人それぞれ

 いきなりですが、ずっと思っていた違和感を書いてみます。

 話が行き詰った時「人それぞれ」と、会話を終えるケースがあります。正直に言えば「それを言ってはおしまいよ」と思っているのです。

 一見言葉として問題ありません。他人を尊重しているようにも聞こえます。しかし、実際には関係を諦めた瞬間というか、コミュニケーションを拒否した瞬間というか……

 一人一人が違うのは当然です。人は誰もが生まれながらにして、唯一無二の存在です。絶対正しいもの、誰もが共感出来る事が、常にあるとは思いませんが、あるかもしれないという幻想はもっと大切だと思うのです。
 
 「分かってもらえないだろうなア」と思いながら話をして相手に伝わることは無いはずです。創作もデザインも全く同じ。誰かに分かって貰える、誰かとその思いを共有出来る、と信じるからこそ、多くの情熱が捧げられるのです。

 人は生まれながらに「真・善・美」を求めると言います。そうでなければ、真理を追求してここまで科学は発展しなかったかもしれません。善き心を求めるからこそ、神や仏という概念が生まれ、哲学や宗教が生まれてきたはずです。ましてや、存在しなくても命には影響の無い、美や芸術などは全く発展しなかったはずです。それらを人が求める事は歴史が証明しているのです。

 善き心は誰が見ても善のはず。それは人それぞれではないのです。

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