謝る

 9月1日には、突然の首相辞任会見がありました。随分経ったようですが、まだ今月のことです。

 受け取り方は色々あると思いますが、どうしても引っ掛かっている点を書いてみます。辞任会見については、首相官邸の公式webサイトから

 皆が気になるのは、やはりこの部分でしょうか。

(記者の質問)
 一般に、総理の会見が国民には他人事のように聞こえるというふうな話がよく聞かれておりました。今日の退陣会見を聞いても、やはり率直にそのように印象を持つのです。

以下省略

(総理)
 他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです。そういうことも併せ考えていただきたいと思います。

 野球と政治と宗教の話しはトラブルのもと、というのが日本の文化です。しかしそんなレベルの話しではありません。

 総理大臣には任期があるはずです。人気が無くなったから途中で辞める、なんていうのはシャレにもなりません。小学校の生徒会長でも、人気が落ちたから辞めるた、なんて聞いた事がありません。

 国のTOPが2人続けて、自ら望んだ役職を放棄するのですから、まず謝るのが筋だと思います。それが成果のアピール、嘆き節、どころか今辞めることが、国民にとって利益となるのだから……

 電車の7人掛けの椅子に3人で座る高校生。禁煙の室内でタバコを吸うお父さん。道に空き缶を投げ捨てる中学生。私の言い方もあると思いますが、注意すると逆ギレする人はあっても、謝った人に会ったことは有りません。

 悪い事をしたら謝る。その時には、個性もプライドも関係ありません。ましてや逆ギレなんて状態が認められているような風潮が何より問題です。

 そこに必要なのは、道徳観とかルールではありません。美意識です。基準を自分以外に設けると、見つからなければ何をやっても良い事になります。他人ではなく、自分が自分を許せるのか。そこが問題なのです。

  国のトップの有り様として、自らに全く非はないし、今の自分を自分が許せるのなら仕方がありません。が、逆ギレに聞こえる開き直りは絶対駄目だと思うのです。

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