危険とスリルに満ちたもの‐1121‐

 12月に入り、梅田阪急のショーウィドウもクリスマス仕様。

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 子供達はすぐにかじりつき、大人たちはすぐに写真を撮ります。いつから写真を撮るようになったのか。

 私もそうですが、まずは自分の目でしっかり見るようにしたものです。

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 紅葉していたヤマボウシも雨で散り。日も短くなり、初冬は物悲しい季節でもあります。

 養老猛司が「手入れという思想」という本で「知る」ということについて書いていました。

 「例えば自分の余命が3ヶ月と告知を受けたとき、あなたの考えは今までと同じではないでしょう」と言います。少なからず何かが変わるのではないかと。

 しかし、現在の知識とは自分とは少し離れたところにあると、警鐘を鳴らしています。その引き金になったのが以下の話です。

 東大のある医学部生が「先生、尊師が1時間水槽の中で座禅を組むから、立会人となってくれませんか」と頼みにきました。

 5分間、酸素の供給が断たれれば、脳がどんな損傷を受けるか、知識としては知っている。しかし、それと現実が一致しない。

 教育が普及し、誰もが望めば教育を受けることが出来る。学ぶことは良いことで、安全なことだと信じきっている。しかし、知るということは変化することなので、もちろん危険も害もある。

 自分と離れたところにある、安全な勉強など楽しいはずがないと結んでありました。

 身近にあり、危険でスリルに満ちたもの。これは、間違いなく仕事です。仕事とは、生きることに直結しているもの、と定義できるので、子育ても勿論含まれます。

 私達はちょっと安全な勉強に慣れすぎてしまったのかもしれないと思っているのです。

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