江戸時代の旅

 テレビ番組を見ていて、以前から持っていた疑問が1つ解決しました。

 江戸時代、「お伊勢参り」「熊野詣」「金毘羅参り」などの言葉が残るように、多くの人々が遠路はるばる、神社へ参拝したようです。庶民の信仰が何故そこまで篤かったのだろう、という疑問を持っていました。

 当時は幕府によって、神奈川県の箱根の関や、滋賀県の逢坂の関などで、人の移動や、物の出入りは厳しく監理されていました。

 しかし一方、信仰を建前とした旅には、通行手形が出易かったそうです。本当に「お伊勢参り」が主目的の人もいたでしょうが、それは建前として、京都や大阪(大坂)へ、という人が多かったようです。

 「お伊勢参り」には半年で500万人が訪れたこともあるそうで、「旅行用心集」というガイドブックまで出版されており、庶民にとって大変なイベントだったと想像できます。

 弥次さんと喜多さんが登場する十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が大きな人気を呼んだのは、多くの人がそんな旅を経験しており、自分の思い出と重ね合わせたという背景があったようです。

 東海道五十三次。東京-日本橋から京都-三条大橋まで、宿場町を伝いながら、歩いて旅すると何日を要したのでしょうか。現在よりずっと美しい太平洋を眺めながらの旅は、なんとも楽しく刺激的だっただろうな、と旅情をかき立てられるのです。

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