稲盛和夫最後の闘い

 京セラの創業者、稲盛和夫氏が経営を指南するのが盛和塾。

 私はその塾生です。ある勉強会の会場で、日本経済新聞の編集委員、大西康之氏が書いた「稲盛和夫最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生」を買いました。

 本人の著書ではないので気楽に読み始めると、不覚にも涙したのです。2度も。
昨年の7月、カンブリア宮殿出演の際に稲盛さんの半生をまとめました

 1959年、28人で京都セラミック(現:京セラ)を創業。町工場から、一代で1兆円企業に育てあげます。

 また、通信事業への民間参入が認められた際は、健全な競争を作るため、大手企業がしり込みする中、第二電電(現:KDDI)を創業します。1984年のこと。

 その際も、今回のJAL再建でも、持ち込んだのは、フィロソフィ(人としての考え方)と、部門別独立採算性(アメーバ経営)という経営管理システムだけ。
JALはこの秋、再上場といわれるまで、業績は回復したのです。
実際JALは再上場を果たし、航空業界全体で最高益を上げたのは報道の通り。

 直接話を聞く塾生達は、必ずJAL再生を果たされるだろうと思っていました。
しかしこの本を読み、81歳という体に自ら鞭を打つ、文字通り命をかけた闘いだったと知りました。偉大な経営者だと思うあまり、現実としてとらえ切れていなかったのかもしれません。

 JAL再生に向けて、3万2千人に社員をまとめるのに、3人の腹心のみを連れて乗り込んだのは、2010年春の事です。

 それから数か月は、稲盛さんはあまり口出しをせず、JALという企業を把握するのに務めていました。しかしある経営会議から一転します。抜粋してみます。

  10億円程度の予算執行について説明する執行役員の声を、会長の稲盛が突然遮った。

 「あんたには10億円どころか、1銭を預けられませんな」
 部屋の空気が凍りついた。

 これまでのJALの経営会議なら、問題になる金額でも、案件でもない。予算執行の承認は単なるセレモニーだった。

 ―中略―
 「お言葉ですが会長、この件は予算としてすでに承認をいただいております」余計な一言だった。
 「予算だから、かならずもらえると思ったら大間違いだ」稲盛は机を叩かんばかりの剣幕で怒った。
 「あんたはこの事業に自分金を10億円注ぎ込めるか」
 「いやそれは……」。執行役員が言いよどむ。
 「その10億円、誰の金だと思っている。会社の金か。違う、この苦境の中で社員が地べたを這って出てきた利益だろう」
 「はい」
 「あんたにそれを使う資格はない。帰りなさい」

 この日をさかいにJALからは「予算」という言葉が消えた。「予算」という言葉には「消化する」という官僚的な思考が潜む。稲盛が最も嫌う考え方だ。

 これ以来「予算」は「計画」という言葉に変わりました。

 ここには一例のみ引きましたが、現社長の植木氏からも「まさに身を削るような」というコメントがありました。

 昨日、盛和塾の勉強会が京都でありました。稲盛さんは非常に晴れ晴れとした表情で、塾生を叱咤激励していました。

 JAL再生の重責を果たした事も、いくらか影響があるのだろうか、と考えるのは失礼かもしれません。

 稲盛さんは着任の際、会社の経営の目的は「全従業員の物心両面の幸福の追求」だと宣言しました。稲盛さんの変わらぬ哲学です。

尊敬できる人が居るのは有難いことです。しかし、尊敬は手を合わせるものでなく、爪の垢を煎じて飲まねば意味がありません。

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