それは自らの手で

 昨日は、子供達が妻の実家へ行っていました。

 それもあって、朝一番から3つ現場を回ってきました。

「東田辺の家」は掘方が始まりました。

 日曜の朝は道も空いており、車で移動。

 街路樹も色づいてきました。

 「あちこちでお茶できる家」は、屋根、金物関係の中間検査を間もなく迎えます。

 「サンルームと吹抜のある家」は引越しが済んだにも関わらず、少し工事が残っています。

 クライアントには迷惑を掛けていますが、これには良い結果で報いる他ありません。

 現場には発破をかけてきました。

 夕方には投票へも行ってきました。

 昨日の大阪はW選挙と言われ、市長選は60%を超える高い投票率。結果は市長が橋下徹氏、府知事が松井一郎氏でした。

 誰に投票したかは差し控えますが、2人には身を粉にして頑張って頂きたいと思います。はっきり言えば、政治家というのは、市民、府民の下僕だと思える人の事だと思っています。

 以前作家の五木寛之氏の話に、大変共感できたので、政治に対するスタンスを書いてみます。

 5年程前だったでしょうか、イタリアを題材に多くの作品を多く書いている、塩野七生さんと対談がテレビで流れていたました。

 五木氏が「塩野さん、新聞って読んでます?」と。「読んでますよ」と塩野氏。

 「僕は読むのをやめたんでよ。ニュースを読んでも暗くなる話ばかりだし。で、どう出来る訳でもないでしょう。読む必要ってあるんですかね」
 と言うような会話でした。

 新聞を読んでいる私が言うのも何ですが、この意見を聞いたとき「そうだな」と思ったのです。

 社会の流れや、風潮を知るのは大切な事です。例えば、株価の上昇、下降などが分かっていなかったりすると、経営者の集まりの中で、トンチンカンな事を言ってしまったりします。

 海外からの輸入や輸出に関わる人や、株を持っている人にとっては、最重要事項だと思います。

 しかし私にとって、知ったところで、円高を止める事も出来ないし、それらによる損失を補う事もできない。目を背けたくなるような悲しいニュースを、真正面から読んでみても、私には何も出来ないのです。

 それらが他人事と思っている訳ではありません。全ての情報において、ネガティブな想像をする事に、全く意味がないのではと思ったのです。

 建築家ル・コルビュジエは、ヒューマンスケールを提唱しました。身長を基準とし、黄金比で割って行く、普遍的な尺度「モジュロール」という考えを発表したのです。

 また、宮崎駿は「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」というメッセージを発しています。 

 政治に期待をし、興味を持つことは重要な事です。しかし、それぞれが目の前にある事に精一杯打ち込む事のほうが、何十倍も大切に決まっています。

 大阪を、日本を、世界を良くするのは、自らの手に掛かっているのです。

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