いますぐ出来る

 先週の土曜日、東北地方で震度6強の地震と速報が入りました。

 阪神・淡路大震災が1995年1月17日。死者は6000人を大きく超えました。今回の岩手・宮城内陸地震でもまだまだ不明の方が多くいるはずです。
 
 震度7、人口密度、震源地が都心部に近い、季節が冬で火の気があった、など多くの違いはありますが、仮にに13年前に同じ地震が起こったとすると、今より被害が少なかったことは無いはずです。あの山頂を走る道路が崩壊した映像を見ると、余計にそう思うのです。

 雪国の建物はその加重にも耐えられる分、強い建築と言えると思います。その話を別にしても、地震に対する認識は大きく進みつつある気がします。

 例えば和歌山の海沿いを走ると、10mを越えるような避難塔があちこちに建っています。予想されている東海大地震の津波に備えているのです。

 中国、四川省の地震でも想像を絶する被害が出ています。それらを見て、家具に転倒防止の対策をする。すぐに行動出来るようにスリッパを用意しておく。どのテーブルの下に入るかイメージしておく。様々なケースの中では、そんな小さな事が、生死の境を分ける場面が必ずあるはずです。

 同じ話ではありませんが、シートベルトの着用の義務付け、飲酒運転の取り締まり強化などで、54年振りに死者の数が、ピーク時に比べると半分程度の5000人台に留まりました。昭和28年に車をもっていた人の数など今の比ではないにも係わらずです。

 ネガティブな出来事を想像出来るのは、生きる事へ前向きな人の特権だと思っています。その1人という数字は、数字の1ではありません。ひとつの命なのです。

 そのうち家具転倒防止法が出来て「取り締まりがなかったから」という意見まで出てきそうなほど、行政依存が高い気がします。絶対防げないケースもあるでしょうが、まずは個々が出来る事をする。ここに尽きる気がするのです。

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