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大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

icetee

 4/10(土)、11(日)は長野県の志賀高原へ行って来ました。

 スキーの試合にエントリーしていたのです。

 宿はジャイアントスキー場が正面に見える、ホテルイタクラ

 土曜日は快晴。最高の景色です。

 幼稚園から高校2年まで、年末はここで過ごしました。

 父が友人達と作っていたスキークラブの定宿だったのです。

 父は20年振りで流石に懐かしそうにしていました。

 この試合は、学生時代の友人達が「全てのワクを超えて、楽しみ戦えるステージを」という理念で立ち上げた団体、iceteeが主催しています。

 ハンディキャップを抱えたチェアスキーの選手も、同じ条件で試合をするのです。

 スキー板一本で、果敢に滑って行きます。

 転倒した時は、見た目にもヒヤッとしますが、皆が同じステージで戦うのです。

 日曜日は、長男もレースに初出場しました。

 最初は渋っていたのですが、まわりに触発されて、自分で出ると決めました。無事完走して17人中15位。

 最年少だったので、立派な成績だと思います。

 私の成績は、初日が19人中13番と12番。

 2日目は途中でスキー板が外れて転倒。唇を切ってしまいました。

 久し振りだったので、甘くはなかったのですが、まだまだ燃えるものがありました。

 時間が許す限り、家族を連れてこの試合に出ようと思います。

 スポーツ、真剣勝負、車椅子でここまで試合に来る人達。伝えたいことが沢山あるのです。

家康と幸村

 事務所のある平野は大阪市の南東部にあります。

 大阪城(大坂城)から9km離れていますが、大坂夏の陣では戦場になっています。その時の家康伝説が残っているのです。1600年の関ヶ原の戦いで勝利を納めた家康は、天下を我が物とし、更に豊臣家の滅亡を目指します。

 鐘の文字が不吉だと難癖をつけ、大坂の陣になだれこんでいく下りは有名ですが、一方的にやりこめられた豊臣方で、一人気を吐いたのは真田幸村です。
 六文銭のノボリと、赤備え(朱に塗った鎧)で有名な真田家は長野県上田の藩主でした。ノボリの六文銭は三途の川の通行料。それをも恐れない勇猛さでならし、戦国時代随一の戦上手で知られていました。

 1614年の冬の陣では、城外に真田丸という出城を築き、家康方をかく乱します。この場所は、現在も真田山という地名で残っているのです。

 猿飛佐助、霧隠才蔵に代表される、真田十勇士は、太平の世が続いた江戸時代に、講談として脚色さてたものですが、その実力は間違いありません。

 さて平野の話です。翌年の夏の陣で、家康はここに陣を構えました。

 「八尾若江の戦」「道明寺の戦」で大敗を喫した豊臣方の真田幸村は、家康がこの地を通ると読み、地雷をしかけました。カマドに火を入れると爆発する仕掛けでしたが、偶然家康が用足しに立った時に爆発。

 同時に、真田軍が一斉攻撃を仕掛けると、家康軍は散走します。家康最大の危機でした。その爆発でお堂にあった地蔵の首が400m先の全興寺(せんこうじ)まで飛んで行き、現在も祭られているのです。

 そのお堂は、環濠都市平野の樋尻口地蔵堂。

 全興寺も朝のジョギングコースなので、お地蔵さんの頭が飛んで行く距離では……と思いますが、家康を追い詰めたのは事実のようです。

 真田家と徳川家の因縁は浅からぬものがあります。

 これに詳しいのは、池波正太郎の「真田太平記」。文庫本で12巻とかなり読み応えはありますが、気になる人は是非。

コピーの功罪

 この週末、妻と子供は高槻の実家に帰っていました。

 日曜日の夕方迎えに行くと、どの公園も花見客で賑わっていました。

 桜は撮るのが難しい花です。淡いピンクのイメージで撮っていても、出来上がりは極めて白に近くものになります。

 イメージで言えば、蕾のほうが近いかもしれません。

 話は変わりますが、先週の水曜日、散髪に行っていました。

 この日だけは夜の9時まで受け付けてくれるのです。

 店長のDさんは45歳くらいで、イタリア人のように明るい人です。しかも馴れ馴れし過ぎず、よそよそし過ぎず。いつも話すのを楽しみにしています。この日は珍しく愚痴っぽい話でした。

 「最近、見習いって言わなくなりましたね。僕らの頃はその字の通りで、見て習え。ほとんど教えてくれません。でも頼めば、11時を過ぎても付き合ってくれました。終わったあとは最敬礼で、有難うございました!という感じでしたね」と。

 よく聞こえてくる話ですが、何故変わったのだろうと考えていました。

 写真、更に進んで動画が出来る前は、目の前で起ることが全てだったはずです。動画の前に、同じものを複製、再生できるようになって、その場、その時間、その人の価値が希薄になって行ったのかもしれません。そこが分岐点なのかなと思い、調べてみました。

 写真の発明
 ジョセフ・ニエプス(フランス) 1822~24年頃

 映写機の発明
 トーマス・エジソン(アメリカ) 1891年

 コピー機の発明
 チェスター・カールソン(アメリカ)1948年

 コピー機が一番最後でした。

 実は先々週まで、事務所にはコピー機がありませんでした。どうしても必要な時は、近くのコンビニまで走っていました。

 伝えると大概は驚かれましたが、無くてもなんとかなって来ましたし、簡単にコピーを取ることが、あまり良いことではないと思っていたのです。

 ついにお下がりのコピー機がやってきました。何でもそうですが、その功罪は確かにあると思うのです。

出演

 今日から新年度が始まりました。

 先々週、地下鉄に乗った時のこと。夜の9時半頃、30代半ばのビジネスマンが、取引先と思われる年配の男性に「良いお年を!」と挨拶していました。

 赤ら顔でしたが、ふざけている感はなかったので、年度末をそう扱う風習があるのかなと思ったのです。その事を思い出し、スタッフに聞くと、やはり聞いたことがないと。あれは一体何だったのか、未だに気になっているのです。

 昨年の秋に竣工した、かやしま写真スタジオOhana。昨日クライアントの日記を見ると、テレビ出演したとありました。

 今日は定休日で、確認は出来ていないのですが、先週も京阪萱島付近を取り上げているので、この番組に間違いなさそうです。

 地デジ11chとあるので、家のテレビで確認すると「アンテナが接続されておりません」とメッセージが。ケーブルテレビなので、やはり契約しないと見れないようです。

 放送は3/29(月)から4/4(日)の間で、(月)~(金) 朝 8:30~、昼 12:30~が基本。その他は(木)19:00~、(土)8:00~ 12:30~ 19:00~、(日)12:30~ 20:00~。

 視聴可能な方で、伺っても良いという方は声をかけて下さい。HDDレコーダーを持って駆けつけます。何とか見てみたい!

 こちらのクライアント、とても写して貰いやすい方です。見て貰えれば一目瞭然、のはず。入園式、入学式の記念写真は、是非ともOhanaへ。 

ライオンの品格

 3月最後の日曜日は、みさき公園に行ってきました。入園券を頂いたのです。

 南海なんば駅につくと、関空行きのラピートが止まっています。

 子供はやはりラピート好きで、途中の泉佐野まで乗ることにしました。

 園は桜が多く、三分からほぼ満開とまちまち。来週末が一番の見頃でしょうか。

 一昨年に来たときから、イルカショーのスタジアムが改修されていました。

 こじんまりはしましたが、海を背景に気持ち良いものになっています。

 朝一番のショーを最前列で見ました。

 こじんまりした分、水しぶきがかかる程距離が近く、迫力もあります。

 ショーもアットホームから、楽しく洗練された感じに変わり、好感がもてました。

 みさき公園は動物園と遊園地が一体となっています。

 一番奥にはトラとライオンが、壁一枚で並んで居ます。

 子供と見ていると、ゴロゴロしていたトラとライオンが、急にムクッと起き出し、色めきたってこちらに向かって来たのです。

 かなり高いところから見ていますが、獲物として見られているような、背筋が寒くなるような目つきでした。

 その訳は……エサやり体験が始まっていたのです。

 しかしオスのライオンは、首はもたげたものの動きません。

 満開の桜の下で「子供が投げ入れた馬肉をなど喰えるか」というような感で。

 さすが百獣の王。飼われているとは言え、風格を感じました。

 あくまで想像ですが。

 小高い山の斜面にあるので、海を見下ろす景色は爽快です。

 その分、アップダウンはかなりのもの。ベビーカーを一日押すと、筋肉痛になりました。

 出掛けるなら、この季節が最高かもしれません。

出物

 家の近くに出物ヤという店があります。今風に言えばリサイクルショップですが、そんな呼び名は似合いません。

 朝の10時半頃に店は開きますが、アバウトな感じです。

 外観は閉鎖的ですが、入ってしまえば魅力的な空間です。

 一輪車、何かの剥製、壷、電動ドリル、スピーカー、釣竿、ミュージックテープと何の規則性もなく、並んでいます。

 たまに入るのですが、もう少しで怪しいギターに手を出すところでした。誘惑も一杯なのです。

 時代はエコロジー(生態学、環境)ですが、何でも大切に使うことならすぐ出来ます。出物ヤは素晴らしいのです。

 現在ならオークション等、需要を感じますが、20年前ならエコノミー(経済)一辺倒。よく生き残っているなと思います。余計なお世話ですが。

 略せば共にエコ。少し調べてみると共通点が出てきました。いくつかのサイトをまとめると、エコロジーとエコノミーはギリシャ語の「oikos(オイコス)」が語源とありました。

 「オイコス」は家、氏族などを意味し、管理を意味する「ノミア」とつけると、暮らしを合理的に営むからエコノミー。論理を表す「ロゴス」をつけると、それらを成立させる論理から
エコロジーとなったのです。

 どちらも家、家族が基本でした。最善は近いところにありそうです。

神戸クルーズ

 昨日と打って変わって、今日は快晴でした。

 

 ルミナス神戸2は「国内最大級のレストランショップ」とwebサイトにはあります。

 クルージンクグをしながら、買い物をしたり、食事をしたりする船で、メリケンパークから出航しているのです。

 

 弟がチケットを持っているからと誘われ、二家族で行ってきました。

 カップルが多いのかと思うと、意外に家族連れも多く乗船していました。

 神戸港には川崎重工を初め、造船会社が多くあります。昔は良く釣りに来ました。

 メンテナンス中なのか、潜水艦も浮かんでいました。ちょっとワクワクします。

 2:00pm、4:00pm、7:00pmの3つのコースがあり、2時間ほどかけて、明石大橋まで回ります。

 私達は4:00pmの便でした。

 子供達は、さんざんはしゃぎ回っていました。

 6:00pmに港へ戻る頃、ビルの合間に夕日が沈んで行きました。

 夕食は、少し北にある南京町へ。メリケンパークから、1km程でしょうか。

 連休の最後で、結構な人出でした。

 店頭販売も良い感じでしたが、子連れの1kmで親達はやや疲れ気味。

 西安門付近の店へ入ったのです。

 夜景が美しいのは、街の雑然としたところが隠されるからだと思っていました。

 数年前に「夜景は最も美しい照明。その訳は、それぞれの光に、それぞれのストーリーがあるから」という話を聞きました。

 明るすぎる事に問題はありますが、求めるから光はあります。

 それは、人の生そのものだったのです。

シャガール

 昨日は、「池を望む家」の写真の撮影に行っていました。

 竣工したのは1年3ヶ月前。隣地の工事の関係でこの時期になっていたのです。撮影の件は現場日記に書くとして、こちらのお家には絵画が飾られています。

 その中にシャガールがあったのですが、「私と村」が加わっていました。牛と人が向かい合う、原色の多い、自由な表現の作品です。聞くと、東京のMOMA(東京国立近代美術館)で買われたのこと。

 マルク・シャガールはロシアの出身で、20世紀を代表するす作家であるのは間違いありません。

 作風は変化して行きますが、キュビズムの影響を受け、浮遊感のある絵が特徴的です。

 小さい頃、母に連れられて色々な展覧会に行ったのですが、大学生になり初めて自分で好きになった画家がシャガールでした。まずは色使いに惹かれました。

 多くはないのですが、青を多く使った作品がとても気になりました。ロシアの風土も影響しているのか、若かった私には、大人の憂いを感じたのです。

 カンディンスキー、ピカソ、ゴッホ、青の美しい絵は沢山ありますが、ややぼんやりとした、シャガールの青が一番好きです。

 どれくらい好きだったか。大学生の頃、絵の隅にあるシャガールのサインを見て「かっこいい」と思いました。マルクシャガールの出だしはma。それを真似て、自分のサインの練習をしたのです。

陰影

 日曜日は、朝から快晴でした。

 どこか山の中へ行きたくなり、宝塚市立自然の家へ。宝塚市の北端にあります。

 阪神高速を川西小花で降りて35分ほど。この辺りまで来ると、もう完全に大自然の中。

 嬉しいのは、駐車場、フィールドアスレチックを初め、ほとんどの施設が無料なのです。

 大阪から34km。感覚的には意外に近いという印象。

 焼き肉、カレー、焼きそばを、屋外で自炊出来るサービスがありました。 

 焼きそばにいたっては、一人前350円。手ぶらでいって調理するだけなので、次回は予約してみたいと思います。

 民族資料館として江戸時代中期の農家が移築されていました。

 自分で、勝手に入るのですが、初めは電気がわからず、真っ暗。
無双窓を開けると、ようやく足元が見えてきました。

 

 

 

 
 目が慣れてくいると、光は陰があってこそ、というのが良く分かります。
かまどの自然な曲線や微妙な質感も、電気が点いていないほうが美しいのです。

土間のタタキからも、自然な風合いを感じます。

 谷崎潤一郎は「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」の中で、軒の深い日本家屋の奥深くで、金襖や金屏風がほのかに光るさまに、美を見出しました。

 陰があってこその光。

 現代の建築から、陰は消えて行きますが、根底にある美意識は忘れてはならない気がします。

問題が解決する瞬間

 ここのところ、寒い雨が続いていましたが、今日はすかっと晴れました。
 
 先日、こんな言葉を教えて貰いました。

 「問題は、引き受ける覚悟をした時に解決する」

 現在30代だとして、20代から10年以上問題を持ち越し、今なお山積みだと言う人はいません。仕事であれ、家庭であれ、問題は必ず起こります。しかし、全ては解決します。逃げない、引き受けると決めれば。

 コロンブスの卵的な言葉ですが、今は信じます。もうどうしようもないと思った事でも、腹さえくくれば、何とかなってきたからです。

 覚悟をするとはどういう事か。退路を絶つことだと考えます。「二郎握り」で有名な寿司職人・小野二郎さんはこう言っていました。

 「仕事は、与えられたら天職だとおもって、没頭すること。私は7歳から口減らしの為、料亭へ奉公へ出されました。ゲンコツ貰ったからと言って、帰るところはない。頑張るしかなかったのです」

 7歳から退路を絶たれ、70年以上働き詰め。その結果、世界最高齢の3星シェフとなったのです。