チエちゃんの住んだ街

 先週の新聞だったか「じゃりン子チエ」の母校が無くなるかも、という話題がありました。

 勿論モデルになった、です。

 大阪の下町にあるホルモン焼き屋を小学生が切り盛りするという人情漫画。

 アニメ版は時々観ていました。

 その程度ですが、テツ、小鉄、アントニオ、ヒラメちゃんなどスッと名前が出てくるものです。

 舞台は通天閣のすぐ近く。今でも新世界のシンボルです。

 近くを通ったので一枚撮ってみました。

 近くにはホルモン焼き屋まで。漫画の世界とは随分趣が違いますが。

 このあたりも、数少ない街の景色を持っている場所と言えます。作者のはるき悦巳氏は大阪市西成区出身で1947年(昭和22年)生まれ。

 記事には、自身が通っていた萩之茶屋小を想像させるのでモデルとみられる、となっていました。

 舞台は昭和50年代の設定となっていましたが、漫画の中の街の風景は、おそらく作者の幼少期、昭和30年台前半から、40年代前半までの記憶だと思います。

 私は昭和45年生まれですから、幼少期が昭和50年代の中盤。この頃の景色とそれまでの景色は大きく違いがあります。

 具体的に言えば、万博のあった昭和45年以降に建った家は、多くが木造モルタル塗りの家。それ以前は、板壁か、土壁に漆喰の家が主なのです。

 さほどの分岐点には見えませんが、この間に街の風景は大きく変わったはずです。小学校だった私も、自分の暮らす街より、漫画の中に出てくる街のほうに惹かれていた気がするのです。

 工場で出来た既製品と、職人が手仕事で作ったものとでは、絶対後者のほうが好きです。自然界に均質なものなど無いからです。

 手仕事で作ったものでも、工業製品からと、自然の素材からでは圧倒的に自然素材のほうに心は惹かれます。

 万博のあった昭和45年頃を境に流通が発達し、家の外壁なら土、漆喰、木から工業製品のモルタルやペンキが主役に変わって行ったのだと思います。

 それは、何の知識も持たない子供の目にも大きな違いだったのです。

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