私の住む平野区は大阪市の南端。いくらか田んぼも残っています。
概ね稲刈りも終わり、ハトが落ち穂をついばんでいました。
日に日に秋は深まって行きます。
知らぬ間に冬になったと言わないで良いよう、どこかに出かけたいところ。
しかし昨日は子供のソフトボール、サッカーがありどこにも行けず。DVD、読書とインドアな一日でした。
この秋に読んだ本については、また書こうと思っているのですが、作家・開口健は「大きい説ではなく、小さな説を書いて飯を食うてます」と言いました。
同じ出来事を体験したとしても、それをどう切り取るからで「説」は大きく変わります。
開高健をノンフィクションライターとしてとらえるなら、沢木耕太郎、二宮清純は正統な系譜と言えるかもしれません。二宮清純が自身のwebサイトに再掲載したコラムにその実力が余すところなく発揮されています。
題材は、1988年ソウル五輪。背泳ぎで鈴木大地が金メダルをとった場面です。
鈴木大地は、決勝までライバルに大きく水を開けられていました。
もし、メダリストではなく、金メダルを取りに行くなら、スタートから水中を潜水しながら進む「バサロ」のキックの回数を増やすべきではという結論を、コーチの鈴木陽二が導き出します。
前半に体力を消耗しすぎると、後半のスピードが伸びない。経験から21回と決めていた水中でのキックを、リスクを覚悟で25回にしないかと鈴木大地に提案します。
それに対して鈴木大地は「いや27回でいきましょう」と応えました。結果、3人がほぼ同時にゴールした大混戦を制し、鈴木大地は金メダルを獲得しました。
二宮はこの話の前後から、4つの切り口で語ります。
1. コーチ鈴木陽二が言う「プレッシャーを楽しんでしまえばいい」とは、子供がピクニックを楽しむというようなものではない。世間をあって言わせてやろうと、絶え間なく脳細胞を働かせ、創意工夫を重ねる事だ。
2. 「あとは開き直ってやるだけ」という発言をする選手が、予想以上の成果をだすことはない。これは思考停止という現実逃避で、そのような愚か者に、神様が至福の瞬間をプレゼントすることはない。
3. 「負けはしたが、練習通りできたので満足している」や「教えた通りにやってくれた」と言う選手や指導者にも魅力を感じない。プロセスは大切だが、結果が伴ってこそ評価。なぜ選手をいたわるのかいうと、自分の満足に協力してくれたという考えに他ならない。
4. 「選手たちを褒めてやりたい」「選手たちに感謝している」と涙ながらに話す指導者も同様。こういったセリフは自らが主人公だと勘違いしているからつい口にでてしまう。
これらの解釈は、冷徹にも見えますが、奥底にある真実だと感じます。また、スポーツをする者、またそれ以外の人へ向けても、成長の糧とするよう促している、大きな愛情も感じます。
これ程シャープで手厳しい説を見る事はまれです。何らかの説を唱える時、真実を真っ直ぐに見る目と、非難を恐れぬ覚悟が必要なのは間違いありません。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました