未来が見えないから未来はある

 先週土曜日、関西は久し振りにまとまった雨でした。

 この2年、ゲリラ豪雨が続いているので、まんべんなく降ってくれると有難いのですが、なかなかそうも行きません。

 我が家では長男がイモリを飼っています。

 義妹がキャンプの際に捕ってきたもの。

 天然物だからか、生きたエサしか食べないのです。

 食事時の人には申し訳ないのですが、好物はナメクジ。

 長男が、庭の石をめくり取って来ます。

 空梅雨もあり、かなり減っていたので、この雨で増えるでしょうか。

 彼は手掴みで捕ってきます。
 
 顔をしかめたくなる時もありますが、好奇心が無ければ人は生きて行けません。

 ギリシャ神話にパンドラの箱の話があります。

 ゼウスは決して開けてはならないとパンドラへ箱を与えました。

 一方、彼女へは好奇心も与えているので、結局それに負け、その命は破られる事になりました。

 ゼウスはこの箱に、災い全てを閉じ込めていたので、それらがこの世に溢れてしまう結果となります。かろうじて蓋を閉じ、唯一閉じ込める事が出来たのが「予兆」。

 古代ギリシャの人々は、未来を知る事が、最大の災いと考えていたのです。

 サッカー日本代表は、コンフェデ杯でブラジルにコテンパンでした。

 長友は「優勝なんて、腹を抱えて笑われる」と言いますが、この未来を知っていた人は、この世に誰一人居ません。良い、悪い関係なく、未来が見えないから生きていけるのです。

 オシムの考えに同調するなら、笑われたかどうかは、どうでもいい事。批判を全て受け止め、その中から真実を見出し、改善すべきことを改善するだけです。

 その夢を聞き、嫌な気分になった人も居らず、迷惑した人も居ないはずですから。

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