今週は秋雨前線が停滞するようです。
明日は地鎮祭があるので、式典中だけでも止んでくれると嬉しいですが。
昨日は、丸1日休みだったので、奈良県下北山村の池原ダムへ行ってきました。
冷たい雨が降る中、レインウェアを着て一日湖に浮いているなど、正気の沙汰ではありません。
しかし、そんな変わり者がこれだけ。
遠くは名古屋ナンバーもありました。
惚れて通えば千里も一里。雨が降ろうが矢が降ろうが、各地から集まってくるのです。
状況は厳しめでしたが、かわいいサイズの魚は顔をだしてくれました。
岩場を悠々と歩くニホンザル。
繁殖期はアピールもあって、特に赤くなるそうです。
立派な体躯は堂々としたものでした。
仕事がら、いつが休みになるのか分からないので、私の遊び相手は専ら家族かモノ。
小さくはありますが、この愛艇のおかげで自然を満喫できるのです。
車も同じ。
当たり前ですが、文句も言わず付き合ってくれます。
モノですが、それ以上の愛着をもっているつもりです。
ある音楽家が、「車を運転する時間は耳を休める時間なので、音楽をかけないんですよ」と言っていました。
それを聞いてから、何もつけない時間をとってみることにしました。
風をきる音だけが聞こえ、ただ山道に合せてハンドルをきる時間。それが意外に心地よいのです。
モノの本質は沈黙にあります。だった、と言ったほうがよいかもしれません。
給湯器が「お湯張りが終わりました」と喋るようになりました。
そのうち冷蔵庫が「牛乳の賞味期限がきれています」と教えてくれるようになるそうです。
人工知能が発達し、モノ発信でトラブルを回避してくれるようになります。
しかし、問題が少ないことと、幸せは必ずしも一致しない気がするのです。
情報が洪水のように押し寄せてくる時代です。
静寂は幸せへのキーワードなのだと思うのですが、それは好みによるものなのでしょうか。