振り替え休日の今日、大阪は朝方雨でした。日中は晴れそうです。
昨日、現場近くで、干し柿を見つけました。
亡くなった祖母が、軒先に吊るしていたのを思い出します。
干し柿は保存食ですが、渋柿の渋抜きのためでもあります。
焼酎漬けという方法もありますが、今考えると子供が食べて良かったものだったのか。
ドラえもんの作者は藤子・F・不二雄こと、藤本弘。
’96年に62歳で亡くなったことを考えても、露出の機会は少なかったように思います。先日ドキュメンタリー番組で、初めて話している姿を見ました。
ドラえもんは世界中で愛されるキャラクターです。
1970年連載開始で、私と同い年。
その誕生は、かなりの難産だったようです。
安孫子素雄とのユニットで『オバケのQ太郎』を大ヒットさせた藤本は、続く人気漫画を求められます。
なかなかヒット作が生まれず、苦しんでいました。
思い悩んだ末、やはり自分が本当に描きたい漫画を、という考えに至ります。そして、人気少年誌の連載を断わるのです。
そして、小学生だけに向けて描き始めたのがドラえもんでした。
これは、母が孫に作ったもの。
多少問題もありますが、誰もが自分なりのドラえもんをもっているのです。
身体が弱く、引っ込み思案だった藤本は、のび太そのもの。モチーフはすぐに固まりました。
しかし、ドラえもんの方はなかなかで、締切が迫ってきます。
いざ連載の告知という段になっても、まだ描けておらず、おおきな?でその場をしのいでいました。そんな時、娘のダルマのようなフォルムのおもちゃを見つけました。そこに普段は煩いと思う野良猫の鳴き声。
これらが合わさり、ようやくイメージが出来あがりました。言うなれば、偶然の産物です。
ドラえもんがそうなら、我々など当然です。
先週も、一番若いスタッフの田坂は、締切に追われていました。
「必要は発明の母」という言葉がありますが、現実はもっと積極的です。
「締切は創造の父」くらいの感じでしょうか。
「プロとは締切がある事」と言った人もいました。時間、プレッシャーこそが、創造の源であるのは、誰にとっても変わらないようです。
最後に、藤本弘の漫画家像を語る言葉が印象的だったので、載せておきます。人気漫画をどうやって描いたらいいか。
そんなことを一言で言えたら苦労しないのですが、ただ1つ言えるのは「普通の人であるべきだ」という事です。
体全体からにじみ出した結果としての作品が、読者の求めるものと合致した時に、それが人気漫画になる訳でありまして。
つまり、大勢の人々が喜ぶと言う事は、共感を持つ部分がその漫画家と読者の間に沢山あったという事です。