カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

大谷翔平いよいよ登場‐1988‐

今日の日の出は6:22。

朝、空が白むのも早くなってきました。

ジョギングコース途中の公園では、日曜日は草野球の試合をしていることがほとんどです。

外野の後ろから少し見ているとこちらに打球が飛んできました。

小学校、中学校と野球をしていた私としては、たまにはキャッチボールでもしたみたいなと思ってしまうのです。

などと書いていたら、ワールド・ベースボール・クラッシク(WBC)の強化試合が始まったようです。

ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手が、3番DHで出場とのこと。

昨日は、打撃練習だけで球場を魅了したというニュースが上がっていました。

今日は大阪の京セラドームでの試合なので、生で見れるチャンスがあったと思うと何とも……

松井秀喜、イチローが引退した時も、一度はアメリカで生のプレーを見ておきたかったと後悔しました。

世界最高の選手といってよい大谷選手が現役の間に、何とか本場の球場で観戦したいと思います。

その大谷翔平選手も心酔し、松下幸之助、東郷平八郎、そして私の尊敬する稲盛和夫さんも大きな影響を受けたのが、思想家の中村天風さん。

その著書が『運命を拓く』です。

「天風哲学」は、前向きな考え方で人生は全く違ったものになるというものです。

消極的な言葉も決して使ってはならないとあります。

しかし、凡人である私たちはつい使ってしまうもの。そんな時にはこうすれば良いそうです。

もし「ああ暑い、どうにもやりきれない」と言ってしまったとしたら、続けて「と昔は言ったけれど」とすぐに打ち消しておけばよろしい。

これなら私にもできそう、と思わせてくれるのが 「天風哲学」 の神髄かもしれません。

稲盛さんは、中村天風さんの言葉をもとに考えた、この言葉をこよなく愛していたと思います。

新しき計画の成就は、只不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきに、只想え、気高く、強く、一筋に。

残念ながらシカゴ・カブスの鈴木誠也選手が怪我で辞退となりました。

それが痛くはありますが、今回は史上最強の呼び声も高い侍ジャパン。

何より、投手力は優勝候補のアメリカやドミニカ共和国を上回っているとも言われます。

気高く、強く、一筋に、世界一の称号を勝ちとって欲しいものです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載


■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

努力は必ず報われる ただしその前には谷のようなものがある‐1986‐

環濠都市だった平野は、中世において綿の貿易で繁栄しました。

織田信長にキリスト教の布教を許されたルイス・フロイスは、平野を訪れ「美しき村」と書き残しています。

立派な駒寄せのある住宅が結構残っているのです。

その平野でも、最近は外国人の姿をよく見るようになりました。

特に良くみるのがベトナム人。

経営者からも外国人技能実習生としてベトナム人を受け入れているという話をよく聞きます。

いつの間にかリサイクルショップやベトナム食品専門店ができており、本当に逞しいなと思うのです。

私がベトナムを訪れたのは2002年の2月でした。

カンボジアのシェムリアップからホーチミンに入ったのですが、まず人の多さに圧倒されました。

20年前のことですから随分変わったと思いますが、当時はバラックのような建築が大半。

ここが街の中心だったはずですが、舗装されていない道路もかなりありました。

私が子供の頃は、大阪の下町も舗装されていない道路が残っていたので、とても懐かしく思ったものです。

ただ活気は凄く、うろうろと街を歩き回っていました。

「ささき整形外科クリニック デイケアセンター」の現場では、カンボジア人が働いていました。

カンボジアはアンコールワットなどの遺跡が多くあり、長く滞在していました。

夜明け直前の景色がとても美しいと聞き、早朝に起きて見に行きました。

人が穏やかで物価が安く、とても過ごしやすい国でした。

労働力不足が顕著な建築現場では、外国人や女性の姿を本当に良くみるようになりました。

地域、国籍、ジェンダーと、世の中のボーダレス化は更に加速するでしょう。

一緒に働く際に大切なものは何なのか。

やはり、その先が「幸せ」に繋がっているのかどうかだと思います。

脳科学者の茂木健一郎はこういっています。

努力は必ず報われる。ただし必ずその前には谷のようなものがある。

先週から、学生がオープンデスクに参加していますが、このあたりを上手く伝えられれば良いのですが。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

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■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
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自分の幸せをつくるために、愛をつくるために、本気をだせ‐1985‐

1月に上本町あたりの熊野街道を歩いた際に、こんな貼り紙をみつけました。

立春大吉。

今まであまり意識したことがなかったのですが、厄除けのお札のようです。

古い風習なのかなと思っていたら、新しい住宅にも貼られていました。

少し意識してみると違うものが見えるものです。

今日は天皇誕生日で祝日。

昼から天気が良かったので、少し遠くまで散歩してきました。

すると住宅街の中に、突然巨大な鉄塔が現れました。

近くまで行ってみると、京都タワーくらいあります。

それは言い過ぎですが、30mくらいはありそうです。

NTTか何かの通信施設かなと思い、表に回ってみたのですが分からずじまいでした。

天気が良いからか目線が上にいきます。

高い物つながりで、今度は銭湯の煙突を見つけました。

美人サウナの文字も見えますが、その横に何やら看板が。

声をだせ

力をだせ

明るさをだせ

夢をだせ

やる気をだせ

さあ今日も

自分の幸せをつくるために

愛をつくるために

本気をだせ

あまりに熱の入った言葉だったので、正面側にも回ってみました。

暖簾にはこうありました。

千億の富にもまして

嬉しきはつつがなきくして

生きる身の幸

生きていると色々なことがおこります。

良いことも、そうでないことも。

ただ、いつも本気をだしていなければ、幸せはやってこない。

誰の言葉なのか分かりませんが、街角の哲学者にガツンとやられた感じです。

これこそ、生きる身の幸せ。

今度はタオルをもって、行ってきます。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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フラーとジョブズ、ここに繋がる‐1981‐

2005年の6月12日、スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学で卒業祝賀スピーチをしました。

世に言う、ジョブズの感動スピーチです。

その場面も取り上げられていた番組を観ました。

気になっていながら観れていなかったのです。

番組は、バックミンスター・フラーとスティーブ・ジョブズの2人に焦点をあてています。

バックミンスター・フラーは建築史の教科書にもでてくる建築家ですが、ここでは思想家として紹介されていました。

1953年にフラーが発表したジオデシック・ドームは、三角形や多角形を組み合わせ、安価に巨大なドーム空間を構築する発明です。

1967年、モントリオール万博でのアメリカ館が有名ですが、富士山頂にあった観測所にも用いられてたと知りました。

フラーは、資源は有限であり、それを有効に使うべきだという概念を「宇宙船地球号」という言葉で表現します。

ただ、多くの発明があったにもかかわらず実現したものは僅かで、ユートピア主義者というレッテルが貼られたのです。

しかし、その思想は若者のヒッピー文化に大きな影響を与えました。

ジョブズがスピーチを締めくくった言葉はあまりにも有名です。

Stay hungry . Stay foolish. (ハングリーであれ 愚かであれ)

この言葉は、『ホール・アース・カタログ』という書物から引用されました。

ジョブスは、「グーグルのペーパーバック版とも言うべきもの」と表現していますが、この最終号の背表紙にあった言葉です。

『ホール・アース・カタログ』は、編集者、ゲーム・デザイナーであるスチュアート・ブランドによって1968年に創刊されています。

そのブランドは、ヒッピー思想を背景に、バックミンスター・フラーに強く影響を受けていたのです。

「世界を変えた愚か者」というタイトルがここで繋がり、心がザワザワしました。

ジョブズはスピーチの後半、癌によって余命3~6ヵ月と宣告されていることを語ります。

それは7年となりましたが、2011年に56歳で没するのです。

17歳の時、ジョブズはこんな言葉をどこかで読んだと語っています。

これが人生最後の日と思って生きるようにしよう

連日の報道で、トルコ・シリアでは地震により多くの人が亡くなっていると伝わってきます。

資源も命も有限です。

私も自らにそう問いながら生きたいと思います。素晴らしい番組でした。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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10月11日「テレワーク時代の間取り」
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古くても、安くても好きと言える‐1958‐

先週のことですが、久し振りに北大阪急行に乗りました。

地下鉄御堂筋線は中津を過ぎると外にでますが、緑地公園あたりからは更に景色が良くなります。

千里中央駅では、「茨城をたべよう!」というイベントが開催されていました。

立ち寄る時間はありませんでしたが、北摂までやってくるとやはり空間的にはゆったりしてきます。

新御堂筋が箕面の山に向かってまっすぐ伸びています。それに沿って続く街路樹が美しい。

かなり色付いていましたが、盛りまではもう少しでしょうか。

前回万博の頃の開発とはいえ、街としては新しい部類にはいります。

緑地の計画もしっかりとされ、とても住みやすそうな街でした。

こちらは大阪市内の下町ですが、こんな車をみつけました。

トヨタのマークⅡです。

箱型のスカイライン(通称ハコスカ)、フェアレディZ、コスモスポーツなど、中古車とは呼ばず、旧車というカテゴリーがあることは聞き知っていました。

私はレアとか古いとかいうことに魅力を感じるタイプではないので、旧車を手入れしながら乗る人は、本当に車が好きなんだろうなと思っていました。

しかしこのマークⅡをみて「格好いい」と思ったのです。

若い頃はそんなことを感じたことも無かったのに。

色と言い、ロゴと言い、フォルムと言い、何ともいいのです。

ナンバーが付いていないので、実際に走るのかは分かりませんが、とても美しく保たれています。
オーナーは、この車を大事にしているのでしょう。

古い物よりは新しい物、安価なものよりは高価な物のほうが間違いはありません。

反対の言い方をすれば、古かったり、安価な物を好きと言える人は、人に左右され難い人だと思います。

嗜好の本質を考えれば、当たり前のことですが、人は意外に自由でない生き物です。

人間は自由なものとして生まれた。しかも、いたるところで鎖につながれている。-ルソー- 哲学者

その鎖を断ち切るのは自分の心以外にありません。

2020年の春からコロナ下の社会となり、本当に色々なことを考えました。

もしかすると、自分のことを見つめ直したのは、20代後半以来かもしれません。

自由であること。それは、まず自分の心の声をよく聞くことから始まるのだと思います。

マークⅡ が格好いいと思ったから、11月18日はマークⅡ記念日。

ちょっと古い?

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12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
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「ポップ・アートとはモノを好きになること」 アンディ・ウォーホル‐1957‐

前回書いた、ちょっと秋の京都旅

出掛けようと思った動機は「アンディ・ウォーホル・キョウト」です。

京都の岡崎周辺には、2つ美術館があります。平安神宮の鳥居を挟んで西にあるのは 京都 国立近代美術館。

その向かいにあるのが京都市京セラ美術館です。

いずれも疎水沿いに建つ絶好の立地条件です。

京セラ美術館は、現存する日本最古の美術館を、建築家・青木淳+西澤徹夫がリノベーションしました。

2020年の3月のリニューアルオープン以来、はじめてやって来たのです。

天井の高いホールを抜け。

東山キューブというエリアが会場です。

目の前に庭園が広がる空間にでてきました。

東山を望む景色が圧巻でした。

開場してすぐに入りましたが、もうかなりの人出。

熱気が伝わってきます。

アンディ・ウォーホルと言えばやはりこのキャンベル・スープでしょう。

ポップアートの旗手、ポップアートの神髄などと呼ばれるウォーホルは、1928年から1987年という経済成長期の真っ只中を生きました。

50年代半ばのイギリスではじまったポップ・アートですが、ポップ・アーティストは広告や報道写真をそのまま自分の作品にとりこみます。

「ポップ・アートとはモノを好きになることだ」

そう語ったウォーホルは、20年ものあいだランチにキャンベル・スープを毎日飲んだそうです。

1962年、最初の個展となった会場の壁にも、このキャンベル・スープの絵が並べられました。

大量生産、大量消費時代。加工品を機械的に消費せざるを得ない現代社会を、批判も肯定ももせず、ただそこに並べたことが新しかったのです。

彼の出身地は、ニューヨーク州の西隣にあるペンシルベニヤ州のピッツバーグ。

今回は、 ピッツバーグ にあるアンディ・ウォーホル美術館から多くの作品が出展されています。

門外不出と言われる「3つのマリリン」は広告にもでている通り目玉作品です。

ハリウッドスターに憧れていたウォーホルは、1962年のマリリン・モンローの悲劇的な死に衝撃を受けます。

写真製版のシルクスクリーン印刷という技法で彼女の作品を次々に制作していくのです。

そしてこんな言葉を残しました。

「ポップ・アーティストたちは、ブロードウェイで目にするような、誰もが一瞬にしてわかるイメージを描いたのさ。(中略)こうした現代のあらゆる偉大なものを、抽象表現主義の画家たちは決して見ようとしなかったんだ」


ウォーホルは生涯2度に渡って京都を訪れています。

ポップ・アートに乗り出す前の1956年の際のスケッチの展示がありました。

「わかりやすい」という感覚は、この頃から強く持っていたようです。

セレブリティから、彼へ自画像を発注するはオファーがひっきり無しだったそうです。

シルヴェスター・スタローン、アレサ・フランクリン、坂本龍一。

どちら発信かは分かりませんが、描いてもらうこと自体がステータスとなったのです。

晩年は特に死をテーマにする作品が増えました。

ダビンチの「最後の晩餐」を題材とした、ウォーホルの「最後の晩餐」です。

1986年の作品で、ハイ・アートとロウ・アートの区別を曖昧にするという取組みです。

かなり大きな作品ですが、私としては「一瞬にして」が彼の魅力だとするなら、そのインパクトは逆に小さくなっていると感じました。

カーネギーメロン大学で美術を学んだウォーホルは、商業イラストレーターとしてキャリアをスタートさせます。

そしてポップ・アートに出会い、時代の寵児となりました。しかし1987年、心臓発作で58歳という短い生涯を終えるのです。

アンディ・ウォーホルのことは大学時代に知りました。

その時にはすでに亡くなっていたので、その少し前まで生きていたという認識がありませんでした。

それで、マッキントッシュの作品があるのを見て少し驚きました。

ジョブスとウォーホル、このような人物が生まれてくるのがアメリカという国の、パワーの源なのでしょう。

学生時代から好きだったと書きましたが、彼がLGBTだとも分かっていませんでした。
もしかすると、当時の書籍にはあまり書かれていなかったのかも分かりません。

私は作品だけでなく、作者の人生を知りたいと思っています。

どうやってその作品が生まれてきたのか。それを知ることで、何かを得れるのではと考えているからだと思います。

向かいにある、京都国立近代美術館では「ルートヴィヒ美術館展」が開催されていました。

こちらもウォーホルの作品が看板作品のようですが、大好きなマレーヴィチも来ているようです。

マレーヴィチこそ、ウォーホルが苦言を呈した抽象表現主義の画家ですが、芸術には色々な表現があって勿論構いません。

会期は来年の1月22日まで。もう一度京都に行く理由ができました。

日常の中で、偉大なものを何か見落としていないか……

毎日スープを飲みながら考えようかなと思います。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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受継がれていくもの、無くなっていくもの‐1951‐

少し前の新聞に、公園の遊具が減っているという記事がありました。

遊具と言えば子どもが遊ぶものですが、ブランコはかなりの運動速度になります。

昔は、球体の鉄カゴが、軸を中心にしてグルグルと回せるものもありました。

何と言う名称かは分かりませんが、本気で回せばかなりのスピードになり危険だったと思います。

こちらは最近見たことがありません。

滑り台も樹脂性が増えましたが、一様に刺激は低下傾向です。安全を求めるなら仕方ないのですが。

「警察小説の傑作」という刺激あるコピーを見て手に取ったのが「孤狼の血」。

その文字に偽りなし、でした。

僭越ながら、本を読んだあとは点数をつけていますが、98点をつけました。

著者、柚月裕子は1968年生まれで同じような年代です。女性が書く警察小説も珍しいなと思い読み始めたのですが、あっという間でした。

警察小説とありますが、ヤクザ小説でもあります。

広島を舞台に繰り広げられる暴力団抗争と、警察との関係を描いているのですが、「仁義なき戦い」を思わせる雰囲気があります。

広島弁でのセリフまわしが、とても良いのです。

ベテラン刑事と新人のコンビが、そこに割って入っていくのですが、その人間臭さと、きな臭さが読む者を惹きつけます。

巻末の解説を読むと 、深作欣二監督の映画「仁義なき戦い」がなければ、この小説が生まれることはなかったと、著者が語っていると分かりました。

一気に柚月裕子ファンになったのです。

続けて読んだのが、「蟻の菜園 ‐アントガーデン‐」。

結婚詐欺容疑で捕まった介護士の円藤冬香。

40代前半の美しい彼女は、複数の男性と付き合っていることが分かります。

そして、彼らが次々と不審死をとげていくのです。

彼女には完全なアリバイがありますが、この事件を取材していたフリーライターの今林由美が、北陸との小さな関わりを見つけました。

僅かな情報から、彼女の北陸での過去をたどっていくと……というストーリーです。

小説としては85点を付けましたが、お勧めはしません。特に娘を持つ男親には。

彼女たちが体験していた幼少期が、目を背けたくなるほどの凄まじさだったのです。

北陸の自殺の名所がでてきたり、そこでの過去に事件の背景が隠れている展開が、松本清張の「ゼロの焦点」に似ているなと感じていました。

こちらも巻末の解説を読むと、松本清張の「砂の器」へのオマージュが色濃いとありました。


確かに、登場人物の方言から北陸に行きつく「砂の器」のほうが色濃いかもしれません。

年代的には、松本清張の2作品のすぐ後になりますが、水上勉の「飢餓海峡」も同じような色合いを持った小説です。

戦後の苦しい時代に、寒村での暗い過去が次々と明らかになっていくという展開ですが、いずれ劣らぬ傑作です。

物は危険を理由に受け継がれませんが、優れた小説のモチーフは受け継がれていくんだなと考えていました。

日本では表現の自由が約束されています。内容としては、より過激になって行くでしょう。

危険でも良い、とまでは言いませんが、多少スリルがなければ子供が喜んで遊ぶことはありません。

以前読んだ本より、刺激の少ない本を読みたい人が居ないのと同じです。

責任と成長。

このあたりに、受け継がれていくもの、無くなっていく物の分水嶺があるのだと思います。

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還暦から3年勝負!手打ち十割そば「玉竹流」‐1945‐

先週日曜日は奈良へ出掛けていました。

用事が終わって大阪へ向かう途中、ラジオから「この後、大神大社(おおみわじんじゃ)へ参拝にいきます」と聞こえてきました。

そう言えばすぐ近くだなと思い、私たちも参ってきました。

大神大社に到着。

木漏れ日の中、緩やかな勾配を上って行く参道。

大和国の一之宮の格式を感じさせます。

ご神体は三輪山なのでこちらは拝殿。

「屠蘇調合祭」とあります。

正月に飲まれるお屠蘇。正確には屠蘇散(とそさん)と呼ばれる5~10種類の生薬を日本酒に浸したものだそうです。

その屠蘇散を調合し、お供えする神事が執り行われていました。

その帰り、昼ご飯を食べようと三輪素麺の老舗、「池利」直営の「千寿亭」に寄ってみると、11時半で12組待ちの大繁盛。

今回は諦めました。社長が若い頃のスキー仲間だったので、それはそれで嬉しいことです。

口がすでに麺の口になっているので、大阪へ向かいながら店を探します。

橿原市あたりの信号で止まった時、横を見るとポツンと1軒だけ営業しているそば屋さんがみえました。

「蕎麦屋 玉竹流」

入ってみると、店内もいい感じです。

大将が朝から打った十割そば。

ざるそば1.5合と燻製鮭小丼のセットを頼みました。

そばは長野県小諸産。朝霧がでるこの地域のものが甘いそうです。

あまりにも美味しく、一瞬で平らげてしまいました。

ちょっと遠いなと思っていたら、橿原での営業は11月20日まで。

来年の4月から、葛城市中戸411-1に移転するそうです。

南阪奈道路の終点、葛城ICを降りたあたりなので、ここならまた寄れそう。

IT企業を60歳で退職してから、3年前に開業したという大将。

今年でここを立ち退かなければならないことは分かっていました。

「3年あれば、自分の仕事が認められるか、認められないか見極められると思いました」と。

人生100年時代、そんな生き方もあるんだなと感心して聞いていました。

青春に続く時期は朱夏。

色は古代中国の五行思想によるものですが、その次は白秋。

静かな秋には白がよく似合います。

作家・五木寛之 の著書「白秋期」の紹介がありました。

百歳人生を迎える今、60~70代は「老人」ではなく「白秋期」なのです――人生の豊穣な秋をどう味わうか。

もの静かで上品な感じの大将。還暦からの3年勝負の結果は「認められた」でした。 素敵な「白秋期」に違いありません。

次のお店がまた味わいのある建物のようです。

燕さんじょう亭

なお楽しみが増えました。

未だ「青春期」だと思っている私にとっての「白秋期」とは……と少し考えていました。

そうそう、雲丹もこだわりのようだったので、次の機会は是非食べてみたいものです。

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追悼、アントニオ猪木‐1944‐

先週の土曜日、「アントニオ猪木死去」のニュースが流れました。

近年は難病を患っており、かなり痩せた姿も報道されていました。

小学生から25、6歳の頃まで、大のプロレスファンでしたが、そのきっかけは金曜8時のプロレス中継です。

戦後、街頭テレビに映る力道山の活躍で、国民的娯楽となったプロレスですが、私もすっかりその魅力にとりつかれてしまったのです。

1963年、戦後のヒーローだった力道山が凶刃に倒れます。その後の2枚看板となったのが、ジャイアント馬場とアントニオ猪木でした。

しかし政治的な問題が色々と起こり、猪木は力道山が興した日本プロレスを追放されます。

そして1972年に新日本プロレスを立ち上げました。28歳の時です。

長らくプロレス本は買っていませんでしたが、アントニオ猪木追悼の意をこめて、「新日本プロレス50年史」を購入しました。

裏表紙にはタイガーマスク。左下に写っているのは、若手時代の前田日明と山崎一夫だと思います。

1973年から1985年の金曜8時枠の放送があったこの時期が、昭和プロレスの黄金期と言ってよいでしょう。

猪木は「プロレスこそが最強の格闘技」と宣言し、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」と言いました。

そして、プロレスを世の中に認知させるため、異種格闘技戦が始まるのです。

1976年、ボクシングの現役世界チャンピオンだったモハメド・アリ戦が最も有名ですが、6歳だった私の記憶にはありません。

しかし、1980年の極真空手のチャンピオン、熊殺しの異名をもつウィリー・ウィリアムス戦あたりからは覚えています。

それぞれの面子があるので、殺気立った両陣営の雰囲気は10歳の子供でも感じるところがありました。

異種格闘技戦とは別に、新日本プロレスからは、藤波辰爾、タイガーマスク(佐山サトル)、長州力、前田日明、武藤敬司、蝶野正洋……次々とスターが生まれていきます。

また、プロレスの天才と言われた猪木は、外国人レスラーを育てる能力も優れていました。

「ひとり民族大移動」のアンドレ・ザ・ジャイアント。

「不沈艦」スタン “ザ・ラリアット” ハンセン。

そして、「超人」ハルク・ホーガン。後に映画「ロッキー3」への出演まで果たし、世界一有名なプロレスラーとなったのです。

スタン・ハンセンは、後にジャイアント馬場の全日本プロレスに移籍しますが、いずれも猪木のプロデューサとしての能力が、彼らをトップレスラーに育てたのは間違いありません。

よりプロレスを好きになったのは、1983年創刊の『週刊プロレス』を読むようになってからでした。

編集長・ターザン山本は「観るプロレス」から「読むプロレス」の面白さを提唱していきます。

「テキサス・ブロンコ」テリー・ファンクも写っていますが、ほんとに格好良かった。

私も「週プロ」の影響で、1984年に前田日明が立ち上げた、より格闘技色の強いUWFに傾倒していくのですが……

プロレスとアントニオ猪木のことを書き始めると、延々と書いてしまいます。プロレス史自体が大河ドラマなのですが、話をもとに戻します。

現在は日本のプロレスはよりショーアップされ、アメリカナイズされたエンターテイメント色を強めています。

プロレスには「ブック」と呼ばれる脚本があると言われるので、他の格闘技より下に見られがちです。

それはひとつの意見なので構いません。

しかし、プロレスラーが亡くなる度に思いだす言葉があります。

冒険小説とは、成熟した男性によって書かれた、成熟した男性のためのエンタテイメント
-田中光二- 作家

プロレスを楽しむには、ある程度の許容量と、想像力が必要なのだと思います。

ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、橋本真也、三沢光晴、ブルーザー・ブロディー、アンドレ・ザ・ジャイアント、ホーク・ウォリアー、アニマル・ウォリアー、ジミー・スヌーカー、ビッグバン・ベイダーそしてついにアントニオ猪木まで。

多くの大男たちが早世しているので、79歳まで日本を元気づけてくれたと感謝するべきなのでしょう。

「燃える闘魂」

「過激なダンディズム」

「プロレス外交」

「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし 踏み出せばその一歩が道となる迷わずゆけよ、ゆけばわかる」

「元気があれば何でもできる」

「闘魂ビンタ」

選手を引退してからは、道化的な役割も引き受けていましたが、現役バリバリの頃は、初めの写真の通り、とにかく格好良かったのです。

先日亡くなった稲盛さんも、経営の原点12か条の8条に「燃える闘魂」をあげています。

経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要。

作家・開高健もそうでしたが、インテリと言われる人に、プロレスファンはかなり多いのです。

一時は袂を分つことになった、弟子でもある前田日明のコメントがニュースに上がっていました。

「猪木さんがいなかったら、前田日明もタイガーマスクも、リングスも修斗も総合格闘技もK―1もPRIDEも何もなかったよ。全ての始まりですよ」

この言葉が全てでしょうか。

新約聖書は「はじめに言葉ありき」で始まるそうですが、近代プロレス、総合格闘技においては「はじめに猪木ありき」だったのです。

多くの人に影響を与え、元気づけ、楽しませてくれた「創造主」。安らかに。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

魔法の間取りと、魔法のない敷地‐1940‐

昨日、 『ESSE-online』 でコラムが公開されました。

できれば月に1本は書いて欲しいと言われているのですが、前回から3ヵ月も開いてしまいました。

6月から9月にかけては、自分でも良く覚えていなくらい、あっという間に時間が過ぎてしまったのです。

今回は「冷蔵庫の位置次第でLDKがすっきり。調理もしやすくなる魔法の間取り4選」

タイトルは付けて貰うので、多少気恥ずかしい感もあります。


ただ実際に、冷蔵庫の配置がLDKに与える影響はかなりのものがあります。

図面も添えて解説しているので、良ければ読んで下さい。

昨日から台風14号が猛威を振るっていますが、九州では浸水の被害がでています。

大阪近辺は、真夜中あたりに最接近するようです。被害が少なければよいのですが。

普段は平地が暮らしやすいですが、こういった時には標高が高い方が水害には強いことになります。

大阪で言えば、天満橋、谷町四丁目あたりが上町台地の先端になります。

谷町四丁目から東の法円坂へ向かって歩いて行くと、さらに標高が上がります。

このあたりは海抜20m以上。

大阪歴史博物館のあたりです。

北東には大阪城とOBPが見えています。

中央大通りを挟んだ反対側。

南側には難波宮跡も見えます。

法円坂から谷町四丁目駅を見下ろすと、高低差が分かりやすいでしょうか。

最も標高が高く、安全な位置に宮殿が建てられていたのです。

土地を探しをしている人がいたとしても、この周辺の土地を買うのは大変ですが、国土地理院が公開している地図はとても参考になります。

中でも、この「活断層図」は土地の生立ちも分かるのです。

画像中央にある赤い半島が上町台地で、先端に大阪城があります。

濃いめの赤は「約十万~数万年前に離水した台地面」であることが示されています。

設計の依頼があった時、この地図を参考にすると、地盤改良の要不要がある程度想像できるのです。

先日「発掘調査」となった敷地も、淡い赤色上の敷地で、「約数万~数千年前に離水した台地面」だということが分かっていました。

それで、地盤改良が不要だったうえに、土器まで出土したのですが。

これまでに設計させて貰った土地も、 「活断層図」 で調べると納得できることばかり。

「なぜここに段差があるんだろう」と思っていた場所が、断層によるものだったことが分かったりもしました。

もしかすると、土地の調査をしている時が、一番ワクワクしている時かもしれません。

また、「年代別の写真」をみることもできます。街が発展していく様子が分かりやすく、面白いのでお勧めです。

間取りは工夫によって、無限の可能性があります。

しかし、土地に関しては全て受け入れるしかありません。

「温故知新」は孔子が説いた教えですが、土地に関しては古ければ古い程よいのです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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