70年代‐1033‐

 昨日は宝塚まで行ってきました。

 阪急電鉄の創業者・小林一三は「電車に乗る人が居なければ、乗る理由を作ればよい」と言ったのは有名な話。

 そうしてできたのが、宝塚歌劇団です。

 今年で100周年を迎えるそうです。

 今回の目的は手塚治虫記念館。本物を見ることは、大切なことです。
 
 しかし子供達は、こういったミュージアムをあまり喜んでくれませんが。

 内部撮影は禁止が多い中、ここはほぼ撮影可。小学生の時に描いた絵もありました。

 殆どプロになってからのタッチと変わりません。
 
 仕事は才能に左右されないと思っています。しかし漫画の世界はこの限りではないかもしれません。

 1970年代の初め、手塚治虫はすでに確固たる地位を築いていました。しかし、なかなかヒット作が出ず苦しんでいたのです。

 「終わった」と言う声も聞こえる中「週刊少年チャンピオン」に連載されたのが『ブラック・ジャック』です。

 その異質とも言える暗さに惹かれ、こわごわ読んだのを覚えています。少年誌初の医療漫画はすぐに人気が高まり、5年の連載となったのです。

 「産後すぐ、病院で子供を取り違えたことが、数十年後に分かった」という事件がありました。全く同じモチーフが、水島新司の『野球狂の詩』にもあったのです。

 私は1970年生まれで、『野球狂の詩』も70年代前半の人気漫画です。

 本当に凄腕の闇医者がいたのか、また、裕福な家庭の赤ん坊が、取り上げ違いによって、任侠に育てられた野球選手が居たかは別です。

 しかし、終戦から25年。今とは全く違う空気感があり、それらが漫画に反映されていたと考えると、納得できることが多々あるのです。

 体力をもてあまし気味の子供を、最後は万博公園へ連れていきました。大阪万博は、70年代の象徴です。

 長男が、私と同い年になるのは2049年。その時に、この時代はどう映るのだろうと考えます。

 せめて、子供達が私の作品を振り返った時に、恥ずかしくない仕事をしなければと思うのです。

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