大善は非情に似たり‐1365‐

 当社の隣では「平野西のアパートメントハウス」の工事が進んでいます。

 職長が、新入り君らしき若者を叱る声が聞こえてくることもしばしば。

 中学校をでて、すぐくらいの年齢でしょうか。

 小さい体で頑張っている姿をみると、まずは「頑張れよ」と思いますが、他の気持ちも湧いてきて、複雑な気持ちにもなります。

 1人では無理だが、2人いれば出来ること、が現場にはあります。

 どんなに長けた職長でも、人の手を借りないとできないことが多々あるのです。

 若手の教育はどの業種でも大きな課題ですが、なれ合いが命にかかわることがあるかもしれません。

 やはり、現場とは上品だけではやっていけないところです。

 私の仕事がら、現場に是正を求めることがあります。

 現場チームと仲良くするのが目的なら、是正を求めるのは気が重いことです。

 実際、楽しいことではないかもしれません。

 しかし、最終的にクライアントに喜んで、感激して建物を引き取って貰えないとしたら、全ては無になります。

 多くの時間と情熱をかけて創り上げたものが、そうなることを誰も望んでいません。

 それを考えると、是正を求められた人の立場においても、厳しく監理したほうが最終的には幸せにつながると確信しているのです。

 稲盛和夫さんの著書、「成功への情熱」にこんな挿話が載っています。

 IBMの創始者、トーマス・ワトソンがよく社員に話したそうです。

 ある湖のほとりに、老人が住んでいました。

 この湖は、野鴨が暖かい地方に渡っていく途中に、立ち寄る場所になっていました。

 ある年寒波がやってきて、食べ物がなくなり、数羽の野鴨が立往生してしまったのです。

 かわいそうに思った老人は、毎日彼らに食べ物を与えました。

 その後、年ごとに老人の優しさを頼る野鴨は増え、最終的には群れの全てが移動しなくなってしまいまいした。

 そしてある冬、老人は亡くなりました。

 エサをもらえなくなった野鴨は、何百羽もが飢え死にしてしまったのです。

 「小善は大悪に似たり」の1例です。

 数羽の野鴨といえ、それは命です。

 この否定できない真実があったとき、これらの間違いは起こりやすい気がします。

 命を救うこは正しいことです。しかし、族、種別が滅びることは誰も望みません。

 「大善は非情に似たり」なのです。

 非情を簡単に理解してくれる人などそうはいません。

 リーダー業とは基本孤独なものだし、それで当たり前なのだろうと思います。

 さらにいえば、行きたいところがあることが、何より幸せなことなのだと思うのです。

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