキーが気になります。

 日本人選手は、技術系と言われる「回転」にしか出場しませんが、高速系と言われる「滑降」と「スーパー大回転」の放送がありました。技術系から順に「回転」「大回転」「スーパー大回転」「滑降」という並びです。

 長らく見ていなかったのですが、アメリカのボディー・ミラーが、「滑降」で銅メダル、「スーパー大回転」で銀メダルをとりました。技術系から高速系までこなす選手を、オールラウンダーと呼びます。彼は息の長いオールラウンダーで、今年32歳。攻撃的な滑りと、自由奔放な性格が人気の選手です。

 ワールドカップや、オリンピックでは、国のバックアップを受けるナショナルチームで望むものですが、彼はプライベートチームで戦っていた時期があるのです。

 こうした例は他にもあります。80年代から90年代にかけて、アルペンスキーに、マーク・ジラルデリという選手がいました。彼は幼少の頃からオーストリアのナショナルチームにいたのですが、父親とコーチが対立。オーストリア代表として、試合に出れなくなります。

 そこで、国籍をルクセンブルクに変え、家族だけでトレーニングをして、ワールドカップを転戦。オールラウンダーのあかし、年間総合チャンピオンを5度成し遂げるのです。

 ミラー、ジラルデリとも、行動は破天荒ですが、結果を出し続けました。そして何より、ファンに愛されていました。今回服装問題のあった、日本のスノーボード選手も、思うところがあるでしょう。しかし、全てを自身が一番やりたい事にぶつけ、結果を出し続け、愛される選手になって欲しいと思います。

 マーク・ジラルデリは「孤高のオールラウンダー」と呼ばれました。皆が尊敬の念を持っていたのです。

スキー板

 小さい頃からスキーに行っていたので、大学ではスキー部に入ります。

 それによって色々な経験をさせて貰ったのですが、子供にも同じ経験をさせたいかと言うと、話は別です。やはりスキーは、結構なお金が掛かるからです。

 しかし覚悟を決めました。スキー板を一日レンタルしても、3,000円前後。それならいっその事と、長男に買い与えました。

 一番安かった、ブーツ、スキー、ビンディング、ストックの4点セットで14,900円。高級品ではありませんが、立派なものです。3年くらいは履いてもらおうと思うので、かなり大き目なのですが。

 下の娘も、父の手製の練習マシンで猛特訓中。

 何故か、これを気に入っているのです。

 近場のスキー場、ベルク余呉に行ったのですが、ゲレンデをすいすいと歩きます。

 このスキー板も父の手製。

 どうもプラスチックスキーと違い、エッジがあるので扱い易いようなのです。 

 折角なら、あの風を切る爽快感を知るまで、続けてほしいと思うのです。

工藤公康

 現役で実働最長記録を更新中の工藤公康投手。キャリアをスタートした西武を出て、3球団を渡り歩きました。47歳になる今年は、古巣に復帰します。

 一昨日から新聞にインタビューが載っていたので、抜粋してみます。

 プライドには2つある。「捨てなきゃいけない」ものと、「持ち続ける」もの。

 捨てなきゃいけないものは「過去の栄光」。「オレは昔ね……」なんて言い出したら終わり。ボクは自分の心に問いかける。「昔の自分と、今の自分は違う。しっかり現実を見ろ。野球を続けたいなら動け、トレーニングをしろ」と。

 逆に「持ち続ける」プライドは自分がやってきたこと(トレーニングや勉強)に対して。長く現役を続けるために人一倍やってきたつもり。

 私に過去の栄光などありませんから、勉強なしでは全くプライドのない人間になってしまいます。プライドを持ちたければ、ただ勉強あるのみ。

 連載最終日の今日は、家族の話でした。工藤選手には、5人のお子さんがいます。年齢は分かりませんが、努力と節制を持ってすれば、もしかすると孫に実際の投球を、という場面があるかもしれません。

 ただ登板できれば良いとは考えていないでしょう。今シーズンも注目しています。アンチエイジングなどとは違う、人の無限の可能性を感じます。

成長

 ゲツモクではありませんが、書いてみたいことがあります。

 また連休の話しになりますが、その最終日のこと。

 長男がロープウェイに乗りたいと言うので、標高2200mの山頂まで上がりました。天気も良かったので、スキー板を履き、長男をおぶって滑り降りました。

 この日はそれで帰る予定でしたが、「今日もスキーがしたい」と言い出します。前日はスキー板をレンタルしていたのです。

 学生時代からアルペンスキーをしている事もあり、教えるのにはつい力が入ってしまいます。

 前日は、もう少し練習すれば、プルークボーゲンが出来るのに「アイスが食べたい」「雪ダンゴを作る道具を買って欲しい」とダダをこねだしました。それならもう辞めなさい、となっていたのです。

 結局スキーはレンタルしましたが、この日も同じような感じになりました。それで、最後に一般ゲレンデを滑ったら終わりにしようとなったのです。

 滑り始めると、キッズパークで練習していた時より断然上手いのです。手放しで喜んでいると、もう一回行くと言います。滑り降りると、更にもう一回と。
 
 前日の件があったので、最終日は3時間しか借りていませんでした。

 時間が来たと伝えると、どうしてもまだ滑りたいと。短いキッズパークなら1回は滑れるだろうと、納得させました。

 「緩い斜面だから、お父さんは何も言わない。好きなように滑っていいよ」と上から見ていたのです。

 すると、今まで見たことが無いくらい、上手にターンを繰り返し、最後はブレーキをかけ、ピタッと止まったのです。完璧でした。それを見て、私は不覚にも涙を流して喜んでしまったのです。

 長男はきょとんとしていましたが、喜んでいるのは分かり「僕も、そんなに喜んで貰ったの、初めてやわ」と、知ったような口をききます。

 更に、何故かレンタルしたスキー板に向かって「今日は、よう頑張ったなあ」と話し掛け始めたのです。

 何でも褒めながらが良いのは理解していますが、真剣になってくると、つい厳しくなります。厳しくなると、辛いでしょうが、それでも頑張ったから、大きな上達があったとも思うのです。その成果が感じれるまで続けられるかが、大きな分岐点なのです。

 待っていた妻のところに帰り、報告すると「凄いねえ。あのお父さんを泣かしたなんて」と言っていました。人の成長を見て涙するなど、想像したことさえありませんでした。

 人にとって、最大の喜びは成長だと確信しました。それを適えるには、怒るだけ、褒めるだけではだめなことも。

 正しい事に頼るより、自分の体験と直感を信じたいと思ったのです。

fan

 11月も後半に入り、何かと気ぜわしい季節になりました。

 今頃になって言うのも何ですが、私は松井選手のファンでした。

 NYヤンキースの松井秀喜選手です。

 先ごろのアメリカのメジャーリーグのワールドシリーズで、チームを世界一に導き、MVPを獲得しました。

 ところでファンて何でしょう。

 調べてみると、熱心な支持者や愛好者、ひいき、とあります。語源はfanatic(熱狂者)でした。

 芸能人にしろ、スポーツ選手にしろ、言うなれば赤の他人で、直接的な利害関係はありません。それでも見たくなる、応援したいのですから、熱「狂」というのがぴったりです。最高のパフォーマンスを見せて欲しいという、勝手な要望に応え続けてきた人を、狂おしいほど応援したくなる訳です。

 しかし、成果だけが支持を集めるのではないのも、面白いところです。判官びいきという言葉もありますし。そこには、人格、人間性も大きく影響しているはずです。ファンはその人、そのチームの良い結果を、我が事のように喜べるのですから。

 松井選手は、契約やケガを理由にNYヤンキースを出るかもしれません。日本にいるときから、ずっと王道を歩いてきた彼が、全く違った状況でどんなプレーをするか、とても興味があります。

 古巣ヤンキースとの一戦に燃える、松井を見てみたい気がします。そうはならないかもしれませんが、感情的になっている松井を。

やっぱりアスレチック

 日曜日は暑いくらいの日差しでした。朝一番から、生駒山頂にあるフィールドアスレチックへ。

 駐車料金500円、大人500円、子供300円。生駒市民なら割引があります。

 流石に、無料の施設とは大きな差がありました。

 全部で30アトラクション。

 生駒市の運営ですが、ただ走破するだけでも険しい山道なのです。何ならちょっと身の危険を感じるくらい。
 
 下の娘を抱きながら歩くだけで一苦労。足に身が入りました。

 我が子ながら、力を振り絞って綱にぶら下がり、丸太にしがみつく姿は、逞しくなったなと感じました。

 もし落ちたら……というくらい、歯ごたえのあるものが結構あるのです。彼にとっては、多分冒険。

 自分もアスレチックが好きだと言うことが良く分かりました。

 体を動かし、子供と遊び、夕食も美味しく言うこと無しです。何より現地に向かう時、ちょっとワクワクするのです。

 大阪府下なら、能勢、奥水間、兵庫なら六甲山、宝塚、篠山……次はどこへ。

 一昨日は中秋の名月でした。大阪はあいにくの曇り空。

 一日遅れで、昨晩は見事な名月でした。こんな時、夜空さえ見上げていない事に気付きます。

 そんな日常が幸せとも言えるのですが。