一級建築士事務所アトリエm 守谷 昌紀 のすべての投稿

大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

ブロック

 今日は気持ちの良い秋晴れでした。

 一日、竣工したばかりの写真スタジオへ、撮影に行っていました。ここのところ天気が良かったので、正直に言うと、今日にとっておきたい気分でした。

 撮影の日ほど、天気に気をもむことはありません。

 営業しながらの撮影だったのですが、お店の協力を得て、何とか無事終えることが出来ました。

 今はひとまずホッとしています。

 昨日は、東条湖にある、おもちゃ王国に行って来ました。

 折角だったのですが、子供たちは、ほとんどブロックのコーナーにいたのです。

 と言うことで、頑張って作ってみました。

 帰りは妻に運転して貰い、ほとんど寝ていました。

 街路樹のカエデが色づいていました。さて、実りの秋となるかどうか。

ぼやき

 アメリカのメジャーリーグ、日本プロ野球ともレギュラーシーズンを終え、ポストシーズンに入りました。

 何れも、世界一(アメリカ一?)、日本一を決めるものですが、日本では楽天ゴールデンイーグルスがこのステージに進んでいます。

 「楽天ゴールデンイーグルスというチームは大好きだけど、楽天球団は大嫌い」

 最終決戦を控えるこの時期に、来期の監督を探す球団に対しての発言です。決して褒められたものではありませんが、何となく野村監督を応援したくなるから不思議です

 野村克也74歳。現役時代には「長嶋、王が太陽に向かって咲くひまわりなら、俺はひっそり野に咲く月見草」と言いました。現在はぼやきで、世間の注目を集めます。

 好き、嫌いは別にして、創立以来、4年連続Bクラスだったチームを、ここまで導いた手腕はさすがです。こんな言葉も残しています。

 「負けに不思議な負けなし」 野村克也

 不思議な勝ちはあったとしても、です。他にも、今年聞いた言葉を書いてみます。

 「才能が無いと分かる事が才能」 ビートたけし

 「矢沢はマジメ」 矢沢永吉

 どの言葉をとっても、謙虚な姿勢が伝わってきます。ある人から、失敗を成功に導く方法があると聞きました。喜び勇んで聞くと「反省する事」と。

 更に「出来れば、どこの分岐点から、失敗に向かっていったかまでを反省し悔やむ事」と言われました。「仕方なかった」でなく「どうすれば良かったか」

 謙虚な姿勢以外に、成長はないということです。

秋、オオクワガタ

 今日は体育の日。昨日は保育園の運動会でした。

 長女は初めての参加。長男は過去3回のかけっこで、勝利なし。今年こそはと楽しみにしていました。

 結果は6人中5位。

 親としてはなんとも残念です。来年は年長組で最後の年。出来れば一度くらいは勝ってほしいと思ってしまいます。

 話は変わって、我が家の玄関先には、金魚とオオクワガタがいます。

 オオクワガタのほうは、2つ虫かごが有り、1匹は義妹に貰ったもの、もう1匹は白浜で捕ったものです。

 白浜のほうが後からやって来たのですが、虫かごのフタが甘く、すでに2回脱走しているのです。

 

 朝の忙しい時、子供が「逃げた」と騒ぐのですが、結局玄関周りにいて、すぐ捕獲されます。

 夜遅くに晩御飯を食べていると、玄関先から時々、バチン、バチンという音が聞こえてきます。クワガタが、必死にフタを挟み切ろうとしているのです。

 結果、上に3つも重石を載せているにも係わらず、フタを押しのけ、逃げ出したのです。

 先週の10/6(火)に3度目の脱走をしました。玄関先にエサのゼリーを置いたりして、おびき出しましたが、出て来ません。

 ところが10/10(土)に、玄関のサッシの中に居るところを妻が発見しました。古いサッシで、隙間があったのです。うまく隠れていたのですが、この日は暑くなり、もがいている音が聞こえたそうです。

 今度山に行った時にでも、逃がしてやろうと思います。そこまで逃げたいのに、一緒に暮らす理由が無いからです。

 生き物は、自分の力で生きるのが、自然の道理です。どんな説明がついたとしても、生物の命を預かるのは、恐れ多い気がします。

 これをどうやって子供に説明するのか。納得させられるのか。

告別式

 今週の月曜日、妻の祖母が亡くなりました。

 1920年(大正9年)生まれで、およそ89年の生涯を終えました。27年先に亡くなった妻の祖父は、戦後間もない1947年(昭和22年)、北摂で電気機器関係の会社を興します。

 創業当時は物不足の時代で、釘を拾って歩いたこともあったそうです。祖母も油まみれになって働き、ひたむきに夫を支えて来たのです。

 女学校時代は、平野区にある教育大に通っていました。3年前に会った時、今は廃線となったチンチン電車のこと、近所の商店街にあった甘味屋さんのことを、懐かしそうに話していました。

 私が結婚したのは6年前で、会ったのは10回足らずですが、何とも親しみを覚えていました。何と言うか、本当に苦労して来た人の、優しさのようなものを感じたのです。
 
 現在、妻の叔父が継いだこの会社は、電磁式ポンプの業界をリードする会社になっています。今日の告別式では、仕事人としての敬意を込めて、親族としての感謝を込めて、送ってきました。

 人の死は必須です。その死は、それに係わる全ての人に、生とは何かを問います。そんな時、生は鮮やかに、そしてくっきりと浮かび上がってくると思うのです。

やっぱりアスレチック

 日曜日は暑いくらいの日差しでした。朝一番から、生駒山頂にあるフィールドアスレチックへ。

 駐車料金500円、大人500円、子供300円。生駒市民なら割引があります。

 流石に、無料の施設とは大きな差がありました。

 全部で30アトラクション。

 生駒市の運営ですが、ただ走破するだけでも険しい山道なのです。何ならちょっと身の危険を感じるくらい。
 
 下の娘を抱きながら歩くだけで一苦労。足に身が入りました。

 我が子ながら、力を振り絞って綱にぶら下がり、丸太にしがみつく姿は、逞しくなったなと感じました。

 もし落ちたら……というくらい、歯ごたえのあるものが結構あるのです。彼にとっては、多分冒険。

 自分もアスレチックが好きだと言うことが良く分かりました。

 体を動かし、子供と遊び、夕食も美味しく言うこと無しです。何より現地に向かう時、ちょっとワクワクするのです。

 大阪府下なら、能勢、奥水間、兵庫なら六甲山、宝塚、篠山……次はどこへ。

 一昨日は中秋の名月でした。大阪はあいにくの曇り空。

 一日遅れで、昨晩は見事な名月でした。こんな時、夜空さえ見上げていない事に気付きます。

 そんな日常が幸せとも言えるのですが。

ことばの力-みなぎる編2-

 この秋に、司馬遼太郎の「坂の上の雲」がドラマ化されます。

 日露戦争を描いた壮大な歴史小説ですが、激動期を支えた多くの人物が登場します。彼らの言葉も、多く残されているのです。

 大臣だった児玉源太郎はその職を去って、実質的には格下である参謀本部次長に志願します。その職務は、ロシアに対しての作戦を練るもので、日本の将来を左右する仕事です。激戦となった203高地の戦いも、彼の手腕によって何とか結末を迎えられたのです。 

 日露戦争当時、最新の知識の持ち主が軍司令部に揃っていました。彼らはいわゆるエリートで、鎖国で軍事的に遅れをとた日本は、留学生を軍事先進国へ送り、最新の知識を学んでいたのです。

 よって知識は持っているが、成熟している訳ではなく、あくまで翻訳者の域を出ていませんでした。児玉が参謀本部で、彼らのような専門家に意見を聞くと、十中八、九、「それはできません」という答えを受けるのです。いつもその繰り返し。

 そこで彼は言い放ちます。

 「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない」

 チャレンジしなければマイナスポイントは生まれません。しかし、それでは過去をなどるだけです。小さな失敗を恐れるより、成長や未来を求めるほうが、絶対に素晴らしいと思うのです。

 社会に出るまで繰り返される試験は、間違いを無くすことが、良い結果を生みます。しかし生きる事において、平均点が高い事に意味は無いと思います。喜びと苦労の平均値をとっても無意味だからです。

 その呪縛から解き放つことで、活き活きとした人生を送れるのだと思っています。その考えを、仕事を通して少しでも世に問うてみたいのです。

中庭の家の裏庭で焼肉

 昨日は、お昼から京都に行っていました。

 昨年竣工した、切妻と中庭の家に招待して貰ったのです。

 5家族13人が、裏庭で焼肉です。

 こちらのクライアント、実は同級生なのです。それで、子供達の年恰好も、似たような感じ。

 やはり焼肉は炭火に限ります。

 網の焼き後が入った肉は、何故あれほど美味しそうに見えるのでしょうか。

 一通り、食事が終わったら、子供たちと野球の練習です。

 大汗をかくまで遊びました。

 最後は大人同士もプラスティックバットで真剣勝負に。


 家の中、外。それぞれが、好きな場所で、食べ、飲み、遊び。

 長女はダイニングでハヤシライスを。

 カレーは辛さ設定が難しいので、ハヤシライスにしたとは、奥さんの弁。なるほどと思いました。

 昨日は、webサイトの下書きも持って行きました。

 大筋OKの返事を貰ったので、今週中にはUPしたいと思います。

上げ膳、据え膳

 昨日、一昨日は、白浜へ。友人家族が、会社の保養所に招待してくれました。

 出産が同じ時期で、長男はほとんど同じ誕生日。子育ての苦労も共有出来るのが、妻にとっては何よりです。ご主人も含めて、年に1、2回はお会いするのです。

 共に朝5時頃大阪を出発して、まずはアドベンチャーワールドへ。

 私達が行った中では、過去最高の人出でした。

 朝一番のマリンライブは立ち見まで。

 何とか2家族、6人分の席を確保出来ました。

 サファリ内を回る列車は2時間待ち。

 父親2人が、車内でダウンしている間、4歳児とお母さんは、歩いてサファリを回ってきました。

 2時半頃まで十分遊んだ後、今日の宿へ。

 白良浜のすぐ近くで、大人が一泊2食付きで5000円弱。流石に大きな会社は違います。

 しかも料理は美味しいし、ビールは一瓶350円。

 値段の事ばかりで何なのですが、やはり嬉しいものです。

 翌朝近所をジョギングすると、日本3大古湯だけあって、趣きある温泉ばかりです。

 岬の先端にある「崎の湯」は、まだ開業前でしたが、早くも入浴客が待っていました。

 日本最古との看板も。

 こちらは「牟婁の湯(むろのゆ)」の源泉のひとつ、行幸源泉(みゆきげんせん)。

 「日本書紀」や「万葉集」にも登場するだけあって、情緒があります。

 白良浜には朝早くから散歩する人の姿も。

 朝食の後、白浜を見下ろす位置にある、平草原のフィールドアスレチックへ。ここは無料です。

 4歳の2人には難関でしたが、2km、18アトラクションの行程を、2時間かけて踏破しました。

 小さい頃、兵庫の神鍋高原にある、アスレチックに行ったのを思い出しました。

 コースから少し外れると、旧白浜空港の滑走路が。

 立ってみると、今まで見たことのない景色でした。

 クワガタムシがいたり、何か起こるのが野外の良いところです。

 帰りは田辺IC近くにある秋津ガルテンで食事をしました。

 小学校の校舎を利用した、バイキングで大人900円、子供450円。

 家庭料理のようなメニューを中心に、コーヒー、梅ジュースまであって、特に女性は楽しいと思います。

 帰りの渋滞部のみ、下道を走って、3時間程。

 大阪には4時頃帰って来ました。1泊2日、白浜の旅。天気も予想より良く、子供達は満足してくれたと思います。

 妻が一番嬉しいのは上げ膳、据え膳なのです。

内野安打

 今日は敬老の日。朝から、爽快な秋晴れです。

 岡山と香川で暮らす2人の祖母。亡くなった祖父達。そして代々命のたすきを渡してくれた全ての先祖に感謝します。

 先週はじめ、イチローが9年連続200本安打を達成しました。長いMLB(メジャーリーグベースボール)の歴史の中で、誰もがなしえなかった記録です。

 この記録が、アメリカではほとんどで取り上げられていないと伝わってきますが、そんな事はどうでも良い事です。彼が日本人であるだけで、誇らしいのですから。

 その特集番組を録画していました。一昨日それを見て、拳に力が入ると言うか、自分に激を飛ばしました。彼がずば抜けた結果を出すのは、能力は勿論ですが、その考え方から来ていると痛感したのです。

 2004年の年間262安打は世界記録と言って良いでしょう。この記録こそ、イチローが世界一のヒット職人であることを示しています。

 その彼は番組内で言いました。

 「唯一、数字で目標をあげるとすれば、安打数、200本ということになるでしょうか。もし打率を目標にすると、この打席は立ちたくない、向かいたくないと言う場面が必ず来ると思います。しかし、安打数を目標にすれば、そんな気持ちにはならない。打席に向かいたくなる。いつも楽しく野球が出来る」

 彼のヒットのうち、1/4近くが内野安打です。一般的に内野安打とは、投手に打ち取られ、詰まった打球になり、一所懸命走った結果それが安打になったという感じです。

 しかしイチローは、詰まらせてヒットにする技術があると言います。事実、難しい球はそうやってヒットにしているのです。

 ボールを捉える技術、一塁まで掛け抜けるスピード、共にメジャートップレベル。その彼が、誰もがその感覚を嫌う、詰まった当たりの内野安打までも、積極的に狙っていったなら……

 一本でも多く安打を打つのが目的なら、イチローにとっては当たり前の事なのかもしれません。しかし彼は、世界で初めて、本気で内野安打をも狙った一流打者では、と思ったのです。

 そう考えると、年間262安打、9年連続200本安打も、必然のストーリーなのかもしれません。彼はこうも言います。

 「重圧には弱いほうだと思います」

 今年3月にあったWBCの不調を指しての言葉でしたが、それでも最後には結果を出しました。何故この記録が達成できたかという記者の問いに

 「野球が好きだった事と、常に今がベストだと言える状況で、臨んでいる事が僕の強みでしょうか」

 と答えました。

 あらゆる可能性を捨てず、限界まで追求する。これを実行するのは、簡単ではありません。

 5年程前に、MLB経験のある現、楽天の中村紀洋選手がイチローに「セーフティーバントみたいな、せこい事をするな」とメッセージを送っていました。彼の意見も分からなくはありません。しかし、どちらが目的に純粋かは明らかです。

 彼は、常々準備が大切と言います。「ベストの状態で臨んでいる」と発言する事は、「言い訳しない」と言っていると同じことです。彼こそ侍。

 MLBの100年を超える歴史の中で、誰よりも目的に純粋だったのがイチローだったのでは、と思ったのです。

オリーブ

 間もなく竣工を迎える「Ohana」。前庭に植える木を、買いに行って来ました。

 

 当事務所でクライアントと待ち合わせ、309号線を車で南下します。

 葛城山のふもとにある古川庭樹園 までは40分程。

 簡単言うと庭木を売っている会社なのですが、まずは広大な敷地に圧倒されます。

 この日も案内してくれた専務は、情熱とこだわりの人で、その話を聞くだけでも、楽しいのです。

 

 クライアントと、あちこちにある木々を見て回りました。 

 

 そして出合ったのが一本のオリーブ。

 色、立ち姿とも素晴らしいものでした。

 オリーブの花言葉は「平和」と「知恵」だと教えて貰いました。

 

 この会社、カフェも経営しています。

 肩肘張らずに、庭を眺めながら食事のできる、優しい空間でした。

 定休日にも係わらず、仕事に熱い専務は「お店も見て行ってよ」ということで、アイスコーヒーをご馳走になりました。

 氏は、イギリスでガーデニングを学び、英国風をそのまま持ち込むのでなく、日本の里山文化と融合させたような、庭作りを出来ないかと、模索してきたのです。
 
 クライアントとも意気投合して、お昼時も忘れて、会話が弾んでいました。

 

 その後、オリーブを車に積んで持ち帰り、無事植樹を終えました。

 詳しくはこちらのサイトで。

 2人は何に意気投合したのか。

 専務からすれば、合理主義のから言えば、無駄に見えるかもしれない前庭を、なんとか確保し、植樹する姿勢。更にその木を探しに、わざわざ来てくれた事でしょうか。

 クライアントからすれば、僅か一本の木を探しに来たのに、これが良いか、あれが良いかと、一緒に探し回り、庭や木々に対する熱い思いを聞かせてくれた事、だと思います。

 一所懸命仕事をしている人と出会い、スイングした時ほど幸せな時はありません。食べる糧としてだけでなく、仕事を通して何か出来ないか

と、考えている人はどんな時も情熱的です。

 「Ohana」が、いつまでも街の人々に愛される写真スタジオになる事を、心から祈ります。そして、その一旦を担わせて貰った事を誇りに思うのです。