ただ弓を引き矢が離れるのを待て‐1305‐ 

 娘と「スポッチャ」なるところへ行ってきました。

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 ボーリングのラウンドワンが経営する、スポーツアミューズメント施設。

 何でもあると言っても言い過ぎではありません。

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 娘の一番の希望はテニスでしたが、やはり錦織圭の銅メダルの影響が大きいようです。

 高校時代、僅かの期間テニス部に属していましたが、テニスはなかなか難しいスポーツだと思います。

 ちょっと苦戦していました。

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 ローラースケート、卓球、バトミントン、バレーにミニサッカーと本当に何でもあります。

 出来れば、どれか一つをじっくりしたい所ですが、何が好きかを探すのには申し分の無い施設。

 革新的な発想だと思います。子供は1,500円程度だったか。これだけの投資をしてビジネスとして成立するんだろうかと気になります。

 勿論成立しているから、店舗が増えるのですが。

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 意外に喜んでいたのがビリヤード。

 娘はキューの後ろ半分を外してみました。

 私も高校以来かなと思います。トム・クルーズ、ポール・ニューマンに皆が憧れたものでした。

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 私が一番面白かったのはアーチェリー。

 本格的な道具ではないのでしょうが、先日、養老猛が勧めていたオイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」を読んだこともあります。

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 大正13年(1924年)、オイゲン・ヘリゲルは哲学を教えるために、ドイツから帝国東北大に招かれました。そして、より日本文化を理解するために、弓術を学び始めました。

 阿波研造師範に弟子入りし、5年に渡り弓術を学びました。師はこう言いました。

 「的にあてることを考えるな、ただ弓を引き矢が離れるのを待って射あてるのだ」

 この言葉がなかなか理解できなかったのです。

 そんなヘリゲルを、阿波師範は夜の道場に呼び出し、真っ暗な中で阿波師範は的の中央を射抜きます。続けて放った第二の矢は、第一の矢を真っ二つに割いていたのです。

 「これは私から出たものでもなければ、私が中てたものでもない。

  そこで、こんな暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。

  それでもまだあなたは、狙わずには中てられないと言い張られるか。

  まあ、私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持ちになろうではありませんか」

 これを機にヘリゲルは、疑うことをきっぱりと諦めました。

 日本を離れる際に5段を与えられ、その後はヨーロッパへ、日本の文化を伝える役割を果たしたのです。

 ヘリゲルは、ヨーロッパの合理的、論理的な考え方は、仏教のみならず神秘的なことについて、理解されにくい側面があると書いています。

 論理的に解明されるということは、始まり、過程、結果が明確になると言うことです。現代人はそうでないことに臆病すぎるような気もします。

 ただ心静かに、自然に矢が離れるのを待ってみました。

 30本程放って、2本だけ中央付近に中りました。

 初めてのことなので、これが良いのか、悪いのかさえ分かりません。しかし、そんなことはどうでも良いことです。

 的の前に立ったとき、神仏を前に頭を下げる時と同じ気持ちになる。スポッチャで頭を下げているのは、ただの変わり者かもしれませんが。

 例えば高校球児がグランドに頭を下げるように、会社に入る時はその場に挨拶をします。

 論理的ではないかもしれませんが、日本人にはそういった気持ちがどこかにある気がします。

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