翌日、8月11日(土)は朝からイタリアの新幹線で移動です。
チケットは日本で予約していましたが、旅の移動は早めが基本。
駅まで歩いて1分で、40分前はちょっと早すぎました。子供はややだれ気味。
ローマのテルミネ駅からフィレンツェまではイタリアの新幹線で、1時間半程です。
車窓から見る景色から感じる事は、何と起伏の少ない国なのか、という事です。
街を少し離れると延々と続く農場の風景。
現代なら重機もあり、平地を作ることはたやすい事と言えますが、古代にはこの平地を取り合う為、多くの血が流されたのです。
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着。
まずは高台にあるミケランジェロ広場まで、バスで行くことにしました。
フィレンツェの象徴は何と言っても、ドォーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)です。
これが最も美しく見えるのが、ここと言う事なのです。その看板に偽りなしでした。
フィレンツ最古の橋、ポンテ・ヴェッキオも、良く見えます。
橋の上には宝石店等が建ち並びます。
橋からはみ出して建っているその支えは、細い木のつっかえ棒。
ローマは完全に石の街という感じでしたが、フィレンツェに近付くにつれて、少しずつ森が見えるようになりました。
そんな事も影響しているのか、軒などは木で出来ているものが目につきました。
いくら地震が少ないとは言え、日本人の私としては心もとなく映ります。
この階段が初めこそ良いのですが、上に行くごとに細くなり、最後は上り下り兼用の階段になり……
大変でした。救われたのは、4歳の娘が、何とか自分の足で登り切ってくれたこと。
登りづめで20分くらいは掛かった気がします。
屋根上の塔の部分出るのですが、高さ100mくらいあるでしょうか。
その景色は最高で、私以外の3人ははしゃいでいました。
が、正直私は生きた心地がしませんでした。
階段の途中、どう見ても剥落したのではと思う穴がいくつもありましたし、先日イタリア北部で地震が会った事も頭にありました。
500年もこの場に建っているんだからと自分に言い聞かせても、数枚シャッターを押すのがやっと。
もしかすると高所恐怖症なのかもしれません。
この日の宿は、唯一の4つ星ホテル。
久々に数部屋あるホテルに泊まりました。
従業員の雰囲気も良く、調度品は落ち着きがあり、いい感じです。
子供が「こんな所にも絵が描いてある」と引出しを持って来ました。メディチ家の紋章が入っています。
ルネサンスを支え、ミケランジェロを育てた大パトロンの影響は絶大だったと想像できます。
このホテル「APRILE」は朝食もとっても美味しく、169ユーロでした。
行きのアリタリア航空のCAからも、このホテルのスタッフからも娘を指し”She is so beautiful.”と言われました。
娘なので勿論可愛いと思っていますが、イタリア人はこんな子供が好きなのかな、と思っていました。
後に泊めてもらうミラノの友人にこの話をしました。
「イタリア人は、博多人形みたいな切れ長の目に憧れてるところがあるかも。無いものねだりって言う感じかな」と。
腑に落ちたような、落ちないような。でも、悪い気はしてません。
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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました