昨日は、サッカーのU23が、ロンドンオリンピック行きを決めました。
バーレーンに2対0で快勝。ニュースで見ると、セレッソ大阪の清武も1ゴールを決めたようです。たった1回、試合を見たのみですが、今後も含めて気になる選手です。次のステージへ早く行くべき選手だと思うのです。
春休みに入り、オープンデスク、当事務所スタッフ募集等があり、何人かの若者が出入りしています。
オープンデスク中の学生は、模型を創るのがとても早いのです。
昨日も初期相談のスタディ模型を2つ仕上げてくれました。
こちらは、大阪市内の狭小住宅。
小学1年生とくらべると失礼ですが、質もなかなかのものです。
狭小と言っても、厳密な定義がある訳ではありません。
概ね20坪以下もしくは15坪下を指すことが多いのです。
この敷地、12.5坪で間口は2.7m程、かなり縦長の敷地です。
正面から見ると、その感じが良く分かります。
サッカーの話に戻りますが、お気に入りのwebサイトがあります。
作家、玉木正之のサイトで時々コラムが更新されるのです。
随分前ですが、日本サッカーについて書かれたコラムがありました。以下に要約してみます。
日本人の「世界観」はいつも変わらない。ことサッカーワールドカップになるとメディアは「世界と闘う」というフレーズを良く使う。
日本が世界の外部にあるかのように。
テクニックはあるが、得点力はない。決定力不足。ミッドフィルダーは育つが、フォワードは育たない。組織プレイは巧いが、個々の突破力は無い。それが日本人、日本社会の特徴。それが「世界」とは異なる日本文化……
野球もかつて同じような事を言われていた。
投手も本格派は「世界」に通用しない。横手投げと下手投げなら通用する。野茂の登場までこの論調は続く。
打者もミートの巧い好打者なら「世界」に通用するが、中軸を打つスラッガーは無理。これも松井秀喜が覆す。日本的?なイチローは桁外れの「世界記録」をうちたてた。捕手だけは「世界」に通用しない。これも城島が覆してくれた。
現在の常識も、おそらくこの程度の事だろう。単にサッカーが下手なだけ。これも運動神経に恵まれ、技術の高い選手が数人でてくれば、解決の方向に向うだろう。
世界の外にいるのではなく「世界の一員」として闘えば、日本のレベルがわかる。わかればそこから新たな闘いを始めるだけ。スポーツとは、そういうものだろう。
これは日本がワールドカップの決勝トーナメントに進む前のコラムで、現状はもっと進歩しています。しかし、日本だけが世界の外にあるという考え方はやはり存在します。それは個人のレベルでも同じように。
「関西では、大阪なら、この地域には、○○家としては、私的には……」これらの考え方は、能力を伸ばすことに繋がらないと感じます。
良いものは良い。駄目なものは駄目。
この単純な考えを自分も実践したい。また、スタッフ、若者へ少しでも伝えたい。誰もが世界の一員。誰もが自然の一部。これは間違いありません。