カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

女の仕事

 連休の後半は梅田での建築家展へ。

 翌7日は茨城県のつくばへ打合せに行っていました。

 バタバタと日常に戻って行くのですが、もう少し伊勢志摩の話を。

 連休前半、羽で海女さんの実演ショーを見ました。この日は気温20℃、水温14℃。

 それでも3日前からウェットスーツを着ていないと説明がありました。

 この海女と言う仕事。何故女性なのだろうと思っていました。理由はいくつかあるようです。

 1つは、女性の方が皮下脂肪が厚く、寒さに強いから。これは想像できます。

 その他、沖での漁は漁獲も多いが、危険が伴う。それで、沿岸部の潜水漁業は女性の仕事になったとありました。

 また夫婦で働く夫婦船も多く、その際は漕ぎ手が男の仕事だったのです。船と言えば、エンジン付きをイメージしますが、漕ぎ出すとなるとこれは重労働です。

 現在は、男海女(海士)が増えているとのこと。ウェットスーツの着用が認められたり、経済的不況なども影響しているようです。

 ドイツ帝国の礎を築いたビスマルク。鉄血宰相の名で知られますが以下の言葉を残します。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

 歴史は時代の積み重ね。その時代が変われば歴史も変わります。

 男らしい、女らしいも時代によって変わるのです。

情熱は足りているか

 新年度が始まり、2人の若者が入所試験中です。

 うち一人は敷地模型を制作中。 

 これがなかなか珍しい敷地で、行ったり戻ったりしながら、ようやく形になってきました。

 サッカー選手、本田圭祐はテレビ番組でこう言っていました。
  
 自分を信じるというのは希望そのもの。どんな困難でもポジティブにとらえる。そう考える技術、習慣を身につけたい。そしてうまく行かない時、自分に問う。情熱は足りているか、と。
 
 25、6歳というアスリートとして最高の年代に怪我をし、ジレンマもあるでしょう。また所属クラブとの問題も聞こえてきます。その中でも、あくまで、あくまで前向きに。素晴らしい若者です。

 また、経営コンサルタントの石原明氏がメルマガでこんな事を書いていました。

 人間の成長は、繰返し行うことからしか生まれない。ほとんどの人は、仕事ができるようになると、それが簡単なことに思えるようになり、自然と手を抜き始める。結果、知らないうちに自分のレベルを下げる。

 プロフェッショナルな人は、1回1回がとても大事であることをよく理解している。なぜなら、お客さんにとっては、それが初めてのことだから。

 プロとは、何百回何千回繰り返そうが、飽きることなく全力を傾けてやり続けられる人のこと。

 若いスタッフ達へ、そんな姿をいつも見せれれば良いのですが、現実はそんなに甘くありません。良い結果が出ても、そうでなくても、学び、努力する他ありません。 

 改めて自分に問います。情熱は足りているのか、と。

髭文字とオダサク

 急な話ですが、本日1:00pmから3:00pmまで、本町のLIXIL大阪水廻りショールームで「設計相談会」に参加します。良ければ遊びに来て下さい。

 春が訪れ、夜の心斎橋にも活気が感じられます。

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 大丸南館は、ウィリアム・メルレ・ヴォーリズ設計の、優美な近代建築。

 しかし夜撮ると、ロゴの存在が際だっています。

 大丸のサイトにはこうあります。

 「大という字は、一と人を合わせたもので、丸は宇宙・天下を示す」ことから、天下第一の商人であれという業祖・下村彦右門衛門正啓の志と決意が込められたものと伝えられています。大丸マークは、1913年(大正2年)に、縁起のよい七五三の髭文字を商標登録しました。

 大の文字に、七五三の髭が生えていたのは分かっていませんでしたが、天下第一の商人を目指す意思表示だったのです。

 梅田周辺に比べると話題に乏しい感もあるミナミ。

しかし「大阪まち歩き」栗本智代著は、大阪大学教授の橋爪節也氏の「アートなミナミを回遊する」から始まる通り、主役はミナミです。

 8人のカリスマ案内人が大阪を紹介してくれるのですが、何らかの関わりのある場所が3カ所でてきました。

1. 仕事をしたことのある神社
2. クライアントの親族が経営する書店
3. 後輩が管理するビル

 これを見ると、長く大阪で暮らしてきたんだなあ、と感じるところもあります。

 この本の中に「オダサクの大阪発見」という章があります。オダサクとは勿論「夫婦善哉」の織田作之助です。

 大阪人に共通の特徴、大阪というところは猫も杓子もこういう風ですなという固着観念を、猫も杓子も持っていて、私はそんな定評を見聴きするたびに、ああ大阪は理解されていないと思うのは、実は大阪人というものは一定の紋切型よりも、むしろその型を破って横紙破りの、定跡外れの脱線ぶりを行う時にこそ真髄の尻尾を発揮するのであって、この尻尾をつかまえなくては大阪が判らぬと思うからである。
そしてその点が大阪の可能性である……

 先月書いた大阪の気質と合せると「紋切型をきらう、永遠の新人」それが大阪人という事になります。確かの自分の中にもあるような気がします。

 先日復帰を果たしたタレントのやしきたかじん。東京に放送が有る番組は出ないそうです。地域に拘り過ぎることは賛同しかねますが、そこまで言える自信はかっこいいのです。

過去とは相談不要

昨日は奈良へ。

 奈良市も広く、神功という所でのリフォーム相談会でした。

 163号線、清滝街道を通ったのはいつ以来か。

 随分道が良くなったなあ、という印象です。

 道端では野菜の販売所も出ていました。

 告知もあったようですが、あまりの陽気に皆遊びに出掛けたのでしょう。

 来場者は少な目。春なので、まあそんな日もあるでしょう。

 卒業式も概ね終わった頃でしょうか。

 地域の中学校も先週終わったばかり。

 その数日前、ちょっと制服の乱れた男の子が、2人乗りの自転車でゆらゆら蛇行していました。事務所のすぐ近くに中学校があり、周辺に自転車を置いて、通学するつもりなのです。

 「自転車通学はあかんねんやろ」と一声掛けると、全く反省する風も無かったので、学校まで連れて行きました。で、生活指導の先生が出てきます。

 反省を即すると、今度は悪態をつき出しました。先生方が「○○やめなさい」と言うと彼は私に「お前誰やね!」と言ったのです。

 私は切れないと決めています。しかし、中3の男の子にお前呼ばわりされる覚えはないので、最近出した事のないレベルで怒鳴りまくりました。

 「お前って、誰に向って口聞いてんねん!!!……」

 周りの人もかなり引いていましたが、大人の本気を見せるべきだと思ったというのが、正直なところ。おそらく、ちょっと暴れれば、大人に制止されるのに慣れているんだと思います。

 パワハラと言う言葉も在る中、大人が本気で叱るというのはどういう事何だろうと考えます。そもそも義務教育とは……

 そんな事やめておけば、というアドバイスも良く分ります。しかし、何か感じたのに行動を起こさなければ、一日とっても気分が悪いのです。

 ダウンタウン浜田の奥さんが、子育てに置いてこんな事を言っていました。

 「自分の過去とは相談しない」

 子供は未来の宝。自分の過去とは相談不要なのです。

真似る 真似ぶ 学ぶ

 昨日は桃の節句。

 なかなか雛人形を飾ってやれず、申し訳ない気もします。来年こそは新しい家で……

 先月、娘のお遊戯会に行きました。その会場がコミュニティ・プラザ平野です。

 設計は出江寛で1995年の作品。

 私が初めて働いた事務所は、出江事務所のOBが所長でした。

 そこでは1年しか働いていませんが、その間に他のOBとも少し面識ができました。うち一人はこの建物の担当者でした。

 その人は、私より2つ3つ先輩だったと思います。公共建築を設計する大変さ、その苦労なども、聞かせて貰いました。私が24、5歳の頃のことです。

 その時の自分と照らし合わせ、遥か彼方の話しのように聞いていました。

 未だ、公共建築に関わったことはありません。しかし重鎮出江寛とて、初めからそのようなチャンスがあった訳ではありません。やはり、目指さなければ、その機会が訪れることはありません。 

 元楽天イーグルスの監督、野村克也はこんな事を言っていました。

 親も育ってきた環境も違うし、肉体や骨格も違う。それを猫も杓子も一通りの型にはめたのでは個性を生かすことができない。「学ぶ」というのは「真似る」を語源にしていると言われるが、若手も「教わる」のではなく、「覚える」という意識が必要なのではないか

 「学び」と対になっているのは「憧れ」もしくは「謙虚」、というのが持論です。少なくとも「教える」ではないと。

 ああなりたい、と思わなけれれば、真似たいと等と思わないはずです。となれば、子供に、スタッフにそう思わせる事が出来るか、という一点に掛かってきます。

 大きな仕事をするなら、更にスタッフも必要です。まずは自分が希望に燃えていなければ、何も始まりません。

 季節がらもあってか、何か良い事が起こりそうな予感……

必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる

 四ツ橋はその名の通り、4本の橋が架かっていたのがその由来。
アメリカ村の北、西心斎橋と言った方が分かりよいでしょうか。

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 リキテンシュタインの「OSAKA VICKY!」が迎えてくれます。

 その北にあるキッチンハウスで、建築家・窪田勝文氏の講演がありました。
海外でも多くの賞を受賞する建築家で、現在55歳。

 講演は建築家協会の主催で、世話役を務めるのがキッチンハウスの人だったのです。

 彼は当事務所の担当でもあり「質疑応答で、挙手が無かった場合何か質問して貰えますか」と言われていました。

 講演時間は1時間半。自身の生い立ちから、創作のストーリー、作品の変遷。また世界の名建築がなぜ名建築たり得るかなど、素晴らしい内容でした。

 人と自然の間にある、建築がその関係を邪魔してはいけない。

 ファンズワース邸を見てもよく分かる。

 そして建築は、心を動かす事ができる瞬間がある、そう信じている、と。

 講演が終わると挙手は無く、「仕込み」のあった建築家3人が質問をしました。

 そして最後に私。

 いくつか聞きたいことがあったのですが、答えは全て講演の中にありました。それでこう質問しました。

 「多くの創り手が、自身の哲学や思想をダイレクトに表現したいと思っていると思います。その中でも、窪田さんは非常に多くのことを実現していると感じるのですが、何故それが可能となったのだと思われますか」

「昔から、何故フェラーリよりクラウンのほうがかっこいいという人が居るのだろうと思ってました。ずっと世の中がそうだと言っていると、同業者の人でも自分が気づかないうちに、社会に合せてしまってているのでは、と思う事があります。僕は、そこは曲げなかった、という事ではないでしょうか」

 という答えでした。

 この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる。

 松下幸之助の言葉です。

 自分に足りないものは何なのだろうと、いつも考えます。能力、努力など色々あると思います。しかし、真面目で一生懸命ではあるつもりでした。

 「誰が一番真面目で、純粋なのか」というメッセージとも言えます。真面目さが足りてなかったとは……

 全ては必然で必要、ベストのタイミングで起こるのです。

サラダと漬物

 土日はASJの建築家展で高松に居ました。
 香川は母の郷里でもあります。

 少し早めに着き、車で海沿いまで。
 
 屋島は源平合戦の古戦場です。

 那須与一は強風の中、70m沖に浮かぶ船上の扇を射抜きました。

 それが現実なのかは別にして、想いをめぐらせるのが楽しいのです。

 会場までにも沢山のうどん店が。さすが「うどん県」です。

 タクシーの人に、おすすめ店を聞くと「うどんバカ一代」と。

 何とも気になる名前で、次回の楽しみにしています。

 このようなイベントに参加するのは7回目。

 その中では、最も広い会場でした。

 試行錯誤し、ひとまず自分の展示スタイルを決めました。

 1日40組の来場があり、ほぼ話しっ放し。多少のどが痛い感はありますが、話を聞きたいと言われるうちが華です。

 瀬戸大橋が出来たのは私が大学生の時で、それまでの帰省はフェリーでした。その港がここ高松です。

 盆休みを過ごし、夕方祖父の家を出ます。1時間程で高松港に着くとフェリー乗り場は、車の長い列。そしてむせかえるような排ガスの匂い。当時は休みが分散化していなかったので、まさにラッシュでした。

 何とかフェリーには乗れたものの、客室は一杯。甲板で寝たこともありました。夏は星空を見ながらと、なかなかのものですが、冬は寝られるはずもなく。今は車で2、3時間ですが、当時は半日仕事でした。

 建築家・出江寛は、文化と文明の違いをこう書いています。

  高い・速いを文明の特徴とするなら、低い・遅いが文化の特徴。サラダオイルで野菜を食べるのが文明で、漬物にして食べるの文化。文化には「かくし味」がある。

 低い・遅いが良ければ現在もフェリーは運行しています。しかし利用しているのは橋。速い事で私は何を得、何を失ったのか……

 そういえば出江寛のデビュー作は1977年の丸亀家でした。さて私はこの地で仕事が出来るのか。

お札のすすめ

 今日はバレンタインデー。

 近年妻は「チョコレートを買い忘れた」という事もあるくらいで……よってさほど気にしていません。しかし、この日は娘の誕生日でもあります。

 先週末はお遊戯会もあり、立派にセンターの役目を果たしました。随分大きくなったなと思います。

 この日、実家では誕生日会も開いて貰いました。

 私は行けなかったのですが、父母からはお小遣いもあったようです。

 帰ってから妻が「貯金しておこうね」と言うと、そそくさと自分の財布になおしたのです。

「これは100円玉が100個分のお金だから貯金しておこうね」と言っても納得しません。よって未だに彼女の財布の中なのです。

 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

 1万円札は日本最高額紙幣。誰もが知る福沢諭吉の言葉です。博愛主義的な響きですが、続きがありました。

 されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

 元々人に貴賤はないが、学ぶと学ばざるによって、それは生まれる、という意味です。始めのくだりとは、全く趣きが異なります。

 昭和21年発行の1円札は二宮尊徳が描かれていました。

 マキを背負った像を、最近天王寺で見かけました。

 彼も諭吉同様、江戸末期の思想家です。

 早くに親を亡くし農耕に勉学に励みました。

 その結果、藩の重職につくまでの人物になります。以下は彼の言葉です。

 道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である

 共に、耳心地よい話だけの人ではなかったようです。

 仕事、お金、愛情。全てにおいて、他力本願はなさそうです。こんな日に何ですが、お札に学ぶ話を。

 今週末は香川にいます。近くの人が居れば遊びに来て下さい。

弔辞

 先日ミッドタウンへ行った際、青山霊園の横を通りました。

 東京の真ん中に、大きな霊園があるものです。
 
 これだけ便利なところにあれば、まいり易いだろうと思います。

 人が亡くなるのは悲しいこと。その墓が無くなるのはもっと悲しいこと。徒然草だったでしょうか。

 1月15日に大島渚監督が亡くなりました。22日の告別式で坂本龍一が読んだ弔辞が掲載されていました。

 俳優経験のない彼のもとへ、大島渚監督が一人で出演交渉にやってきました。そこで彼は「音楽もやらせて下さい」と言ったというのです。そこで監督は「お願いします」と即決。この場面こそ映画です。

 坂本龍一というミュージシャンを「いけないルージュマジック」と「芸者ガールズ」くらいでしか知らない私は「教授」のニックネームの通り、クールでクレバーというイメージをもっていました。

 YMOというユニットで、すでに成功をおさめ、才能も実証済みだったはず。その本人が「あれから全てが変わった」と言うのですから、それだけの変化が起こった訳です。

 以前、赤塚不二夫の葬儀で、タモリが白紙を読んだという、弔辞が話題になりました。「私もあたなの作品の1つです」。流石、芸能界の最前線に立ち続ける訳だと、納得したものです。

 何かを極めた人への弔辞は、その人生の写し鏡のようにやはりドラマチックです。

 記事には「メリー・クリスマス ミスターローレンス」が流れる中、棺は運び出されたとありました。その光景を見たかったと言えば、あまりに非礼でしょうか。

 日本人初、アカデミー賞オリジナル作曲賞は、自分からの「音楽もやらせて下さい」から。ギネス最長寿テレビ番組は、場末のバーでのイグアナから。

 人生の転機と言うけれど、全て自分の行動からなんだな。この弔辞を繰り返し読み、そんなことを思っていました。

聞くは一生の損

 聞くは一生の損

 宮本哲也著「強育論」の中にあった言葉です。

 聞くべきことの例として、喪服のネクタイの色とありました。

 なるほど、これは年長者に教えて貰わないと、解りようがありません。

 聞かないほうが良い事は、算数の答えの出し方、とあります。

 解き方を教えるのでなく、考え続けることによってのみ人は成長出来ると、知って貰うことに尽きるという考えです。

 「どうやって勉強していいのかわかりません」は「どうやって生きていけばいいのかわかりません」に等しい、とも。

 私もそう思いますが、なかなかに刺激的な言葉が並びます。

 初版が2004年となっていたので、著者はすでにかなり露出しているのかもしれません。彼は中学受験をする塾の算数の先生です。

 申し込み順で入塾できるようですが、有名私学への高い合格率を誇っています。その核心にあるのが、初めにあった考え方です。

 思い当たる節もあります。私は25歳で事務所を設立しました。

 望んでではありませんが、28歳までは、全く一人の事務所で、誰と相談する事も出来ませんでした。

 全ての判断において、よりどころは自分だけ。不安で不安でしかたなかったのですが、何とかかんとか生きていたのです。

 反面、基本を勉強する時間が短かった為、建築家の下で、しっかり修行してきた人には、知識で劣る部分がある事も感じていました。

 しかし、更にラッキーだったと思うのが、ぎりぎりwebが無かったことです。(あったのでしょうが、当事務所の導入は2002年でした)もしあったなら、自分で考えるより、答えを多数決に求めていたと思うのです。

 知るも一生の損となる可能性もありますし、悩む喜び、不安に

 なる喜びだってあるかもしれません。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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