イタリアとスペインの旅① <ローマ編>

 長い夏季休暇を終え、月曜から仕事を再開しました。

 今回の休暇中、12日間で7都市を回りました。明治維新までは国と言う概念が希薄だったように、古代では都市国家という考えの方が、自然だったのは容易に想像できます。

 それぞれの都市ごとに感じた事を、順にUPして行きたいと思います。まずはローマ。

 8月9日(木)の昼に関空を発ち、夜の7時にローマのフィウチミーノ空港に着きました。フライトは13時間。

 空港バスでローマ市内に入ったのは夜の9時頃です。

 全ての道はローマに通ず。そんな言葉が頭に浮かんできます。ファーストコンタクトというのは兎に角興奮するものです。

 写真はブレていますが、気持ちは入っています。

 初日、2日目の宿は、ローマの中心、テルミニ駅のすぐそばに取っていました。非常に便利が良かったのですが、夜の騒々しい事。

 私は耳栓を持っているので事なきを得ましたが、妻は寝不足気味でした。

 翌日は朝から、2階建てバスに乗って市内を回ります。

 初めのに行ったのはトレヴィの泉。

 世界の旅行者と同じく、私達も再び訪れたいと願うのです。

 ナヴォーナ広場に移動して、ひとまず昼食。

 ミナミでお好み焼きを食べているようなものなので、どんな店なのか全く分りませんが、ピッツァは十分美味しかったのです。

 気温こそ30℃を超えていますが、湿気の無い事がこれほど気分の良いものとは。

 日影に居れば本当に心地よいのです。

 ローマで一番見たいと思っていたのは、パンテオンでした。

 118年にハドリアヌス帝が再建したとあるので、1900年前とほぼ変わらぬ姿がそこにあります。

 天井最上部に空いた天窓は直径9m。

 そこから落ちる光は「全ての神の神殿」に相応しい、静謐な空間を醸し出していました。

151

 その後は、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ広場へ。

 ヴァティカン市国は世界最小の国で、カトリックの総本山です。

152

 その東にあるサンタンジェロ城は、ハドリアヌス帝の廟として建造されたもの。

 しかし、サン・ピエトロ寺院と城壁で繋がっているのです。

 その城壁の上部には秘密の通路があります。

 非常時にここを通り、逃げ延びた教皇が実際にいるのです。流石、世界の中心は違うなと思います。

 ヴァティカンに来た本来の目的は、博物館にあるシスティーナ礼拝堂を見る為。

 ミケランジェロの最高傑作と言われる壁画「最後の審判」があります。

 写真不可なので画像はありませんが、薄暗い中にあるその絵の大きさと、反対にその細密さに、しばしその場で佇んでいました。

 ミケランジェロは若いころ、顔を殴打された際に鼻梁が曲がってしまい、そのコンプレックスが彼を創作に向かわせたとも言われています。

 その彼の最高傑作とは。ぜひとも見ておきたかったのです。

 初めて来た家族での海外という事もあり、独り旅と同じようには行きません。

 今回はコロッセオで終わりだなと歩いていると、ガイドブックがない。黄色の頼りになるヤツ「地球の歩き方」を、バスに忘れてしまったようなのです。

 すぐに次のバスに乗り、乗務員に私の怪しい英語で事情を説明しました。何とか通じたようで、営業所なのか、電話をしてくれました。

 横で待っていると、別の乗務員が営業所に持ち帰ってくれるとの事。ホッとしました。

 宿に帰ったのが夜の9時頃。こうして初ローマは終わったのです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

メディア掲載情報

一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA